「小6社会」の内容理解で、ニュースはほとんどわかる!
憲法改正、三権分立、予算、選挙・・・。最低限知っておくべき「基礎知識」を徹底解説!「裏の社会科」も満載!2色刷で読みやすい

序章 なぜ、小学校社会科の教科書なのか

【教科書(小学校から高校まで)】

□ビジネスパーソンに教科書をすすめる3つの理由

井戸 今回、「大人のための社会科」というテーマで、小学6年生の社会科の教科書を使って、大人に必要な社会科、とくに「公民」の分野にあたる政治の知識について話していきたいと思います。

佐藤 井戸さんと書籍で対談するのは、3年前の『子どもの教養の育て方』以来ですね。今回はいまの大人たちにぜひしっかり学び直してほしい、政治の基本知識についてお話ししたいと思います。

井戸 佐藤さんは常々、ビジネスパーソンに学校の教科書を読むことをすすめていますよね。「なぜ教科書なのか」というところからまずはうかがいたいのですが。

佐藤 私がビジネスパーソンに教科書をすすめる理由は、整理すると次の3つです。

 ひとつは、拙著『読書の技法』にも書きましたが、本や新聞を読むにしても、あるいは専門家の話を聞くにしても、土台となる基礎知識が死活的に重要で、基礎知識に欠損があると、いくら本を読んだり専門家の話を聞いたりしても、知識が積み上がっていかないからです。

井戸 そうですね。たとえば経済学の教科書をがんばって読もうと思っても、出てくる数式がまったくわからないと読み飛ばしてしまいますよね。

佐藤 たしかに数式は面倒なので読み飛ばしがちですね。ただし、「自分の理解できるところだけをつなぎ合わせる読み方」は、きちんと内容を理解できないどころか、誤読する可能性も高いので危険ですよね。

 2つめの理由はそれともつながりますが、「正しい知識を正しい方法で身につける」のが大事だということです。歴史小説を読んで日本史をわかった気になっている人を見かけますが、歴史小説はフィクションが混じっています。テレビのコメンテーターの意見をうのみにして政治をわかったつもりになるのも、同じことです。

井戸 政治家や企業経営者でも、歴史小説が愛読書という人は多いですよね。

佐藤 もちろん、娯楽として楽しんで読んだり、歴史を学ぶ動機付けやモチベーションを高める材料に使ったりするのはいいんです。でも、「歴史小説で日本史を勉強する、知識と教養を身につける」というスタンスは間違っています。

井戸 たしかに、私も歴史の本は好きですが、高校時代に歴史小説を読んで頭に刷り込まれた「徳川家康=こうかつ」「豊臣秀吉=人たらし」みたいな先入観からなかなか抜け出せず、大学の史学科で学んだ史実とのギャップに戸惑ったことがあります。

佐藤 それが物語のもつ強さでもあり、また怖さでもありますね。

井戸 だから、教科書を使って正しい知識を身につけることが大切なんですね。

佐藤 ただし、教科書だって完璧ではありません。教科書というのは、いわば現代におけるひとつの「知の型」なんです。もちろん、その「型」自体も学問の進化によって変わってきています。また、「型破り」の世の中になっているので、いまは「型」だけを見ていても世の中は見えてこないのも事実です。しかし、「型破り」は「型」を知っていてはじめてできることです。

井戸 「型破り」と「でたらめ」は違うと、『子どもの教養の育て方』の対談でも話題になりました。「型破り」の時代だからこそ、まずは「型」としての教科書が必要なんですね。

佐藤 そう思います。教科書が通用しない時代、別の言い方をすれば、パラダイムが転換している時代だからこそ、まずは「型」を知るのが大切だということです。これが、ビジネスパーソンに教科書をぜひ読んでほしい3つめの理由です。

□要点と結論がかいつまんで書かれている小学校の教科書

井戸 それでも、佐藤さんが学校教科書の中でも小学校の教科書をすすめるのは、今回がはじめてですよね。なぜ小学校の教科書なんでしょうか。

佐藤 小学校の教科書を使おうと思った理由は、大きくいって2つあります。ひとつは、ビジネスパーソンの読者からいろいろな勉強法の相談を受ける中で、じつは「知識の欠損部分」は、高校レベルよりもっと前の、小学校・中学校レベルにあることが少なくないことに気づいたからです。

井戸 たしかに数学や理科など理系科目に限らず、歴史や地理でも、基本中の基本、小学校や中学校で学ぶことさえ知らなかったりしますよね。

佐藤 以前、早稲田大学の政治経済学部の3年生と慶應の大学院生に、歴史の年号を書いてもらう小テストをしたことがあります。100問中、平均正解率が5%というのがまず衝撃的で、同じ間違いでも「広島への原爆投下=1964年」「ソ連崩壊=2006年」「二・二六事件=1950年代」という答案まであり、頭が痛くなりました。早慶という偏差値の高い学生にしてこの実態です。

井戸 それでまずは小学校の教科書から見返してほしいということなんですね。小学6年生の社会科の教科書は、上巻が歴史、下巻が公民と分かれているのが主流で、下巻は80ページ程度のものもあり、さらっと読めるという利点もありますよね。

佐藤 まさにそれが、私が小学校の教科書をすすめるもうひとつの理由です。中学や高校の教科書もいいのですが、説明が詳しい分、要点と結論が見えにくいという側面があるんです。その点、小学校の教科書は、要点と結論がかいつまんで書かれている。知識の総量としては限られていますが、その分、エッセンスが詰まっていて、読みやすくてわかりやすいんです。

井戸 今回、参考にした何種類かの教科書も、ページ数は薄いのに、ひととおり教養として知っておくべき内容がコンパクトに網羅されていますね。必要最低限のことしか書かれていないので、裏を返すと、ここで引っ掛かるようだと、その分野の知識がすっかり抜けてしまっているという判断材料にも使えそうです。

佐藤 そうですね。「知識の欠損部分」を埋めるには、自分が理解できている部分と理解できていない部分の仕分け作業が、まずは重要になります。小学校の教科書はその格好の材料だと思いますね。

井戸 ただ、「小学6年生の教科書を読むのは恥ずかしい」というビジネスパーソンもいるかもしれませんね。

佐藤 そういう「プライドの檻」から抜け出さないと、いつまでたっても土台となる知識は身につきません。背伸びして実力以上の本を読んでも、知識が積み上がっていかない。自分の知識レベルを虚心坦懐に認め、欠損部分を早く埋めた人が最終的には得をしますからね。

□小学校と高校の教科書を比べてみると

井戸 先ほど「必要最低限のことしか書かれていない」といいましたが、改めて小学6年生の教科書を見てみると、扱っているテーマ自体はかなり高度ですよね。「非核三原則」や「国民主権」なども出てきます。

佐藤 「国民主権」の話が出たので、小学校の教科書の該当ページを見てみましょう。

 日本国憲法の前文には、「主権が国民にある」と書かれています。これは、日本の政治の主人公は、私たち一人一人の国民であり、政治は国民の考えによって行われるということです。

(光村図書『社会6173ページ)

佐藤 同じ「国民主権」について、高校の教科書ではこう説明されています。

 日本国憲法前文は、「主権が国民に存する」ことを宣言した上で、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」としている。

(山川出版社『詳説政治・経済』28ページ)

井戸 言葉は小学校の教科書のほうがやさしく書かれていますが、内容はほぼ変わりませんね。

佐藤 ただ、ここで重要なのは、小学校の教科書も高校の教科書も、いちばん難しい「主権」という言葉の定義をしていないことです。そもそも「主権」って何でしょう?

井戸 「主体的に決める権利」でしょうか。

佐藤 そうですね。同時に、最も主要な権力という意味もあります。ただ、権利ということでいえば、たとえば人権といっても、時代によって概念が変わってきます。同じように、主権の概念もいろいろと変わっているんです。そういう難しいことに関してはあえて定義をせず、大学以上に先送りしているわけですね。

井戸 まだこの段階で教えるのは早いということなんでしょうね。

□教科書という「ハシゴ」は、2階に上がったあとは下に落とす

井戸 先ほど、教科書は「型」で、いま社会で起きていることは「型破り」だという話がありましたが、いまは価値観が多様化してきて、社会も複雑になっています。正しいものが負けて正しくないものが勝つこともあれば、いままでのパラダイムが通用しないこともある。だからこそ、まずは教科書に書いてあることを知識として押さえつつも、別の読み方をしていく必要もあるということでしょうか。

佐藤 そのとおりだと思います。たとえば選挙については、小学6年生の教科書でこう説明されています。

 日本国憲法のもとでは、20才以上のすべての国民は選挙権をもっています。選挙権は、国民が政治に対する意見を示す権利の一つで、憲法に定められた国民主権の代表的な例です。この権利を生かすためには、選挙で国民の一票一票が大切にされ、選ばれた議員は、国民の代表として、国民の意思にそう仕事をしなければなりません。政治のあり方を最終的に決めるのは、国民の一人一人なのです。

(教育出版『小学社会6下』30ページ)

佐藤 これを読むと、選挙は一見、平等に行われるもののように思われますが、実際には被選挙権を見れば、いまでも「世襲」という問題が裏に隠れています。選挙に限らず、たとえば非核三原則についても、裏には密約があるわけです。

井戸 沖縄への核持ち込みの問題ですね。2009年の民主党政権で外務大臣だった岡田克也さんが調査を命じ、翌年、外務省調査委員会は、核の持ち込みについて広義の密約があったと結論付けたことがありました。

佐藤 そうでしたね。もともと「守り切れない約束」だから、そういうことをしていたわけです。

井戸 世の中で起きていることを読み取るために、「裏の社会科」も大事だということですね。民主主義があれば、その裏に反民主主義が隠れているというように。

佐藤 そうです。そこで重要になるのが、ドイツの哲学者ウィトゲンシュタインの理論です。彼は『論理哲学論考』の最後のところで、こう述べています。


 私を理解する人は、私の命題を通り抜け──その上に立ち──それを乗り越え、最後にそれがナンセンスであると気づく。そのようにして私の諸命題は解明を行なう。(いわば、はしをのぼりきった者は梯子を投げ棄てねばならない。)

 私の諸命題を葬りさること。そのとき世界を正しく見るだろう。

(『論理哲学論考』149ページ)


佐藤 これは、自らが語ってきた哲学は無意味であり、最後まで読んで2階までハシゴを上った者は、そのハシゴを下に落とさなければならないということです。

井戸 ハシゴを落としたとき世界を正しく見ることができる、と。

佐藤 ええ。教科書は何のために必要かという話に戻れば、教科書はまさに「ハシゴ」なんです。教科書に沿って学ぶのは高校までで、大学では教科書はあまり必要としません。それは、大学は教科書の上に立って、自分で積んでいく勉強をしなければいけない世界だからです。

井戸 ただ、そこに行くまでに、まずは2階に上がるためのハシゴ(教科書)が必要だということですね。

佐藤 そうです。2階に上がる技法をまずは身につけ、2階に上がってからは、自分で2階を歩かなければいけない。さらに3階に上がるのか、あるいは2階で心地いい場所をつくっていくのか、自分で考えて選ぶ。そういうことができる能力を身につけなければいけないわけです。

□「裏の社会科」も必要──教科書には「表のこと」しか書かれていない

井戸 「裏の社会科」という話に戻ると、教科書には「表のこと」しか書かれていないという側面がありますよね。「立派な人たちが立派な社会行動をとる」ということが前提になっています。

佐藤 教科書は、基本的に「性善説」によってつくられていますからね。でも、人間には性悪な面があるのは否めない事実です。

井戸 「悪の社会科」ともいえるわけですね。

佐藤 たとえば教科書を見てみましょう。これは2014年度まで使われていた旧課程の教科書ですが、ドイツは資源を有効に活用する仕組みが進んでいる国のひとつとして紹介されています。

 ドイツは、資源を有効に活用するしくみづくりが進んでいる国の一つです。ドイツでは、製品の包装材を回収してリサイクルすることが、製造者に義務付けられています。消費者は、決められた方法でごみを分別し、回収業者がそれを引き取って、リサイクルするものとそうでないものに分け、それぞれの施設に運びます。

(教育出版『小学社会6下』平成22310日検定済の版、67ページ)

井戸 ドイツのリサイクルは本当に細かく定められているようですね。ビンも色別に回収するなど、ノイローゼになるくらいごみの分別が厳しいと聞きます。

佐藤 実際、製品の包装材を回収してリサイクルすることが製造者に義務づけられています。しかし、それは「表」の話なんです。じつは70年前は、ドイツでは別の形で〝リサイクル〟が行われていました。

井戸 70年前というと……ナチスと絡んでくるのでしょうか。

佐藤 ご明察のとおりです。『健康帝国ナチス』を読むと、ナチスは非常に健康にこだわっていたことがわかります。禁煙運動もナチスが始めたことで、「生涯現役」というのもナチスの思想です。「働けるだけ働いて、その後はできるだけ早く死んでほしい」という発想からきている。ナチスは食品の安全にも取り組みました。無着色バターや胚芽入りのパンを食べるようになったのはナチスの時代からです。

井戸 健康診断、がん検診もナチスが始めたものだと聞いたことがあります。

佐藤 ナチスが健康にこだわった理由は、「医療費を削減する」という目的だけでなく、「身体は総統のものだ」という発想があったからです。われわれの身体はわれわれが勝手に処理していいものではなく、健康体を維持しなければいけない。つまり、人間という資源の効率的な利用です。この資源の効率的な利用という考え方が、いまドイツでは人間に向かわずに、ごみに向かっているわけです。

井戸 なるほど、「表の社会科」だけでは見えてこない、「裏の社会科」があるということですね。

佐藤 そうです。その両方から解説していこうというのが、この本の狙いです。

□「光と闇」「表と裏」の両方を学ぶ

佐藤 哲学者で社会学者のホルクハイマーとアドルノが書いた『啓蒙の弁証法』という本では、人類は啓蒙によって文明を獲得したのに、ナチスのような新しい野蛮に向かった、その啓蒙の光と闇が検証されています。

 現代教育では「光」の部分の教育はやるわけです。しかし、その裏にある「闇」の部分も一緒に勉強しなければいけない。

井戸 たしかに表だけを見ていると、自分で考えることができない人間になってしまうかもしれませんね。悪があるから、危険があるから、考えることもできるわけです。

佐藤 それを「表と裏」という形で見ていって、うまくバランスをとることが大事です。それは完全に五分五分ということではなく、表が8割か85分、裏の部分が2割から15分ぐらいのバランスで見ていくのがいいと思います。

 要は、この世の中には、学校の「表」の教育だけでは見えてこない「悪」や「闇」の部分もある、ということです。実際問題、社会には悪い人もいるわけですから。

井戸 そうですね。では、自分で考えることができる人間になるためにはどうすればいいのか。小学校の社会科の教科書からテーマを立てて順に話していきましょう。

序章のまとめ

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