気候変動をチャンスに、世界最大の食糧生産国を狙うロシア
ディマが最初に瀋陽市からやってきたのは26歳のときだった。ディマのような冒険心にあふれた移民は、ロシアの未開の地を、機会を求めて走り回っていた――。気候変動による人類の「北上」。食料生産に適した環境になりつつあるというロシアの極東シベリアの現場をレポート。気候移民、北極海航路、食料安全保障をめぐるアメリカの戦略までを、ニューヨーク・タイムズとプロパブリカが共同取材。

The Big Thaw 大融解

ロシアはいかにして温暖化する世界を支配できるか

 気候変動は世界の農業を大きく変え、世界秩序を再構築し、人類を大規模な移住へと駆り立てている。そして、ロシアほど、そのメリットを享受する国はない。

取材 アブラム・ラストガーテン

 まだ11月だというのに、骨の髄まで切り刻むような冷たい風がディミトロヴォの村に吹いていた。村は中国との国境から35マイル(約56キロメートル)しか離れていないロシア東部ユダヤ自治州のはずれにある。村を訪れると、ボロボロの小屋や何十年も昔の農機具が並んでいた。背後に広がるまっ平らな畑は、彼方に見える落葉して刺のある枝がむき出しになった森へと続き、物悲しげな風の音に吸い込まれて消えていく。村の中の細い未舗装の道を何人かの村人が肩を丸めながら歩いていた。乾いた雪に残された足跡は幽霊のようだった。

 23マイル歩くと、雪が舞い散るなかを、さび付いた古いディア・アンド・カンパニー製のコンバインが、うなり声を上げながら茶色く枯れた大豆の枝を刈り取っていた。ガタンと止まったトラクターの運転席から人のよさそうな男性が下りてきた。男性の名前はディマ。中国北部、遼寧省出身の実業家で、この地に6500エーカーの農地を所有している。本名はシン・チーといい、ここ何年かの間に新たな機会を求めて移り住んできた中国人の一人だ。今年は新型コロナウイルスの影響でほとんどの従業員が中国に帰ってしまったため、今はほぼ一人で作業をしている。寒風よけの迷彩柄のパーカーに身を包んだディマは、腰を曲げて地面から細いさやをいくつか拾い上げると、その一つを開いてロシアの未来をちらっと見せてくれた。

シベリアのノボシヴィルスクでの収穫の様子 Photo/Getty Images

地球の温暖化で恩恵を受ける国

 ロシアの東半分で巨大な変化が進行している。何世紀もの間、土地の大半は農業が不可能な土地だった。唯一、中国とモンゴルとの国境沿いに細長く伸びる南端の土地だけが、農作業が可能な温暖な土地だった。ディミトロヴォもその一部だ。しかし今、地球温暖化の進行で、土地の質、そしてその土地を農地にできる期待が高まっている。ディマの話だと、20年前は、春の雪解けは5月まで待たなければならなかった。だが今は4月までには茶色い地面が姿を現す。風雨は前より激しくなり湿度も上がった。ロシア東部の至るところで、自然林や沼地、草原が、整然とした格子模様の大豆やトウモロコシ、小麦の畑に姿を変えつつある。この流れは加速するだろう。ロシアは、気候変動による気温の上昇とそれによって作物の生育期間が長くなる利点を生かし、同国を世界最大の食糧生産国の一つに作り変えようとしている。

 気候変動は、新たな危機や、干ばつ、砂漠化、洪水、耐えがたいほどの高温という悪夢を世界各地にもたらしている。また、それによって広大な地域が人の住みにくい土地になり、人類史上、例を見ない規模の難民が発生する恐れがある。だが中には、気候変動によって空前の機会を得る国もある。地球上で最も寒い地域が温暖な気候になるためだ。こうした地域は、地球上で最も暑い地域から脱出するおびただしい数の人たちの受け皿となるだろう。そう考えるのには多くの理由がある。歴史的には、大規模な移住が発生する要因は、自然環境の変化というよりは人々が繁栄を追い求めた結果だった。だが、そうした居住性と繁栄——安全な場所と経済機会——という要因は、気候変動によって不可分のものとなるだろう。

 そして、ロシアほど気候変動から利益を得るために絶好の位置にある国はない。ロシアは北に位置する他のどの国よりもはるかに広大な土地を所有している。また、アジア大陸にある国の中では、どの国よりも北に位置している。南アジアは、海面の上昇や干ばつ、高温で移住を強いられる可能性の高い人々が世界で最も多く住む地域だ。

 ロシアはカナダと同様、天然資源や土地が豊富で成長の余地がある。米国や欧州、インドの農業生産高が地球温暖化により軒並み減少するとみられるなか、ロシアの穀物生産量は今後、何十年にわたって、大幅に増加すると見込まれている。ロシアの指導者たちは、偶然か狡猾な戦略なのかわからないが——おそらくその両方が組み合わさった結果だろうが、北極圏に国旗を立て(つまり自国の領土だと主張し)、その地で穀物の生産量を増やしている。そうした歩みは、温暖化する世界で、ロシアが再び超大国のマントを羽織る可能性を高めている。

文明が繁栄する最適の温度は11度から15度の間

 何千年もの間、気温の上昇と気候の最適化は人類の生産性と発展に深くかかわってきた。前回の氷河期の後に温暖化が起きたときは、グリーンランドへの人類の入植が急速に進んだが、突然の寒冷化で後退した。最近の例だと、ちょうど南の地域の経済成長が息苦しくなるような熱風の影響で鈍化したように、アイスランドの経済成長が同国の平均気温の上昇で加速したという研究結果がある。人の生産活動にはそれに適した気候というのがあり、「米国科学アカデミー紀要」に掲載された研究によれば、それは年平均気温が華氏52度から59度(摂氏11度から15度)の間だ。高緯度の国の多くはその温度帯に一直線に向かっている。

 米スタンフォード大学食糧安全保障・環境センターのマーシャル・バーク副センター長は、ほぼ10年という時間を費やし、気候変動がどのようにして世界経済を変えるかというテーマに取り組んだ。主に嵐や熱風、食糧の減少に起因する経済損失に焦点を当てて研究し、2015年、「ネイチャー」誌に他の研究者と共に論文を発表した。バーク氏によれば、米国と中国の北側の国境線に沿って地球儀上に引いた線より南に位置するすべての地域は、温暖化で大きな損害を被る可能性がある。生産性は平均気温が華氏55度(摂氏13度)の地域で最高を記録し、それより暖かい地域では低下する。バーク氏は、2100年までに、米国人一人当たりの収入は、温暖化が進まないと仮定した場合と比べて3分の1低くなると予測した。インドは約92%低下する。中国の経済成長は半分になる。一方、鏡の向こう側には違う物語があった。まもなく最適な気候帯に入る国は、信じられないような高成長が待ち受けている。カナダ、スカンジナビア半島の国々、アイスランド、ロシアは、その時までに十分な人口さえ確保できていれば、今世紀末までに一人当たりGDP(国内総生産)が最大5倍に増える可能性があるという。

Photo/Getty Images

移民の受け入れがカギを握る

 この2年間、ニューヨーク・タイムズとプロパブリカは、すでに地球規模で起き始めている人類の大移住について報道してきた。われわれの取材は、2070年までに地球上の30億人以上の人々が、人類が生活するのに適さない気候の中で暮らすようになる可能性があることを明らかにした。そうなれば、何千万人もの人々が北に向かって移動を開始し、米国や欧州などに流入することになる。(ほとんどの移住者は北に向かう。広大な土地と経済機会があるからだ)米国自身も大きな人口の変化を経験する。高温、干ばつ、海面上昇で、何百万人もの米国人が移住を強いられることになる。3部作の最後となる今回の記事では、気候変動によって誰が利益を受けるかに焦点を当てた。それを明らかにするため、人類による安定した気候を求める旅の終着点がどこになるのか探った。人類にとって最適な場所は、最終的には米国や欧州を通過し、北極点の方向に移動する。それを追って、人々も動くのだ。

 このことは、世界で最も北に位置する国々にとてつもなく大きな機会をもたらすことになる。だがそれには、自国の人口減少を防ぎ、国境に押し寄せるおびただしい数の移民の少なくとも一部を受容する方法を見出さなければならないという前提条件が付く。カナダを例にとってみてみよう。カナダは土地、森林資源、石油、ガス、水力発電が豊富にある。利用可能な淡水の量は世界全体の20%に達している。安定して腐敗していない民主主義もある。そして、温暖化に伴い、文明の繁栄に最適な生態学的スイート・スポット(最適領域)に入り、新たに生まれる北極海航路と農地の拡大によって利益を得る。しかし、カナダの人口はわずか3800万人だ。カナダの死亡率は将来、現在の出生率を上回るだろう。バーク氏は、2100年までに、カナダの一人当たりGDPは気候変動が進まないと仮定した場合の2.5倍になると予測している。カナダは、より多くの移民を受け入れることができれば、この機会をものにすることができるだろう。

 これが、カナダの企業経営者や研究者が政府に対し、移民制度を改革して各国から優秀な人材を受け入れ、同国の人口を2100年までに現在のほぼ3倍に増やすよう求めている理由だ。政府は、経済に対する移民の重要性を認識する世論に配慮し、今年の移民の受け入れ人数を14%増やした。だが、カナダ人がその倍の数の移民を受け入れる心の準備が本当にあるかどうかは、わからない。

 北欧諸国も同じだ。少子高齢化は、農業や他の産業の成長の足を引っ張りかねない。西欧や中央欧州は世界的な農業国だが、人口減少で、農産物の収穫をベラルーシやルーマニアからの移民労働力に大きく頼らざるを得なくなっている。ノルウェーやスウェーデンも同様だ。ノルウェー・バイオエコノミー研究所で農業や食糧安全保障、気候変動の問題を研究しているアーネ・バーダレン氏は、温暖化は農作物の生育可能期間を長くするため野菜や果物の生産量は増えるだろうが、今でさえ各15000人から3万人の移民労働者なしでは収穫作業ができないと話す。

 農業、移民、温暖化の問題を総合すると、国家間の地球規模での影響力の競い合いにつながる。米国を含む多くの国にとって、国家安全保障の問題は移民政策や国境政策だけでなく食糧安全保障とも不可分に結びついている。気候変動時代の国家間の繁栄競争というのは、いかに自立経済体制を確立するかと共に、いかに地政学的影響力を拡大するかという競争だ。しかし、バイデン次期米大統領から気候変動問題担当の大統領特使に任命されたジョン・ケリー元国務長官が最近、私に説明したように、自立経済体制の確立と地政学的影響力の拡大は、その場所へのアクセスのしやすさ、その場所の活用のしやすさ——それが北極海航路であろうと融解した土地であろうと——が、時間と共にどう変化するかにかかっている。食料や他の資源が世界的に希少になるほど、一国の食糧自給の能力がより重要な武器になる。そして、変化する世界の中で沈まずに堪え凌ぐことができれば、それらの国は他国が沈むことで利益を得るチャンスが拡大する。ケリー氏は「(競争は)非常に緊迫した状況をもたらすかもしれない」と述べ、「本当に厄介な動きだ」と付け加えた。これらすべてのことが、人の流れ——彼らを気候難民と呼ぼうが人的資本と呼ぼうが——を、気候変動がもたらす地政学的権力闘争と不可分の関係にしているのだ。

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