【諸永裕司のPFASウオッチ】「規制は被害のあとにくる」汚染地域の住民と環境省の埋まらない溝
彼女は2002年、米大手化学メーカー「3M」の工場がある米ミネソタ州に生まれた。3Mがその危険性から突然、PFOSの製造停止を宣言した2年後のことだ。そして、21歳になる2日前に生涯を閉じた。
肝細胞がんと診断されたのは15歳のときだった。彼女が通っていた高校の近くには、3Mが廃棄物を捨てたとされる場所があり、地域の14万人あまりが飲んでいた水からのちにPFASが検出された。
この高校では、2015年までの10年間で少なくとも5人の生徒ががんで亡くなった、という教師の証言が報じられている。
彼女は肝臓切除や胸部切開など20回を超える手術を受け、化学療法などに耐えてきた。
PFASと病気との因果関係が証明されたわけではないが、疑いは濃いと考えていた。
彼女の死後に成立した法律
回復の見込みがなくなった2022年、彼女は環境団体からの求めに応じて、PFASの使用を禁止する法案の成立を、と訴える。
「私は、自分が悪いわけでもないのに、有毒な化学物質にさらされてきました。その結果、私はこのがんで死ぬのです」
州議会で5回目となるスピーチをしてから5週間後、彼女は息を引き取った。それから2週間ほどした今年4月14日、法律は可決された。
それによると、同州では2025年までに一部製品、2032年までに公衆衛生上必要なものを除く製品へのPFASの使用が禁止される。また、2026年までに、メーカーはPFASを使った製品について州への報告が義務づけられた。
彼女の名前は「アマラ・ストランデ」。その名をとって「アマラ法」と呼ばれている。
「不安を煽る」と避けず、行政は正面から責任ある取り組みを
海を越えた日本でも、環境問題に取り組む人々からよく聞く言葉がある。
「規制は被害のあとにくる」
PFAS汚染の広がった地域でこの1年ほど、研究者による血液検査が重ねられてきた。
沖縄・北谷町では平均29ナノグラム(59人)。
東京・多摩地区の国分寺市では44ナノグラム(85人)。
岐阜・各務原市では64ナノグラム(100人)。
そして、岡山・吉備中央町では186ナノグラム(27人)が検出された。
しかも、このうち171ナノグラムは、「発がん性」が認められたPFOAが占めている。アメリカのデュポン工場による深刻な汚染地域に迫る数値だ。
それでも、環境省からは「不安を煽りすぎ」との声が聞こえてくる。「高い数値が出た人たちが不安になる」という懸念も耳にした。
汚染地域をどのように定義し、対象を決めるかという難題があることは理解できる。
ただ、医療界では「がん告知」が当たり前となり、データに基づいた治療を行う「EBM(エビデンス・ベースト・メディスン)」が浸透している。
たとえPFAS摂取との因果関係がわからなくても、住民には、自分の血液の中に取り込まれた毒について知る権利があるのではないか。
まして、水道水から取り込んだとなれば、汚れた水を供給してきた行政こそ、住民の血中濃度を調べる責任を負っているのではないか。
環境省のホームページによると、水俣病は公式に確認されてから、原因が確定されるまでに12年かかったという。
患者の認定をめぐる争いはいまだに続いている。環境省は、水俣病の教訓についてこう記している。
次なる課題は目の前にある。
発がん性あるPFOA汚染水で健康不安が広がっている岡山・吉備中央町で、住民の血液から衝撃的なデータが検出された。現在配信中のスローニュースでは、住民の具体例などを含め独自に詳しく報じている。
諸永裕司(もろなが・ゆうじ)
1993年に朝日新聞社入社。 週刊朝日、AERA、社会部、特別報道部などに所属。2023年春に退社し、独立。著者に『葬られた夏 追跡・下山事件』(朝日文庫)『ふたつの嘘 沖縄の密約1972-2010』(講談社)『消された水汚染』(平凡社)。共編著に『筑紫哲也』(週刊朝日MOOK)、沢木耕太郎氏が02年日韓W杯を描いた『杯〈カップ〉』(朝日新聞社)では編集を担当。アフガニスタン戦争、イラク戦争、安楽死など海外取材も。
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