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実現した「記者のブランディング」と失敗した「一人称記事」の実例【NHK政治マガジンの興亡⑦】

6年の歴史に幕を下ろした「NHK政治マガジン」。話題を呼んだウェブメディアは最終的には「民業圧迫」の象徴とまで言われました。どのように生まれ、どのような役割を果たし、どうして廃止されたのか。その秘話を8回にわたってお届けしています。

第7回は、記者の名前で検索されて読まれる記事が生まれた実例と、逆に失敗したケースを紹介。

ジャーナリストの須田桃子さんが、「政治マガジン」を立ち上げ、3年間編集を担当した、熊田安伸・元NHKネットワーク報道部専任部長に聞いています。


「一人称記事」でスター誕生

須田 特定の記者がヒット作を連発するというようなことはあったんでしょうか。

熊田 大反響を呼んだ記事といえばこちらですね。かなり読まれたので目にした方もいるかもしれません。2020年の1月に配信した、「ぼくは見た、国の消滅を」という渡辺信記者の記事です。彼は現在、モスクワで特派員をしていますが、実は子どものころ、親の仕事の関係でロシア、というか当時のソビエト連邦に住んでいたんですよ。その時に目撃したことを書いた記事になっています。

この記事、最初は「ペレストロイカの真実」みたいな、硬い記事で届いたんです。というのも、機密指定のかかった外交文書が30年後に公開されるルールがあって、それにまつわる記事が毎年の公開に合わせて外務省の担当記者などから出稿される。そういうものの一つだったんです。

その年はちょうどソビエト連邦の崩壊の頃の外交文書が出てきました。ただ、文書の内容を解説した記事だったわけですが、それを普通に書いても、よほど専門的な興味のある人にしか届かきません。

どうしたものかと思っていたところ、記事の一部にちらりと自分の経験が書いてあった。そこで例によって渡辺記者から詳しく聴取して、二人三脚で記事を作って行ったんです。

ネットでも話題になった部分は、10歳の頃の彼の記憶は、平仮名の「ぼく」が主語で、文体も10歳の口調です。そこに時折、文書の内容を織り交ぜながら、17歳になると主語は「僕」に。そして現在の自分は「私」として語られる。個人の視点を織り交ぜながら時代を描いたことで、最後はちょっぴりしんみりする話になりました。

須田 すごく読ませる、引き込まれる記事になっていましたよね。

熊田 実はこの主語を変えていく提案については当初、渡辺記者は「“ぼく”だなんて絶対に嫌です!」とかなり抵抗感があったようなのですが、最後は納得してくれました。

記者自身がメディア化する

熊田 これで何かをつかんだのか、彼がその翌年に書いた「天安門事件」の外交文書にまつわる記事も、個人的な経験と、文書から浮かび上がる歴史的事実を重ね合わせて表現していくことで、やはり多くの人に読まれました。

この時に驚いたのが、ネットでみんな「渡辺信記者」と名前を挙げて記事を拡散させていくんですよね。すると、「政治マガジン 渡辺信」で検索して、彼の過去の記事もどんどん読まれていった。前年のペレストロイカの記事も改めて読まれましたし、彼が関わった岡本行夫さんの訃報記事などもよく読まれました。

辛口のメディア研究者も「この記者の記事は毎回いい」と絶賛してくれました。よく「NHKは信頼できなくても〇〇記者は信頼できる」と、個人がメディア化・媒体化することが大事だと業界ではよく言われますが、まさにそれが実現できたかなと。

須田 昔いた、スター記者という感じでしょうか。

熊田 メディアの形そのものが今とは違うので、それよりはもう少しニッチな感じですけどね。ただ、一方でメディア業界では、記者がこういう形で売れてしまうと、会社を辞めて独り立ちしてしまうのでよくないと、「記者のブランディング」に否定的な意見がいまだにあります。でもそうじゃないと思うんですよ。いまの時代は信頼を得ていくことは何より大事ですし、仮に辞めてしまっても、「あのメディアに行けば独立できるほど育ててもらえるんだ」とむしろメディア企業のブランディングにつながると思っています。

まあ渡辺記者の場合は、独立するようなタイプでは全くないと思いますが。

「灰色の脳細胞」が登場

須田 政治部にもいろんな人がいるわけですね。

熊田 「NHK政治部」というだけで色眼鏡で見る人がいますが、それこそいろんな人材がいるわけですよ。

これは記者のブランディングというエピソードではないのですが、例えば報道局選挙プロジェクトの杉田淳デスクは、群を抜いて秀でていました。彼は永田町でバリバリ活躍していた政治部記者でしたが、緑内障で視力が大幅に落ち、取材の現場からは離れていました。しかしその頭脳は明晰で、さまざまなコンテンツを手掛けてくれました。

例えば「沈黙の男」中村喜四郎議員と、「茨城のドン」山口武平氏の50年にわたる確執を描いたこの記事。政治マガジン創刊から8カ月のタイミングで最初に提案してもらったものですが、普段のニュースでは知ることができない政治の実像を、深く掘り下げて興味深く書いている。これは全てを任せられる強い味方ができたと、すごく安堵した覚えがあります。実際、この記事はかなりよく読まれました。

選挙プロジェクトという立場から、地方選挙にまつわる提案を出してくれました。地方選挙の記事なんて、よほど興味がある人でないと読まないと思われそうですが、その選挙の焦点や地方での政治の複雑な絡み合いを的確に見極めて、NHKではタブーとされていた「選挙の事前報道」なども次々と提案してきました。それこそ他のメディアには全く見られないような独自の記事を量産していくことになります。

本当にいろんな記事を提案してもらったのですが、白眉はこちらでしょう。地方議員3万2千人全員にアンケートを実施するという前代未聞の大プロジェクトを行ったのです。

アンケートの回収も集計も本当に大変でした。政治マガジンでアンケート結果を報じるとともに、NHKスペシャル「崖っぷち!?わが町の議会」も制作して放送しました。さらに書籍化の話が持ち上がり、プロジェクトのメンバーの共著とはなっていますが、ほとんどの部分を杉田デスクが執筆するか、手を入れています。普段は他の記者やデスクの記事をバッサリやっている僕も、この時ばかりは杉田デスクにバッサリとやられました(笑)

一連の報道をしている時に本当に舌を巻いたのは、杉田デスクが膨大なアンケートのデータを選挙プロジェクトの記者に読み上げてもらい、その中から注目されるものをビシッビシッとピックアップしていく様です。その姿を見て、僕は彼のことを「灰色の脳細胞」と呼んでいました。

いま彼は、NHKの「Nらじ」で金曜日のキャスターを務めています。台本や原稿を読むのが簡単ではないので、これはものすごいチャレンジのように思われますが、さすがは灰色の脳細胞、そつなくこなしています。

そして彼は、障害があって投票に行けない、行きづらい人をサポートする「みんなの選挙」も立ち上げました。素晴らしい取り組みで、NHKがデジタルを縮小する中でも、公共ディアの役割をしっかり果たすコンテンツになっていると思います。

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