「ニュースで伝えていない情報を公開」などの目標は実現したのか、そして官邸に阻止されてしまった「調査報道」とは【NHK政治マガジンの興亡⑥】
6年の歴史に幕を下ろした「NHK政治マガジン」。話題を呼んだウェブメディアは最終的には「民業圧迫」の象徴とまで言われました。どのように生まれ、どのような役割を果たし、どうして廃止されたのか。その秘話を数回にわたってお届けしています。
第6回は、立ち上げた時に掲げた目標は実現したのかについて。
ジャーナリストの須田桃子さんが、「政治マガジン」を立ち上げ、3年間編集を担当した、熊田安伸・元NHKネットワーク報道部専任部長に聞いています。
政治報道を変える3つの目標は達成できたのか
須田 政治マガジンをやるにあたって、当初、三つの目標を掲げられていましたけれども、それは実現できたんでしょうか。
熊田 概ねできたのではないかと思っています。
まず、政治部の取材のほとんどがメモとして死蔵され、ニュースとしては発信されないという問題。NHKのあらゆる取材は受信料がもとになっているわけですから、それによって得た大量の情報はすべて公共メディアの資産、つまり「公共財」です。それならば、すべてを国民に還元すべきですし、できるだけ多くの人に届け切れるよう、テレビだけでなくあらゆる伝送路で伝えるべきです。それも、できるだけ使いやすいインターフェースで。それが僕らの目標だったわけです。
前に紹介した「総理、きのう何してた?」もその一環ではあるのですが、典型的な記事があります。それがこちらの「母を捨てて、空母をつくる」です。
これは、「防衛計画の大綱」が決定し、日本が事実上「空母」を持つことになった過程を描いた記事です。自民党の「国防族」議員と公明党側の間でどのような議論があり、どう決着したのかを、決してテレビにはそのまま出ない記者の取材メモで構成しています。公共メディアが果たすべき報道の補完だと考えていました。
須田 まさにテレビでは見られないニュースの裏側ですよね。
熊田 それだけでなく、政治記者がどのように取材をしているのかも、浮かび上がってきます。
「そのまま」では載せない
須田 では2つ目の目標「そのまま伝えるからの脱却」は。
熊田 前に安倍首相の「サンゴは全て移植」を引き合いに出しましたが、そういうものだけではありません。日々のニュースに、「そのまま伝えてしまう」問題は潜んでいます。
政治マガジンでは、特集記事だけでなく、日々政治家の発言の記事を載せていました。でも、載せなかった類の記事もあります。例えばこちらの「輸出管理など 米国務長官が日本の立場に理解示す」という記事。NHK NEWS WEBには載ってしまいましたが、政治マガジンには載せていません。
この記事、アメリカ側から取材した記事ではありません。ましてやポンペイオ国務長官に直接聞いたわけでもない。日本側の説明をそのまま書いているだけです。本当にそういう発言だったのか、ニュアンスなどについても確認できません。日本側の都合のいいように解釈して記者にブリーフィングしているなんてことが実際にあります。しかも「理解を示す」なんて、後からどうとでも説明できる言い方、書き方です。
こういう記事をそのまま日本側の説明だけで載せてしまってもいいのか。政治マガジンではやりませんでした。
須田 掲載する記事は政治部から指定があったわけではないんですね。それで選ばなかったと。
熊田 そうなんです。他にもこんな記事がありました。「首相 福島第一原発を視察 廃炉など前面に立って取り組む考え」。ニュース7ではまさにこのままのニュアンスで、NEWS WEBにも同じように載りました。
おかげで記事は炎上。「安倍のイメージ良くするCMに使わんといて!」「前面になんて立っていないよね。福島に5年半も行ってなかったし」「『強調しました』などと宣うNHKの演出、すべて軽薄」などの言葉がSNSに踊りました。
で、政治マガジンではどうしたかというと、テレビでは使われていなかった枝野氏の言葉をいれて再構成した記事を配信しています。
すると、目ざとい視聴者がこんなつぶやきをしていました。ちょっとテレビへの嫌味ではあるんですが。でもこれも「公共メディア」が問われるスタンスですよね。
こうした細かいことの蓄積も大事だと思っていて、やっているうちに徐々に風向きも変わってきました。当初はツイートするたびに中身を読みもせず、「安倍ちゃんねる、ふざけんなバカ」「国民の金を使って左翼活動、反政府活動するNHK」と、どちらの立場の人たちからも非難を浴びせられていたのですが、次第に理解してくれる人も出てくるようになって。
3年もたってくることになると、政治部のデスクや記者も理解してくれる人が増えてきて、ついにこんなことがありました。
河野太郎さんが厚生労働大臣だった時に、こんなつぶやきをしたことを覚えている人もいると思います。
このツイートのおかげでNHKに大批判が集まったわけですが、以前なら大臣などにこういうことを言われても表立った反論をしなかった政治部のデスクの方から、「これ、本当にふざけてますよ。政治マガジンで発言を検証して、反論する記事を出しましょう!河野大臣に直撃する形にします」と言ってくれたんです。これは嬉しかったですね。
まあ、実際に出た記事は河野大臣が自分の立場を説明するようなところから始まり、対決姿勢が強いものではなかったのですが、テレビだけでは炎上して終わりだったものを、視聴者に正しく理解してもらえる一助にはなったと思います。
須田 現場の記者やデスクもやはり問題意識は持っていたわけですね。
調査報道が実現できた理由は
熊田 そうなんです。そしてついに調査報道も実現しました。なんと、発信したのは新潟放送局からでした。
政治部出身の小嶋章史デスクから提案があり、実現したのが「謎の中国船を追え!」です。人知れず新潟西港に着岸していた中国の公船はいったい何が目的で訪れたのか、その謎を独自の調査で追跡していくものです。もう提案を聞いた瞬間に、これは面白くなると思いました。
取材・執筆にあたった山下達也記者は、その時、まだ入局3年目の若手です。ただ、極めて優秀な記者であるうえ、旧知の五十嵐哲郎ディレクターがバックアップにつくというので、それなら大丈夫だろうと。
これは気合をいれてプロデュースしました。当初の原稿から「一人称スタイル」に改めたうえで、若手記者のための「調査報道の教科書」にもなるような作りにしました。内容も濃いうえ、非常によく読まれました。
五十嵐ディレクターはその後も取材を続け、2年半後に「追跡・謎の中国船〜“海底覇権”をめぐる攻防〜」というNHKスペシャルに結実させます。これがさらに素晴らしい調査報道の成果でした。
小嶋デスクからは、他にも新潟県中越地震の発生から15年のタイミングで提案があました。
最大被災地の一つである旧山古志村(現在は長岡市に合併)の全村避難を決断した長島忠美村長は、避難先の住民との交換日記のような「ノート」をやりとりしていました。問題不出だったそのノートを公開してもらえるよう管理している長岡市と交渉し、実現したのです。記者はやはり2年目だった若手の山田記者です。取材中の段階からプロデュースに入り、一緒に作りました。
若い記者でもこうした報道ができるのは、ひとえにデスクの度量と才覚でしょう。小嶋デスクは、自身も中曽根康弘元首相が亡くなったことをスクープして新聞協会賞にエントリーされたような敏腕記者でもありますが、デスクとしての指揮も秀でていました。
NHKでは、拠点放送局以外の地方放送局の記者デスクの数は基本が3人です。残念ながらその中に取材指揮や記者の売り込みができるデスクがいるかどうかで、出てくるコンテンツのクオリティも変わってきますし、記者の成長にも影響してしまう。それが実情なんです。