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「ハザードランプを探して」第1回

取材・執筆:藤田和恵、フロントラインプレス

「生活保護だけは嫌」

コロナ禍におけるSOSは、元日の夜も待ったなしだ。

2021年1月1日、東京・千代田区の聖イグナチオ教会で開かれた「年越し大人食堂」で出来立ての弁当を配り、生活相談を受ける。会場の撤収後、「反貧困ネットワーク・新型コロナ災害緊急アクション」事務局長の瀬戸大作さんは、ひと息つく間もなく車を駆った。夜7時すぎ。都心の正月はビルの明かりも行きかう車も少ない。いつもと同じ元日の光景だが、新型コロナウイルス感染症が猛威を振るう今年ばかりは言い知れぬ終末感を覚える。

この日、「年越し大人食堂」を撤収しているさなか、都内に住む60代の女性から緊急アクションにSOSが届いていた。すでにガスも電気も止まり、食べるものもないという。ハンドルを握る瀬戸さんがため息をつきながら言う。

「日本全体の底が抜けちゃった感じがするよね」

2021年元日の夜。この日も瀬戸大作さんは「SOS」の現場に向かう。写真を撮るため一瞬だけマスクをはずしてもらった(撮影:藤田和恵)

小一時間で女性が暮らすアパートの近くに着いた。夜の住宅街。人通りはほとんどない。ほどなくして、杖をつきながら歩いてくる女性の姿が見えた。厚手のジャージの上下を着込んでいる。SOSの主だ。女性は不自由な脚を折りたたむようにして助手席に乗り込んできた。そしてぽつりぽつりと自身の現状を語り始めた。

コロナ対策として国民全員に配られた特別定額給付金の10万円。それが支給されて以降、収入はゼロであること、近くのスーパーで捨てられているキャベツの外葉やブロッコリーの葉っぱを食べていること、カセットコンロで沸かしたお湯を飲んで寒さをしのいでいること、10日に一度ほど銭湯に通っていること、夜は毛糸の帽子とマフラー、コートを着込んで眠っていること――。

自分を呼ぶときは「わたくし」。きれいな日本語を話す女性だった。

彼女は話の途中で、渋谷で路上生活をしていた女性の暴行死事件に触れた。2020年11月16日の早朝、バス停のベンチに座っていた60代の女性が、男に石などが入ったレジ袋で頭を殴られ、亡くなった事件である。コロナ禍が本格化する前まで、女性は派遣会社に登録し、首都圏のスーパーで試食販売の仕事をしていた。亡くなったときの所持金は8円。ほかには電源の入らない携帯電話と親類の連絡先が書かれたカードを持っていたとされる。

「私もあと3カ月ほどでお家賃(の支払いに当てるお金)が底をつきそうなんです。あのようなニュースを耳にしますと、女性の路上生活だけは避けたいと思って連絡をさせていただきました。まさか元日の夜に来てくださるなんて……」

ひとしきり話を聞いた瀬戸さんは生活保護の利用を提案した。途端に車内の空気が重くなる。しばしの沈黙の後、果たして女性は「生活保護は考えていない」と言った。理由を尋ねると「役所に対する絶望感がある」と答え、それ以上多くを語ろうとはしない。瀬戸さんが「(生活保護は)恥ずかしいことじゃないんですよ」と促しても、女性は「役所とはお近づきなりたくないんです」とかたくなだった。

生活保護を利用することへの忌避感――。

コロナ禍における貧困の現場を共に歩きたいと、私は2020年秋から瀬戸さんに同行し、密着取材を続けている。そこで驚いたことの1つは「生活保護だけは嫌だ」と言う人の多さだった。

瀬戸さんが所属する「新型コロナ災害緊急アクション」は全国の約40団体によるネットワーク。コロナの影響で生活困窮に陥った人々を支援するために2020年3月に発足した。活動のひとつに、メールフォームを通して寄せられたSOSへの対応がある。瀬戸さんを中心としたスタッフができるだけ迅速にその場へ駆け付け、必要に応じて緊急の宿泊費と食費を渡したり、生活保護の申請に同行したりする。SOSの発信者は40代以下、いわゆる稼働世帯が多い。すでに住まいも仕事も失い、所持金もわずかという人がほとんどなので、やはり生活保護の申請を提案することになる。

ところが、少なくない人が「生活保護」という言葉を聞いた途端、表情をこわばらせる。結局、彼らは数日分の宿泊費と食費を受け取ると、「もう少し頑張ってみます」と言って再び街へと消えていくのだ。瀬戸さんは「SOS対応で出会う人の半分は生活保護の利用を拒みます」と明かす。

夜の東京。収入もなく、食べるものにも事欠きながら「生活保護だけは受けたくない」と生きる人々が大勢いる(撮影:高田昌幸)

生活保護を敬遠する理由はさまざまだ。

「税金も払えていないのに、人様の税金のお世話になるわけにはいきません」(建設業、50代男性)

「生活保護っていうと不正受給のイメージ。『なんで働かないの?』って思われますよね」(派遣、20代女性)

「昔、祖母が受けていたんですが、世間から隠れるようにして暮らしていました。生活保護は恥ずかしいことという印象があります」(建設業、40代男性)

「生活保護?俺に福祉の世話になれっていうのか!」(路上生活が長い60代男性)

「施設に入居させられるので、生活保護だけは嫌」(複数の当事者)

長引くコロナの影響で、事態は容易に好転しない。生活保護を拒んで街に戻っても、多くの人は数カ月後、再びSOSを訴えることになる。その間に彼らを取り巻く環境はさらに深刻化していることがほとんどだ。持病の高血圧が悪化したり、料金滞納で携帯が止まったり、無理なダブルワークで体を壊したり、自殺未遂をしたり――。

大手自動車メーカーの工場の派遣労働者だった40代の桑島圭介さん(仮名)も、瀬戸さんと初めて会った昨年8月には生活保護の利用を拒んだ。その後は所持金も底をつき、1日に袋麺を1袋食べることができるかどうかの生活。1カ月ほどたってから2度目のSOSを出した際は体重が35キロまで落ちていた。

身長160センチほどの桑島さんが、サイズの合わなくなったジーンズを引き上げながら現れたとき、瀬戸さんは驚きのあまりこう声を上げた。

「このままだったら死んじゃうよ!」

桑島圭介さん=仮名。大手自動車メーカーの工場の派遣労働者だった。実家に知られるのが嫌で生活保護の申請をためらっているうちに体重は35キロまで落ちた(撮影:藤田和恵)

桑島さんはその夏ごろからすでに失業同然の状態だったという。当時は、桑島さんのようにもともと派遣として働いていた人に加え、解雇・雇い止めに遭ったアルバイトや契約社員といった非正規労働者たちも派遣会社の募集に殺到していたのだ。

桑島さんはこう言った。

「10社以上の派遣会社に問い合わせをしました。でも、『登録をしても、仕事を紹介できるかどうか分かりません』という返事ばかりでした。電車代もなく、猛暑日続きだった8月には10キロ以上離れた面接会場まで3時間近く歩いて行ったこともあります。でも、時々日雇いの仕事を回される以外、仕事はありませんでした」

派遣会社の寮で待機している間、運がよければ派遣会社の社員が袋麵を差し入れてくれた。それ以外は水道水を飲んで空腹を紛らわせたという。

餓死寸前まで追い込まれながら、なぜ桑島さんは生活保護の申請をためらったのか。

理由の1つは、自治体の福祉事務所による扶養照会にあった。扶養照会とは、福祉事務所の担当職員が申請者の親や兄弟に対し「援助できないか」と問い合わせることだ。かつてのリーマンショックの際も、桑島さんは派遣切りに遭遇した。そのときは生活保護を申請するために福祉事務所に足を運んだという。ところが職員からの連絡を受けた両親、特に父親が激怒。ただでさえ良いとはいえなかった家族との関係は扶養照会をきっかけに悪化し、その後は断絶状態が続いているという。

桑島さんは東北地方出身だ。「実家があるのは小さい町で、(息子が生活保護を受けることに対する)世間体もあったんだと思います」と話す。

実家に連絡されるのは困るという桑島さんに向かって、瀬戸さんは「親族と長年音信不通になっている場合、扶養照会されないこともある」と説明した。そうした説得によって、桑島さんはようやく生活保護の申請を決めた。

生活保護を利用し、体重も50キロほどまで戻った桑島さん。「1日も早く生活保護を抜けたい。1日も早く働きたい」と話す(撮影:藤田和恵)

生活保護法は扶養照会を生活保護の利用要件として位置付けているわけではない。ただ、行政の現場では「生活保護費の原資は税金」という理由によって、原則、親族への通知が行われている。このため、扶養照会がネックとなって申請そのものを諦める人も少なくない。

そもそも扶養照会に効果はあるのか。

例えば、東京都足立区。2020年6月の区議会で、2019年度の生活保護の新規申請は2275件あり、このうち扶養照会によって「なんからの援助をする」と答えた親族らの世帯は7件しかなかったことが明らかになった。援助の要請に応じたのはわすか0.3%だったということだ。

一連の問題について質問した区議の小椋修平さんは「扶養照会をしても意味がないことが証明されました。(福祉事務所からの連絡をきっかけに)親族との不和や貧困の連鎖にもつながっており、生活困窮者が申請をためらう一番の原因となっています」と言い、扶養照会の抜本的な見直しを訴える。

家族に知られることの恐怖。その背景にはいったい何があるのか。瀬戸さんは「スティグマ(社会的恥辱感)だ」と断言する。「この間、ずっと生活保護へのバッシングが続いてきました。根底には生活保護を利用する人への差別と偏見があります。結果的に本当に困っている人の自立が阻害され、尊厳が否定される」と。

東京・池袋で開かれた「新型コロナ災害緊急アクション」の相談会=2020年12月31日、写真は一部加工しています(撮影:藤田和恵)

生活保護に対するスティグマは、昔からあるにはあった。一方でメディアや政治、社会を挙げての「生活保護バッシング」が巻き起こったのは2012年。ある人気お笑い芸人の母親が生活保護を受給しているという週刊誌の記事がきっかけだった。この母親のケースは、法的には不正受給に当たらない。ところが、テレビの一部ワイドショーなどが不正受給をテーマにした特集を繰り返し放送し、ネットでは「税金泥棒」「甘えている」といった誹謗中傷があふれた。一部の政治家はニュース番組などで生活保護利用者に対する蔑称であり、ネットスラングでもある「ナマポ」という言葉を平気で使い、「不正受給の多さこそが生活保護の最大の問題」といった主張を繰り返した。

しかし、厚生労働省などがまとめたデータに目を向ければ、不正受給額は保護費全体の0.4%にすぎないことがすぐに分かる。逆に、生活保護を受給できる資格を持った人のうち、実際に利用している人の割合を示す「捕捉率」は2割にとどまっている。生活保護の問題は不正受給などではなく、“受給漏れ”の多さにある――。データは、そうした事実を明確に示しているのだ。

2020年12月、厚生労働省はホームページに次のようなメッセージを掲載した。

「生活保護の申請は国民の権利です。生活保護を必要とする可能性はどなたにもあるものですので、ためらわずにご相談ください」

生活困窮者に生活保護の利用を促すもので、瀬戸さんら支援の現場で走り回る人たちは、このメッセージを好意的に受け止めている。一方で各自治体の福祉事務所に足を運ぶと、依然として事務所内の壁や申請者が座る机に「不正受給にならないために」と大きな文字で書かれたポスターが貼られていたり、利用者向けのパンフレットの表紙に「近年、不正受給の増加、医療機関への不適切な受診(略)などが問題となっています」などとことさらに利用者側の不正に焦点を当てた文言が並んでいることもある。

長年にわたって刷り込まれてきたスティグマは一朝一夕には払拭されない。

女性の自宅から少し離れた場所で車を止め、ハザードランプをつける。瀬戸さんは「『死にたくないのに、死んでしまう』という人が多すぎる」という=写真は一部加工しています(撮影:藤田和恵)

元日の夜、車の助手席で自らの窮状を打ち明けた女性は「屋根があって、鍵がかかる家に住めているのは幸せなことです」と語った。キャベツの外葉を食べて飢えをしのぎ、真っ暗な部屋で防寒着を着て眠る暮らしを「幸せ」だと言う社会。それは、差別と偏見に基づくバッシングが生みだした現実といえるのではないか。

女性は最後まで生活保護の利用に消極的だった。ただ、一度だけ女性の心が揺れたようにみえた瞬間があった。

2時間ほど話を続ける中で、女性は美術館巡りが好きらしいということが分かった。最後に行ったのは東京・練馬にある絵本作家いわさきちひろさん(故人)の「ちひろ美術館」だという。

それを聞いた瀬戸さんはこう言った。

「(生活保護のことは)焦って決めなくてもいいです。でも、僕たちはあなたに生きていてほしいと思っています。できれば温かいご飯を食べ、暖房のきいた部屋で暮らしてほしい。それから、時々は美術館にも行ってほしい」

すると、女性は少しうれしそうに言った。

「美術館……。そうですか。そんな夢みたいなことが……」。

2021年、年が明けて最初の日、東京は氷点下1.3度まで冷え込んだ。別れ際、「また連絡します」と伝えると、女性は杖に体を預けながら、私たちの車が見えなくなるまで手を振っていた。

その後、女性から生活保護を利用しますという連絡は、まだない。

つづく