タイガース不動の4番、大山悠輔が優勝して初めて明かす「謝罪から始まったプロ野球人生」
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【独占手記】阪神大山悠輔が明かす号泣の舞台裏「オレのせいでごめん…」謝罪入団から不動4番V
タイガースの18年ぶりのセ・リーグ優勝。6回胴上げされた岡田彰布監督、脳腫瘍で亡くなった横田慎太郎選手のユニフォームをかかげた選手たち、と阪神ファンである私は感動しっぱなしでした。
その中で、不動の4番、大山悠輔選手がグラウンドで人目をはばからず号泣している姿が印象的でした。
そして直後の会見では、大山選手はやはり泣きながら、こんなことを語っているのです。
実は、2016年のドラフト会議で白鴎大の大山選手をドラフト1位で指名したことはメディアやファンからは驚きをもって迎えられました。
人気だった創価大の田中正義投手(5球団が1位指名で競合)か、桜美林大の佐々木千隼投手(5球団が外れ1位で競合)の指名ではないかと見られていたからです。金本知憲監督が将来4番を打てる大型野手が必要だと訴えて大山選手を単独指名にしたといわれています。
無名だった大山選手の指名はサプライズというより、タイガースは競合を逃げたのではないかという白けた雰囲気さえ漂っていました。
ドラフト直後の11月にはこんな記事まで出ています。
記事の最後はこんな期待を込めた、しかし重圧のかかるエールで閉められています。
記者会見での「ドラフトから始まり最下位も経験した」という言葉には、こんな背景があったのですね。その大山の胸中を、優勝翌日の9月15日、日刊スポーツの独占手記が明かしています。
人気球団であるタイガースの4番は激しいプレッシャーだといわれます。活躍したらスポーツ新聞の一面を派手に飾る。しかしチャンスで打てなければ球場では激しいヤジにさらされ、負ければスポーツ新聞では戦犯扱いされる。それに耐えかねて潰れた選手も少なくありません。
その中で、大山選手はドラフト以来、格別の重圧と戦ってきました。今年はこれまで全試合で4番1塁で出場し、チームを「アレ」へと導いたのです。
大山選手、優勝おめでとうございます。そして阪神ファンのひとりとして本当に申し訳なかった、そしてこころからありがとう、と伝えたいと思います。(瀬)
日刊スポーツ2023/9/15