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8月15日は本当に終戦記念日か?「エモい戦争報道」に決別するため、あえて「九月ジャーナリズム」を提唱する

あふれるニュースや情報の中から、ゆっくりと思考を深めるヒントがほしい。そんな方のため、スローニュースの瀬尾傑と熊田安伸が、選りすぐりの調査報道や、深く取材したコンテンツをおすすめしています。

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8月15日に終わった戦争などない 「平和報道は9月にシフトを」

まもなく8月を迎えます。8月15日の終戦記念日を節目に、8月になると新聞には戦争を振り返る報道があふれます。こうした傾向は、「八月ジャーナリズム」とも揶揄され、批判もあります。

この八月ジャーナリズムに対して、それに批判的な立場から、上智大学の佐藤卓己教授があえて「九月ジャーナリズム」を唱えています。朝日新聞の7月26日づけインタビューもそのひとつです。

佐藤さんは、そもそもポツダム宣言を受諾した「8月14日」でも、降伏文書に調印した「9月2日」でもなく、なぜ8月15日が終戦記念日なのかを、さまざまなメディア、記録から検証し、日本にとっての「終戦」の意味を問いかける、『八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学』をいう名著をものしています。

写真の出典などを徹底的身検証したこの本は、戦後を考える意味でも、あるいはリテラシーとなにかを体験する意味でも、必読です。文庫化された増補版には「九月ジャーナリズム」の提言についても触れられています。

この本で気付かされるには、人間の記憶だけではなく、記録もどんどんあとから「創られた記憶」に書き換えられていくという事実です。たとえば終戦直後にすられた号外は予定校であり、また皇居で土下座する写真もヤラセであったことを、佐藤さんは検証していきます。

佐藤さんは、今回の朝日新聞のインタビューでも、「8月ジャーナリズム」の戦争回顧の報道を調べていく、いかに『創られた記憶』が多いかに驚くとして、こう警告します。

 通常の報道をする際には当たり前の真偽の検証すら不十分という点で、8月ジャーナリズムは『ジャーナリズム』の名にも値しないものが少なくありません。昨今、ネット上の『エモい』記事に対する批判が高まっていますが、伝統芸能化した8月ジャーナリズムの多くも、残念ながらそれに陥ってしまっている

佐藤さんが、記念日もふくめて終戦報道にこだわるのは、それが「戦前」と「戦後」を断絶したものとしてとらえるうえで、左にも右にも便利に使われてきたからです。そのうえで、国際社会から切り離された価値観が、とくに最近の「歴史戦」ともいわれる状況では、弊害が大きいからです。

「戦前と戦後の断絶を設定する『8.15神話』は、両者の連続性を隠蔽(いんぺい)する効果をもたらしてきました。その意味で、8月ジャーナリズムは『戦争の記憶』ではなく、『戦後の忘却』の上に存在しているのです

こう語る佐藤さんのインタビューを読んで興味を持った方は、ぜひ本のほうも手にとっていただきたいです(瀬)