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東北を圧倒した「大谷翔平を超える天才投手」はなぜ若くして消えてしまったのか

あふれるニュースや情報の中から、ゆっくりと思考を深めるヒントがほしい。そんな方のため、スローニュースの瀬尾傑と熊田安伸が、選りすぐりの調査報道や、深く取材したコンテンツをおすすめしています。

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大谷翔平「じつは落選していた」楽天ジュニアのセレクション…そのエースだった“仙台の天才”は何者か「彼の剛速球で捕手が骨折」「仙台育英に進学」

引退したプロ野球選手が現役をしりぞいたあとどうしているかを、本人へのインタビューをもとに紹介する記事はネットでは人気コンテンツの一つとして、多くのメディアが扱っています。

なるほど、こんな苦労があったのだとしみじみする一方で、取材を一人語りに依存するため、視点が本人に固定されていて、物語に奥行きが足りないことも少なくありません。

しかし、この記事は一見同様のテーマに見えながら、まったく違う次元の迫力をもっています。大谷と同世代の知られざる天才を多面的に取材したのは、『勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇』(集英社)で第39回講談社ノンフィクションを受賞した中村計さんです。

大谷翔平が小学生のときに、落選した楽天ジュニアのセレクション。そのとき、同チームの中心選手として周囲を圧倒し、のちに仙台育英高校のエースとなった渡辺郁也さんが、このノンフィウィクションの主人公です

冒頭、野球関係者も多い居酒屋で 渡辺さんが仙台育英の選手だったことを知り、「誰の代だっけ?」と尋ねてきた店主に、渡辺さんは「私が投げていたんで……」と返したものの、少し間を空けて「1個下が上林の代です……」と付け加える答える…そんな場面から、ぐいぐい引き込まれていきます。

渡辺さんは超強豪校の仙台育英で1年夏からベンチ入りを果たし。3年夏はエースとして甲子園のマウンドを踏み、2勝を挙げました。小学校時代に120キロの球を投げ、受けたキャッチャーは骨折をしていたという伝説すら残します。

そんな渡辺選手がなぜプロ野球にいかなかったのか。大谷翔平、藤浪晋太郎、吉田正尚ら同世代の活躍をどんな目で見ていたのか。本人の告白だけではなく、プロ野球に進んだ仲間たちの目を通して描かれる「早熟の天才」の挫折は、才能だけではないプロスポーツの凄さ、怖さも伝えてきます(瀬)