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日本政府が「存在しない」と言い続けた沈没船・浮島丸の名簿、事故から79年たってジャーナリストが存在を突き止める

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「浮島丸事件」がミステリー化した元凶、日本政府が「ない」と言い続けた乗船者の名簿が見つかった 79年後に開示された資料が語るもの

今から79年前、戦争終結直後の1945年8月24日に京都府の舞鶴港で爆発し、沈没した日本海軍の輸送船「浮島丸」。日本政府は、爆発の原因は米軍が敷設した機雷に触れたためだと発表。乗船者は朝鮮人3735人でうち524人が死亡、乗員は255人でうち25人が死亡としていました。

しかしこの事件、死没者名簿は存在するのに、日本政府は乗船者名簿は「ない」と言い続けてきました。そのせいもあって、韓国では本当の乗船者数は「6千人」「8千人」で、日本政府が真相を隠しているという疑惑が取りざたされ、自爆説まであります。

その乗船者名簿が、実は存在した、というのです。

共同通信の記事によると、見つけたのはジャーナリストの布施祐仁さんです。布施さんは防衛省による「日報隠蔽」にも関わった、情報公開のスペシャリストです。

過去の国家賠償訴訟でも、乗船者名簿の開示は何度も求められましたが、政府は存在を否定してきました。

布施氏が2023年末に厚生労働省に浮島丸に関連した文書の開示請求をしたところ、「名簿」と名の付く文書が複数あることが判明。海軍や企業がそれぞれ作成したもので、共同通信とともに分析したところ、混乱の中で乗り込んだ人を含めると、乗客数は4000人余りと推察され、日本政府の発表と齟齬はないことがわかりました。

それにしても、このところ公文書がどんどん破棄されることが問題になっているのに、政府が存在を否定した名簿が廃棄されずしっかり残っていたのは幸いです。記事には、こんな感想も書かれていました。

合わせて20以上の開示文書を読み込んだ私たちの正直な感想は「敗戦直後の混乱の中でも、大日本帝国の末端部署は、きちんと記録を残す努力をしていたんだな」というものだった。緻密に一人一人の名前が記されており(黒塗りで見えないが)、文書主義の官僚の仕事が分かる。

都合が悪くなると廃棄してしまうのではなく、歴史修正主義に対抗するためにも、公文書の存在は重要です。そして何より、不完全なものであったとしてもそれを公表して説明責任を果たすことも大切です。

厚労省は取材に対し、「乗船者名簿とは、戦前の商法により『乗船の際に作成し船に備え置くもの』と規定されています。それは沈没とともに失われているので、乗船者名簿は存在しません」などという回答をしていますが、明らかに屁理屈であり、そうした姿勢こそが疑惑と不信感の原因になっているとどうして気づけないのでしょうか。

それにしても今回出てきた名簿も乗船客の名前は「黒塗り」だったそうです。個人情報を理由にしていますが、79年前の事件であり、当時の生存者の多くもすでに亡くなっていることでしょう。個人情報保護法は死者の情報を保護の対象とはしていません。そもそも、公開を望んでいるのは当時の生存者や遺族側で、保護もなにも当事者が情報を出してほしいと言ってきたわけです。こうした対応にも、また新たな不信感を抱いてしまいます。(熊)

(47NEWS 2024/6/2)


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