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医療や健康をめぐる問題

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美容外科による極秘のがん治療の問題など、独自の取材による記事をはじめ、医療や健康をめぐる報道をまとめています。(睡眠時無呼吸症候群の医療器具CPAPをめぐる問題は別のマガジンにま…
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#下山進

承認された東大医科研のG47Δ     その治験は有効性を証明してなかった!

「画期的ながん治療」とメディアで持ち上げられる東大医科学研究所のG47Δ(デルタ)は、実はその治験で有効性を証明していないと規制当局に判断されていた。6月17日に発売になった『がん征服』は、その衝撃の事実のみならず、なぜそれではそうした薬剤が承認されたか、という疑問から、法改正の裏側まで詳らかにしている。ノンフィクション作家の下山進が書く『がん征服』執筆の作法、その最終回。 ノンフィクション作家 下山進 審査報告書の記載に衝撃<GD01試験の試験デザイン、閾値の設定等には

三木谷浩史がのめり込む光免疫療法  開発者は辺境の化学者だった

光免疫療法を開発したNIH(アメリカ国立衛生研究所)の小林久隆は、京大の放射線の核医学科をいわば破門されたはぐれ科学者だったという。『がん征服』を上梓したノンフィクション作家の下山進が披露するノンフィクションの作法その第3回。 ノンフィクション作家 下山進 愁眉を開いた光免疫療法開発者との出会い『がん征服』で最初に取材ができたのがBNCTでした。しかし、「膠芽腫(こうがしゅ)」への薬事承認で、このBNCTを追い抜いたかに見えた遺伝子改変ウイルスG47Δ(デルタ)を開発した

米国で生まれ、日本が引き継いだ   奇想天外な治療法を追う

平均余命15カ月。もっとも予後の悪いがん「膠芽腫(こうがしゅ)」を主人公にした科学ノンフィクション『がん征服』を上梓したノンフィクション作家下山進が明かすその方法論。第2回は、本の3本柱のうちのひとつである原子炉・加速器を使ったBNCT(ホウ素中性子捕捉療法)について。   ノンフィクション作家 下山進 開発のきっかけは1936年の論文<2002年1月23日のその日の大阪は未明から降り始めた雪でうっすらと雪化粧をまといはじめていた> プロローグ「覚醒下手術」に続く第1章

開頭した患者を覚醒させ、がんを切除。「究極の手術」からドラマは始まる!

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悲劇の科学者 ラエ・リン・バーク 後編

取材・執筆:下山進  リサ・マッコンローグは、ラエ・リンの口からその病気のことを告げられた。  ラエ・リンは、まず職場の上長にそのことを報告している。  すると上長は、「残念だが退職してほしい」。だが、すぐにではない。ラエ・リンが申請してすでに支給されていた研究費のプロジェクトが続いている間は、在職してほしい。しかし、研究所の中では、病気のことを言ってはいけない。そう言われた。  ラエ・リンがアルツハイマー病だとわかると、グラントの支給が打ち切られることもありうるとい

悲劇の科学者 ラエ・リン・バーク 前編

取材・執筆:下山進  財前五郎は、「癌の専門医が自分の病状の真実を知らないでいるのはあまりにも酷だ」と内科医里見脩二に訴え、その病名を知る。ラエ・リン・バークの場合、最初に気がついたのは彼女自身だった。  科学者であるラエ・リンは通勤のドライブの最中いつも簡単な数学の問題を頭の中で解くことを趣味としていた。ハンドルを握りながら、簡単な掛け算をくりかえす。そうすると心が落ち着いてくる。  ところが、その日はごく簡単な計算ができないのだった。勤め先のSRIインターナショナル

がん新薬誕生 最終回 世界のどこかで誰かが

取材・執筆:下山進  免疫細胞ががんを攻撃することは知られていた。だから、以前の免疫療法というのは、免疫自体の力を強めようとした。  たとえば患者の骨髄からリンパ球をとってきて、免疫細胞を刺激して活性化させ、それをもとに戻す。そうすると熱がでる。つまり免疫が働いている。しかし、こうした方法では大規模治験をしても、結果はでなかった。  ノーベル賞を受賞することになる京都大学の本庶佑の研究が画期的だったのは、がん細胞が免疫細胞を回避しているメカニズムを探ったことにあった。が

がん新薬誕生 第4回 甲状腺がん治験第三相

取材・執筆:下山進  甲状腺はヨウ素をとりこみ甲状腺ホルモンとして分泌する器官だ。だからそこが「がん」におかされたときには、ヨウ素131を飲む治療が行われる。ヨウ素131は、半減期が7日で、その際に微弱な放射線を出す。この放射線を使ってがんを叩くというわけだ。だから、この治療をうける患者は、アイソトープ室という鉛の壁で覆われた放射能を外に出さない病室で、3、4日過ごす必要がある。  パリ南大学の難治性甲状腺がん関連センターの医者マルティン・シュルンベルジェにとっても、第一

がん新薬誕生 第3回 化合物選択

取材・執筆:下山進  プロジェクト名をHOPEと名づけた2000年4月の段階で、すでに化合物は絞られつつあった。  船橋泰博はプロジェクトリーダーであったが、最終的な化合物選択は、合成のチーム長であった鶴岡明彦にまかせることになる。  というのは、翌年の9月に船橋はコロンビア大学の産婦人科に留学することになっていたのだ。船橋は、ここで、新しい作用機序の薬をつくるつもりだったが、船橋のもとで働いている研究所の所員が、どうしても労働過重になってしまうことから、船橋を筑波の研究所

がん新薬誕生 第2回 薬をつくることを諦めないでください

取材・執筆:下山進  合成化学者の仕事は、テーマが決まると、まず論文を読むことから始まる。血管新生阻害剤の場合は、理論を提唱したフォークマンの1971年の論文から始まり、健常細胞に血管をつくらせるファクターXのうちのひとつを最初に特定したナポレオーネ・フェラーラとウイリアム・ヘンゼルの論文。さらに、この理論にもとづいて創薬にとりくむ他社が、特許を取得した化合物についての書類一式を、知的財産部からとりよせる。  一年から一年半、エーザイの筑波研究所にある図書室に通って、日が

がん新薬誕生 第1回 万に一つの可能性にかける

取材・執筆:下山進  化学式のなかに、美しさがあるのだ。  これまでに存在していなかった分子式の物質を化合する。それが合成化学者の仕事だ。  1990年に千葉大学大学院薬学研究科からエーザイに入社した鶴岡明彦(つるおか・あきひこ)は、現在グローバルで年間1923億円、エーザイの全売上の4分の1を占めるがんの薬「レンビマ」の化学式を見るたびに美しいと思う。  ヒットする薬の化学式は抗アルツハイマー病薬のアリセプトにしても、レンビマにしても、シンプルで美しい。  鶴岡の

原子炉・加速器で癌を治す 最終回 三人の旅人

取材・執筆:下山進  高槻は、京都と大阪の中間に位置する。大阪医科薬科大学(2021年4月大阪医科大学から名称変更)は、阪急高槻駅のすぐ前にある。JRの高槻駅からも10分ほどだ。このキャンパスの一角に関西BNCT共同医療センターはある。2021年9月14日、オープンスペースの会議室で、工学部の学生に対してBNCTを説明する会がもよおされていた。 「この患者のかたは料理人で、嗅覚が失われるからと、手術を拒否。BNCTの適応をうけた」  BNCTを求めてくる人は、治療の効果

原子炉・加速器で癌を治す 第5回 承認

取材・執筆:下山進  福島にある南東北BNCT研究センターには全国から、頭頸部癌の患者が集められた。切除不能の再発頭頸部癌か、切除不能の進行性の頭頸部癌の患者のみがこの治験に参加できる。  21人の患者が集められ、ステラファーマのホウ素剤と南東北BNCT研究センターにある住友重機の加速器でBNCTを受けるフェーズ2の治験だ。  これは比較対象群のないいわゆる「シングルアーム」の治験だ。だから「切除不能の再発頭頸部癌か、切除不能の進行性の頭頸部癌の患者」という厳しい条件が

原子炉・加速器で癌を治す 第4回 治験

取材・執筆:下山進  アルゼンチンでBNCTを国家的プロジェクトとして進めようとしていたアマンダ・“ マンディ”・シュイントは、2000年代の国際学会での日米の研究者の対決を今でも思い出す。  2000年代を通じてアメリカの研究者は日本のやりかたに常に批判的だった。  彼らの批判のポイントのひとつは、日本の臨床研究は、背景がそろっていないので、評価のしようがないということだった。  ある日本人の研究者が学会で発表した際に、アメリカの研究者はこう批判した。 「その臨床