ジャニーズ事務所による「訴訟を濫用した報道への威嚇」がなぜ問われないのか…日本の司法界の死角、世界では大問題に
ジャーナリスト 澤康臣
ジャニー喜多川の性加害をメディアが取り上げてこなかった問題は深刻だ。ジャニーズ事務所「外部専門家による再発防止特別チーム」の調査報告書は性加害の「背景」として「マスメディアの沈黙」を挙げた。報道に関わる者なら真剣に受け止め、自問し是正しなければならない。
だが、前検事総長で弁護士の林眞琴が指揮した同チームの報告書には「死角」がある。
報道の沈黙に司法界が果たした役割だ。名誉毀損訴訟を起こされ、ダメージを受けかねないとの不安が、メディアを鈍らせた面はなかったか——実はこれは、世界中で「リーガル・スレット(法的威嚇)」と呼ばれ議論される問題だ。誤った報道の被害者を助ける名誉毀損訴訟なのに、メディアの正当な活動を止める悪用が各国ではびこっているのだ。
この1年間でもユネスコ(国際連合教育科学文化機関)や、米コロンビア大学の研究組織が報道への法的威嚇に対処するよう呼び掛ける報告書を出したが、日本の議論は低調。特別チームの報告書も、性加害を報じた週刊文春に対するジャニーズの訴訟のもたらした影響には触れなかった。
訴訟を起こす側はウソでも制裁は受けない。「強者」が濫用してメディアを威嚇
ジャニーズ問題の報告書はいう。
「2000 年初頭には、ジャニーズ事務所が文藝春秋に対して名誉毀損による損害賠償請求を提起し、最終的に敗訴して性加害の事実が認定されているにもかかわらず、このような訴訟結果すらまともに報道されていないようであり、報道機関としてのマスメディアとしては極めて不自然な対応をしてきたと考えられる」
確かに、司法によって週刊文春の性加害報道が真実と確定したのだから、報じれば良いのに何をしていたのだという批判は筋が通っているし、重く受け止めるべきものだ。これは大前提だ。
だがその上で「最終的にジャニーズが敗訴して性加害の事実が認定された」のひとことですむほどジャニーズ対文春裁判の影響は軽いのか。
私は記者時代に自分の記事が訴えられた経験自体はないが、見聞する限り、裁判になればメディア側の負担も苦しい。
記者は法務担当者や弁護士の事情聴取を繰り返し受け、取材ノートや資料を提出し、陳述書を書く。日常業務に影響が出る。そして次に社会問題の記事を出す際には「あいつは訴えられたような記者だし、大丈夫か」と疑われないか、不安になっても不思議はない。記事を正確に書けば不安はないはずという話にはならない。記事がどんなに正しくても、裁判を起こす人はいる。
実際、週刊文春によるジャニー喜多川の性加害報道は真実だったのに、ジャニーズ側は文春側を訴え、しかも一審ではジャニーズ勝訴だった。結果的に二審では逆転して確定したが、それはたまたまではないかと、あたかも裁判所をロシアンルーレットのように恐れても何ら不思議はない。ジャニーズ側が週刊文春の記事をめぐり求めた賠償額は計1億円超、一審東京地裁が命じたのは計880万円である。大きな出版社にとっても打撃だし、いわんやフリーランスや中小規模の出版社だったらどうだろうか。
ジャニーズ側はウソをついて訴訟を起こしたことで制裁を受けるわけでもない。訴訟費用はかさんだだろうが、逆に言えばそれを払う資力があり有力弁護士に伝手がある者はこうした手が使えることになる。
メディアの誤報や不当な中傷に苦しむ市民の武器として、名誉毀損訴訟の活用を否定すべきではない。だが今、私たちが目の当たりにしているものは市民に「不都合な真実」を知らせまいとする強者の武器濫用(らんよう)だ。
ジャニーズ問題へのメディアの不作為を法的威嚇のせいにして開き直るのは誤っているが、法的威嚇の問題に全く取り組まなければそれも新たな怠惰になり得る。
悪用する側に対抗する方法はあるはず
ユネスコの昨年末の報告書「表現の自由への攻撃に『悪用』される司法制度」 は、名誉毀損裁判の濫用問題を指摘する。
米コロンビア大学タウ センター・フォー・デジタルジャーナリズムとトムソンロイター財団が2023年5月に発表した報告書 も「名誉毀損法規は刑事民事のいずれも、皆の開かれた論議を妨げ、有力人物を合法的な批判から防護する壁となっている」と述べ「訴訟につながるリスクを減らそうと、自己検閲や、言われるままの謝罪文掲載を促すことになる」と警告している。
両報告書は以下のような対策も提言する。