調査報道大賞④厳しい環境でどうスクープを出したのか 選考委員特別賞
「調査報道大賞2022」の受賞式が9月2日に開かれました。選ばれた報道は何が評価され、受賞者たちはどんな取材の苦労や思いを語ったのでしょうか。今回は選考委員特別賞を受賞した2つの地方メディアの報道から。選考委員による講評と、報道にあたった当人のことばのほぼ全文を、こちらで公開します。
『中国新疆ウイグル自治区の強制不妊疑惑などを巡る調査報道』西日本新聞 坂本信博
講評: 西田亮介さん
「新聞が置かれている難しい環境の中で、リスクを伴うテーマに取り組んだ」
皆さんご承知の通り、日本において新聞社というのは独自の発展をとげ、また50年の歴史にわたって、報道とジャーナリズム、その主役として重要な役割を担ってきた存在であり、また担われている存在だと考ております。そうでありながら今、新聞社を取り巻く状況は大変厳しいものになっていると考えております。過去10年で新聞の総発行部数で言えばおよそ8割になり、社員の数もやはり8割程度に減少しております。
広告費で見ても、広告費の落ち込みというのはすごくて、5割に近づいている状況でございます。そのような状況でありながら、日本において地方から挑戦的で新しい調査報道に取り組まれているということ、大変素晴らしいことだと感銘を受けました。
特にデジタル化の中で、地方紙も全国紙も世界のメディアもフラットになってきている状況でございます。その中で、地方における新聞記者の方が新疆ウイグルに関する問題に取り込まれ、特に中国における人権弾圧の問題については世界的に高い関心が集まっている対象で、同時に扱うことすら大きなリスクを伴うテーマです。このような難しいテーマに対して、中国という権威主義国家があって、隣に自由民主主義社会の日本があって、調査報道を通じてその橋梁としての役割を西日本新聞の皆さんが果たしていただきました。その挑戦の価値は伝統的な地方紙の役割を大きく超えると確信します。
ますますこの難しい状況の中でも新聞報道を――新聞報道を紙にとどめておく必要はないわけで、それを日本に、世界に展開していただきながら――ますますのご活躍とご発展を心より願うとともに、簡潔ではございますが講評の言葉とさせて頂きたいと思います。この度のご受賞、心よりお喜び申し上げたいと思います。
受賞のことば:坂本信博さん
「中国当局のオープンソースを利用。海外メディアの記者が報じ続けることで現地の状況の改善を」
「歴史的にも地理的にも日本で最も中国に近い九州のローカルメディアの特派員として、中国の光も影も読者に伝えたい」その思いで、この2年間、中国の地で取材に取り組んでまいりました。その中で挑んできたのが、今回、表彰していただいた中国新疆ウイグル自治区の人権状況をめぐる調査報道でした。
この問題について、中国当局は一貫して反中勢力のでっちあげと全面的に否定をし続けていました。そうであるならば、中国当局自らの公式統計を読み解くオープンソース調査報道で新疆で何が起きてるのかに迫ろう。そう考えて取り組んできました。
私の肩書きは西日本新聞中国総局長となっていますが、実際には記者は私1人しかおりません。約20年分の不妊手術の件数や人口データなど膨大な資料を読み解く必要があり、作業量の多さに呆然とした時もありました。ですが、1つ1つの数字の向こう側に1人1人の人間がいるんだと思い直して自分を奮い立たせてきました。
中国の地にも、中国のメディアにも、調査報道に取り組む人がたくさんいます。ただ、報道が統制され言論の自由がないこの国だけに、こうした問題については我々海外メディアの記者が報じ続けることで現地の状況が少しでも改善されたらと願っています。
一連の取材報道を一貫して支えてくれた私の前任の北京特派員で、前国際部長の川原田健雄さんをはじめ、会社の仲間たち、そして家族に改めて感謝したいと思っております。
今月末で、日本と中国は国交正常化50周年の節目を迎えます。お互い引っ越しできない隣人として、言いたいこと、言うべきことを言い合える是々非々で付き合える関係を築くためにも、見えにくいものに目を凝らし、聞こえにくいものに耳を澄ます報道に、これからも取り組んでいきたいと思っています。私自身の北京特派員としての任期は、残すところ1年となりました。この時に、このような素晴らしい賞をいただけたことは、本当に励みになります。改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。
『すくえた命~太宰府主婦暴行死事件~』テレビ西日本
講評: 長野智子さん
「警察と距離が近いはずの地方局が追及をやりきった姿勢に感動」
大宰府主婦暴行死事件をご存知のない方もいらっしゃるかもしれないですが、1人の子どもがいる本当に普通の主婦の方が、犯人の男女によってお金をむしり取られ、凄惨な暴行を受け、挙句の果てに家を出て彼らと住むようになり、最終的に大変な暴行を受けたまま殺されてしまう。その間にですね、家族たちが佐賀県警に何度も被害届を出そうとするんですが、佐賀県警は対応せず受理せず、そしてその中で亡くなっていったと。テレビ西日本の皆さんは、これは絶対に救えた命だったとものすごい執念で何回も放送されて、キャンペーンを打って、佐賀県警を追い詰めていったスクープです。
被害届を受理しないで殺された事件といえば、私、2000年に桶川ストーカー事件を鳥越俊太郎さんと取材していて、完全にデジャヴというか、まだ警察こんなことやってるのかって、思わず見てたとき言ってしまったんですけど、そうしたらテレビ西日本の方が猪野さん(桶川ストーカー事件の被害者)のお父さんの憲一さんのこともちゃんと取材していて、「まだ警察はこんなことやってるのか」とその時おっしゃっていて、本当にそうだよねって、見ながら悲しくなってしまいました。
この報道の何がすごいなと思ったかというと、私はその2000年代中心に冤罪事件だとか、警察とか警察の裏金とか結構取材するときに、やっぱり地方局の方ってすごく警察と関係が近くて、「そういうことをやると情報がもらえなくなるから、東京さんやってください」って言われることがすごく多かったり、あるいは私たちが取材に行くと、「僕たち知らないふりしてますから、勝手にやってください」って、警察には「あれは東京から勝手に来てやってる」みたいなことをよく言われて。多分すごく大変なことだったと思うんですね、ローカルでこういうふうに警察を追及していくっていうのは。そこをもう本当にしっかりと問題を突きつけてやり切った姿勢に感動しました。大変なことだったと思います。
さらに言えば、テレビメディアならではというか――まだ謝ってないんですよね、佐賀県警。問題はないって言い続けてるんですけど――唯一、謝罪した幹部の人を記者が追いかけ回していて、県警の言ってることとずれてるけどどう思うんだと、あなたはもしかして佐賀県警の正義じゃないのかって言って。彼は答えないんだけど、最後に彼の去っていく背中で終わるという。もう見てて積もり積もった怒りとかそういうものが、あの背中を見て本当にもどかしいと同時に切なくなって、悔しくてって、感情を喚起されるのが映像メディアならでは。最後の終わり方も視聴者にこういう伝え方ってあるんだなって。もう今テレビが元気のない時代に、本当にテレビ放送がこうあるべきだって、素晴らしい作品だと思います。おめでとうございます。
受賞のことば:テレビ西日本 塩塚陽介さん
「素晴らしい報道をしても、見てもらえなければ意味がない。どうすれば見てもらえるのか」
長野さんにおっしゃっていただいた通り、なかなか難しい事件というか、もう事件概要を聞くだけでも頭が混乱するような事件でした。
被害者のマインドコントロールや警察の対応の問題など、非常に複雑な事件。当時はこの会場に来ている西川(剛正)が県警のキャップで私がサブキャップだったんですが、ご遺族からお話を伺った当初は「これはそもそも形になるのか(放送できるのか?)」という疑問がありました。というのも、ご遺族のお話をずっと伺い続けていましたが、事件概要が非常に複雑すぎて、これは果たして視聴者に理解してもらえるのだろうか。逆にテレビの特性というものがハードルのように感じていました。
以前から私がテレビ報道やドキュメンタリーに感じていたことがあります。それは「いくら素晴らしい報道をしても、見てもらえなければ意味がない」ということです。国民生活にとっては実は大変な問題であっても中身がセンセーショナルでないと視聴者の興味を惹けなかったり、素晴らしいドキュメンタリーでも放送時間が深夜だったりと…。そのジレンマをテレビ局はいつも抱えているように思います。そこでウチの局としては異例ではありましたが、やるならゴールデン帯でやろうという話になりました。でも、この複雑な話をどうすれば老若男女に見てもらえるのか悩みました。
そして出した結論は、ドキュメンタリーとしてはタブーと言われている再現ドラマを作るなどして、誰が見てもわかるように佐賀県警の不作為、主張の矛盾を明らかにしていこうということになりました。こうした方法を駆使して制作したところ、地上波、YouTube含めて、老若男女の視聴者の方々に視聴いただき、非常に多くの反響をいただきました。世論を喚起できたという結果を見ますと王道とはいえない作り方だったとしてもこの方法は正しかったと思っています。
「警察を擁護していた記者クラブのメンバーの気持ちを揺すぶることができて、初めて報われたと感じた」
もう1つ感じたことは、記者クラブというものの存在意義です。――もちろん私自身も所属していたこともあり、速報性などにおいて恩恵は受けてきたのですが――やっぱりこういうこと(警察に問題)が起きたときに記者クラブが機能不全に陥るということを今回の事件で目の当たりにしました。警察幹部は、所属している記者に対してあることないこと「自分たちが悪くない」という風にいろいろ言っています。私と仲のいい、仕事ができる他社の記者でさえ「被害者っぷりが悪い」と言い出すほど情報が偏りました。私は証拠などを基に事案をずっと追いかけていましたので「何を都合のいいことばかり言ってるんだ」と怒りを感じる部分が多々あったんですけども、県警だけではなくて、記者クラブまでもが僕らを排斥するといいますか……「テレビ西日本は訳わからないこと言ってるよね」ぐらいの感じのことがずっと続きました。警察は貴重な情報源であるがゆえに問題が起きたときに権力の監視ができなくなるという記者クラブの弊害も感じました。
そんな中、報じ続けて良かったと思うことがその後ありました。僕らが太宰府事件を報じて1年後に、同じ鳥栖署の管内で、民家の庭先で高齢女性が殴打されて殺害されるという事件が起きたんです。しかし佐賀県警は司法解剖に回すまでに3日も放置し、殺人事件と断定できませんでした。それだけでなく、事件の可能性は大いにあったにもかかわらず、一切広報をせず、周辺住民にも注意喚起をしませんでした。殺人犯が逃げているにも関わらずです。結局、数日後に長崎県の大学生が自首をしたことで事件とわかり、ようやく広報しました。それを追及された佐賀県警の言い分は、まさかの太宰府事件の時と全く同じ「当時は事件性の判断ができなかった」というものでした。
これに太宰府事件の時は静観していたような社もようやく怒ったんです。「なぜ太宰府から学ばないのだ」と。調査報道において被害者やご遺族の無念を晴らすことや県警の不作為を明らかにすることが第一の目的でしたが、それと同時に警察との関係維持のためにやるべきことをやらない記者たちに苛立ちや虚しさを感じていましたから、ちゃんと気持ちは揺さぶっていたんだと思えた時にようやく報われたと感じました。
大変栄誉ある賞を頂き光栄に思います。あのような事件が起きないことを1番望むんですけども、引き続き権力の監視など報道機関に求められていることを社として頑張っていきたいと思っております。ありがとうございました。
(次回は大賞受賞者のことばを掲載します)