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【フォトルポ】そこには今も言葉を失う景色があった…何も知らない自分が情けなくて、何度も立ち尽くした

「現地で食事をとれないと思うので、今日明日の食糧を調達しましょう」

その言葉に、はっとさせられた。
そうだ、半年たったとはいえ、被災地に向かうのだ。輪島や珠洲では、まだ水もままならない場所もあり、コンビニだって、食堂だって、ほとんど営業再開できていない。自分たちの食糧ぐらい調達していかないと。現地で迷惑をかけてしまうことにだってなりかねない。

そこまで思いがいたらなかった。自分の想像力のなさを恥じた――。

たったの1泊2日で撮った写真は数百枚にのぼった。なぜ撮ったのか、それは語る言葉を失うほどのものを見てしまったからだ。

河瀬大作

日常が戻った金沢から、日常が奪われた場所へ

6月末、能登へと向かった。

現地へと赴くきっかけを作ってくれたのは、一緒に被災地支援の一般社団法人・FUKKO DESIGNをやっている木村充慶だ。発災直後から、支援の糸口を掴むために何度か現地に入っていた。

金沢までは新幹線、そこからはレンタカーを借りた。
金沢市内は、多くの観光客で賑わっていた。そこには日常に戻った風景があった。

金沢から輪島市や珠洲市までは2時間半ほどかかる。まずは腹ごしらえをと、この地域のソウルフードである「8番ラーメン」で少し早めの昼食。やさしい味のラーメンを啜りながら、1泊2日のスケジュールを木村と確認する。

能登半島を北上する前に、立ち寄りたい場所があった。金沢から車で30分ほどの内灘町だ。金沢からは車で30分ほど。今回の地震で大きな被害を受けた地域のひとつだ。

まずはスーパーに立ち寄って、現地での食事を調達することにした。

とんかつ弁当におはぎ、カップヌードル。これくらいあれば足りるだろうか。

液状化のすさまじい爪痕

「このあたりは埋め立て地が多くて、液状化による被害が顕著な場所です」

その光景は想像以上だった。道路はぐにゃぐにゃに隆起していて、家も、塀も、電柱も、地上にあるものの多くが傾いており、平衡感覚がおかしくなる。

家々は右に左にと見た目に分かるほどに傾き、家の前の階段は地上から浮き上がっていた。

どこまでいってもこの調子だ。平衡感覚がバグるような光景が続く。

ある神社にたどり着くと、鳥居も、狛犬も、グラリと傾いている。それを見て木村がつぶやいた。

「前に来た時と比べ、随分と片付いています。少し安心しました」 

地震直後はいかほどの状況だったのだろう。大きな災害がおきれば、人の営みはいとも容易く壊れてしまう。

FUKKO DESIGNを始めてからのこの5年間、地震や津波、そして風水害により、被災地が増えていく。こうした傷ついた地域が復興していくには、時間もかかる。そんなことをぼんやりと考えながら、すさまじい無力感に囚われる。

能登へと向かう道路では、完全開通を目指して工事が続けられていた。橋が落ちた箇所、道路が隆起した箇所、地震直後の状況を想起させる場所が至ることにある。段差がある箇所も少なからずあり、時折ドンと車が跳ね上がる。

本格再建できない牛舎、背景には「補助金」事情

いくつかの牧場を回った。どこも牛舎は壊れたままだった。

屋根にブルーシートを敷いたり、これ以上傾かないよう筋交(すじかい)で補強したり、応急処置をしながら、牛を飼育していた。

能登町の西出牧場も、そんな牧場の一つだ。

本格的な修繕に踏み切れないのには、実は理由がある。

補助金のあり方だ。壊れた牛舎をそのまま直すなら、9割以上の補助が見込めるが、新しい搾乳機を導入したりなど新たな改修を行うと補助は5割となってしまうのだという。

せっかく直すのであれば、老朽化した設備などは刷新したほうがいいに決まっている。しかしそれだと補助金がかなり減ってしまうのだ。

牧場主たちは、補助金のあり方について、県と折衝を続けていくという。この牧場の代表の西出穣さんもそんな事情から、再建に踏み出せないでいた。 

クラウドファンディングを始めた牧場主

珠洲市にある松田牧場の牛舎は、大きく傾いたままだった。

筋交を噛ませることで、牛舎をなんとか持ちこたえさせている。牛舎の修繕のためには、補助金の制度を使っても、7000万円近い自己資金が必要になるという。

そこでこの牧場の代表、松田徹郎さんは、6月24日からクラウドファンディングを始めた。目標はまずは3000万円だ。

これほど大きな金額の寄付を募るには相当の覚悟がいっただろう。もし興味がある方はリンクを貼っておくので、ぜひみてほしい。

死んだ牛が放置されたままの牛舎も

地震によって道が閉ざされてしまい、孤立してしまった牧場もある。ようやく道が通れるようになったというので訪ねてみることにした。

未舗装の林道を進んでいくと、ところどころ新たな崩落があり、そのたびに車から降りて石を退けた。

牧場には人気はなく、建物は倒壊したままになっていた。

「地震で牛舎の屋根が落ちて、牛が何頭か死んだんですよ。生き残った牛も出ることができず、そこで餓死しちゃったんです。一頭だけ外に出られたみたいなんですが、それも行方知らずだって聞いています」

すでに何度も能登に足を運んでいる木村の説明を聞きながら倒壊した牛舎に近づくと、強烈な腐臭がした。

わずかな隙間からは牛の亡骸が見える。思わず手を合わせた。

牛舎を離れ、珠洲の市街地へ。途中で名勝の見附島を望む海岸に寄った。その形から「軍艦島」とも呼ばれる地元のシンボルは無惨に崩れ、大きく姿を変えてしまっていた。

このあたりは津波も襲来した。その爪痕も残ったままだ。

市街地に近づくと、次々と倒壊した家が視界に入る。

半年たっても倒壊した家がそのままだ。持ち主の確認ができずに公費で解体できないケースもあると報道されているが、まだまだ人手が足りていないという事情もあるのだろう。

ボランティアセンターに姿を変えた宿泊施設

その日、宿泊したのは輪島市にある「のと復耕ラボ ボランティアBASE三井」。もともとは「里山まるごとホテル」という宿泊施設だった。

しかし今は、能登にボランティアにくる人々の受け入れを行い、民間のボランティアセンターの機能を果たしている。

なるべく多くのボランティアを受け入れられるよう、敷地内どころか、室内にまでたくさんのテントが貼られている。

水は出るようにはなったが、浄化槽が使えず、仮設トイレが設置されている。最近、お風呂も設置された。

代表の山本亮さんは、この半年間ボランティアを受け入れ、そしてこの地域がどのように復興してくべきか、考え続けてきた。

今回の震災で取り壊される家屋の中には100年、200年も前に建てられたものも少なくない。しかしこのままだとただ廃棄されてしまうことになりかねないと、古材のレスキューする取り組みを始めようとしている。また、まだまだボランティアの数も足りていないので、受け入れを続けていくという。

ボランティアをしたい、泊まってみたい、という人はこちらのリンクから。

一つ星シェフが輪島の料理人仲間と復興居酒屋を

翌日、ある人物に会うために、再び車を走らせた。
道路わきの斜面は、まだ崩落した状態のままになっている。

いいニュースもある。仮設住宅がどんどんできており、希望者の入居がはじまっている。スーパーや商店も再開しているところも出始めている。

会いたかったのは、能登にこだわってフレンチ・レストランを続けてきた、シェフ・池端準也さんだ。ミシュラン一つ星を獲得したお店・ラトリエ ドゥ ノトは全壊、今も休業中。池端さんは震災直後から、避難所で暮らす人々のために炊き出しを行うなど、精力的に復興のために尽力している。

ぼくらがお邪魔したときは、新たな取り組みの準備に追われていた。地元の料理人仲間たちと居酒屋「mebuki」を開業するのだ。

コロナ禍で廃業した店舗を買い取った。そこから、復興の狼煙をあげるのだという。

すでに事業は動き出していて、ぼくらがお邪魔した時には、避難所のためのお弁当の仕込みを行っていた。

池端さんたちもクラウドファンディングを始めている。リンクを貼っておくので、ぜひ覗いてみて欲しい。

言葉を失う、朝市通りの惨状

「朝市通り」周辺は、今もガレキが積み上がっていた。地震のあと、火災が発生し、広範囲に燃え広がった。能登の顔ともいえるこの場所が1日も早く復興することを願う。

今回の旅で、ぼくは何度も言葉を失い、立ち尽くした。

能登は今なお「復旧」の道半ばにあった。何も知らずにいた自分があまりにも情けなかった。だからこそ自分にできることをやらなきゃと思った。それは、多くの人に、傷ついた能登の姿を知ってもらうことだ。

そのうちの何人かが、能登に関心をもち、なんらかの形で関わってもらえたら。ボランティアに参加する。能登の商品を買う、クラウドファンディングに寄付をする。なんでもいい。ちいさなことでもいい。人々の善意のスイッチをオンにするきっかけを作りたい。

そんなことを考えながら、みたものをできるだけ記録した。

今回の旅で撮った写真は数百枚にのぼった。

金沢から東京に戻る新幹線のなかで、撮った写真の整理をした。
その1枚1枚を見返していたら、あっというまに東京に着いた。

改札を通って、外にでると、八重洲のビル群がみえた。 その瞬間、ふっとある”思い”にとらわれた。南海トラフ地震がおきたら、ぼくらはどうなろうのだろう。東京中の建物が倒壊し、あちこちで火の手が上がり、スマホは通ず、水や食料も足りず、東京を脱出するにも大渋滞だし、電車は動かないし…と想像の連鎖が止まらなくなってしまった。

その場で立ち尽くし、しばらく動けなかった。

近い将来、東京にも大地震におこる可能性が高いといわれている。 被災地でおきていることは、決して他人事ではない。僕らに今、必要なのは2つ。それは、現実を知ること、そして想像力をもつことだ。

能登のことを、もっと知りたい。
また近く訪ねたい。

河瀬大作(かわせ・だいさく)

TVプロデューサー 2022年にNHKから独立。「有吉のお金発見!突撃 カネオくん」などの番組制作を続けながら、SmartNews+編成統括に就任するなど、国内外のプロジェクトに参画。株式会社Days 代表。被災地の復興を考える「FUKKO DESIGN」代表理事。https://daysinc.jp