「国民的熱狂をつくってはいけない」 昭和史最大の教訓を探る
破局に突き進んだ昭和の大転換期の「本当の真相」を明らかにした対談。時代状況が驚くほど似てきた”現在”にも警鐘を鳴らす。

第一章 戦争報道と商業主義


日露戦争の教訓「戦争に協力すると新聞は売れる」


保阪 日露戦争の頃の軍事指導者や為政者たちというのは、ジャーナリズムをあまり意識していなくて、まだコントロールしなかったように思うんですよね。平民社のようなものは弾圧されていますけれどね。

半藤 とくとみほうの作った『国民新聞』は全く桂内閣の宣伝機関で、桂総理大臣と徳富蘇峰は見事なくらいツーカーの仲だった。つまり、その程度にしか当時の日本の為政者はジャーナリズムを捉えてはいなかったとも言えます。

保阪 日露戦争が終わってポーツマス条約が締結されたとき、賠償金がもらえないと決まって、日比谷やきうち事件()が起こりますよね。あのとき、『国民新聞』も焼き打ちされた。この戦争ではうんとお金がかかるから、おまえたち国民からうんと税金を取るけれども、戦争に勝てば賠償金がもらえるんだと、そういう論を民衆に吹き込んだのは、やっぱり新聞だったんですかね。

半藤 新聞ですよ。ほんの一部を除いて、全新聞が総がかりであおった。

保阪 『国民新聞』とか『みやこ新聞』とかですね。

半藤 第一章のテーマは「戦争報道と商業主義」ですが、戦争中の新聞の部数と伸び率の資料があるんですよ。これを見ると、戦争と新聞の売れ行きとは関係があるとわかります。

 例えば、日露戦争が始まる前は、断固帝政ロシアを撃つべしとバンバン書く新聞と、戦争なんてやるもんじゃない、国家百年の大計を考えれば自重してもう少し外交交渉を続けるべきだという新聞に分かれていたんですね。

 ところが、戦争反対派の新聞は部数がどんどん落ちるんですよ。その一方で、賛成派の新聞は伸び始める。当時、戦争反対を一番唱えていたのは『よろずちょうほう』なんですね。あそこには当時の左翼思想家が揃っていて、片山せんとかたいぎゃく事件で逮捕されたこうとくしゅうすいといった連中がいたわけです。そうした人たちが戦争反対の論調を張っていたんですが、部数がどんどん落ちるんで、ついに『万朝報』の社長だった黒岩るいこうがもうだめだと思った。主義と経済とどちらを取るか悩んだ末、経済を取ることに決めた。それで、怒った左翼運動家たちが全員退社していったんです。この人たちが平民社を開いたんですけれどね。とにかく、このときから『万朝報』は戦争賛成へと変わるんですよ。

 最後まで戦争反対で頑張っていた『大阪毎日新聞』も、政府が開戦を決定してからは、かくなった上は我々も応援すると言って、戦争賛成へと鞍替えする。

 いずれにせよ、日露戦争前には賛成と反対で半々に分かれていた新聞各社が、平民社を別にして、ついに全部、戦争に協力するようになり国家の宣伝役になるわけです。

 その結果、新聞の部数ががんがん伸びるんですよ。

 戦争前の明治三六年と戦争が終わって二年目の明治四〇年で比較すると、『大阪朝日新聞』は一一万部から三〇万部、『東京朝日新聞』は七万三〇〇〇部から二〇万部、『大阪毎日新聞』は九万二〇〇〇部から二七万部、『報知新聞』は八万三〇〇〇部から三〇万部、『都新聞』は四万五〇〇〇部から九万五〇〇〇部と、軒並みすごい伸び率です。

 『万朝報』は一〇万部が八万部に落ちた後に転向して二五万部です。『ろく新報』は一四万五〇〇〇部から一二万部と減少しているんですが、ここは戦争に反対をしないものの余り協力はしなかったんですね。

 数字を見ても信じられないくらいすごい。「冗談だろう」と笑い話になりそうなくらいの伸びです。でも、これは間違いのない事実なんですよ。

 この数字が示しているのは、戦争がいかに新聞の部数を伸ばすかということです。要するに、戦争がいかに儲かるかなんです。ジャーナリズムは日露戦争で、戦争が売り上げを伸ばすことを学んだんですよ。

 これを見れば明らかにわかるのは、ジャーナリズムがどんなに色々ときれいごとを言おうが、いざとなったら完全に国家の宣伝機関になるだろうということなんです。外国の新聞もほとんどがそう、国家と一体となって商売をしている。

 日露戦争では平民社の『平民新聞』だけが頑張ったんですが、はっきん、発禁と弾圧され、ついに最後には廃刊ですよ。裁判にかけられて輪転機も何も没収されて廃刊になった。もっとも、『平民新聞』は日刊ではなくて週刊ですから、通常の新聞ではありませんが。

保阪 しかも、読む人が限られていましたからね。

半藤 部数が三〇〇〇部ですからね。日露戦争の頃の新聞というとみんな『平民新聞』の弾圧ばかりに目が行くけれど、実際はほとんどの新聞は戦争に協力して部数を大幅に伸ばしたんです。

 そして、日露戦争によって「戦争は商売になる」と新聞が学んだことを、しっかりと覚えておかなければならない。


昭和の戦争で新聞が戦争協力したのは商売に走ったから


保阪 日露戦争で部数が伸びたことは、新聞各社の潜在的な記憶として残ったんですね。

半藤 と、私は思いますよ。昭和になってから、新聞がどんな報道をしてきたかを見ればわかります。『朝日新聞』だろうが『にちにち新聞』だろうが、それまでは反軍的な言論で、軍隊が大きくなるのは良くないとか、軍隊は政治に関与すべからずとか書いていたのに、昭和六年に満州事変()が始まった途端、一朝にして戦争協力の論調に変わった。これはどう考えても、日露戦争の教訓なんですね。

保阪 現実に昭和の戦争でも新聞の部数は伸びていますからね。

半藤 日露戦争で戦争に協力したら部数が伸びた。新聞の経営者にしてみれば、ものすごい歴史の教訓だと思います。こういうところだけ、日本は歴史に学んでいる。

保阪 売れていない新聞社は、また戦争をやらないかなと思いますね。

半藤 だから、戦争をやりたくてしょうがない奴もいるかもしれません。

保阪 当時の識字率を考えれば、国民の間で新聞はかなり読まれていたということですよね。

半藤 当時の人口から考えても、相当読まれていたということです。

保阪 一人一紙とは限らず、二紙読んでいた人もいたでしょうしね。

半藤 日露戦争の期間は短いけれども、その頃、新聞はむさぼるように読まれたんですね。他に号外もあるわけですよ。どこの新聞も何かというと号外を出した。腰に鈴をつけてチリンチリンと音を立て、号外売りが街から街へとすっ飛び走る。ひゃくさんこう陥落()、ほうてん陥落()と、号外のネタはつぎつぎに山ほどあるわけです。

保阪 号外は無料。お金を取らない代わり、自社の新聞の宣伝になった。当時の人は号外を読んで、次の日に朝刊を読むということになるんですね。

半藤 そうした販売戦略も含めて、日露戦争でマスコミ、ジャーナリズムはものすごく発達したんでしょうね。

保阪 満州事変、日中戦争と戦争が起こるたびに、新聞社は特派員を送り、戦場報告を紙面に載せる。それで部数が伸びたんですからね。

半藤 満州事変で、どうして日本の新聞はあんなにあっけなく軍部を支持してしまったのかと、ずっと思っていたんです。一つにはラジオができたことがあった。当時のラジオのニュースだねはすべて政府や軍部からのお下がり、つまり官製です。ですから、ラジオがどんどん新情報の速報をやるので、新聞は負けないように号外を出したけれどそれでも間に合わない。それに号外を書く材料がない。それで軍部からネタをもらい、一緒になって宣伝するようになったんです。

 それまで私は、満州事変のときの新聞はだらしなくも転向した、言葉は悪いですが、そう思っていたんだけれども、違った。

保阪 転向というよりは、商売に走ったということですね。

半藤 日露戦争という歴史の教訓に学んで、商売に走ったんですよ。よく調べると、ジャーナリストではない新聞社の経営者は、ちゃんと歴史に学んでいる。戦争が始まれば、「さあ戦争だ、負けるものか」とばかりに書き立てる。

保阪 負けるもんかと、あたかも国家一丸となって前進しようと励ましているかに見える報道は、実のところ、新聞社の儲けを隠すための掛け声に過ぎないということですね。

半藤 そうですよ。株が上がれば経済新聞が儲かるのと同じことです。

 太平洋戦争のときの新聞部数の数字を見ると、当時は新聞が統合になっていて一県一紙になっているのでわかりにくいですが、昭和一七年から一九年は微増になっています。

 実は、新聞が統合される前の昭和一五年の数字が欲しいんです。戦争直前の部数と比較しないと本当のことはわかりませんからね。

保阪 開戦翌年の昭和一七年というと威勢のいい報道ばかりでしたね。ミッドウェーの敗戦()とかは隠されていたから、シンガポール陥落()とかそういう記事ばかりのはずです。

半藤 そういうことです。だから、開戦前の数字がほしいんですね。

保阪 新聞協会がこういうのを持っていないんですか。

半藤 新聞協会からはなかなか出てこないんですよ。いや、統計がないのかもしれない。いずれにせよ、戦争があると新聞が安泰なのは間違いない。伸びることはあっても落ちることはまずない。

保阪 言論の自由とか、言論機関としての自立性を確保するなんていうのは、いまの時代だから言えることであって、この当時としては、まず飯を食うために新聞は国家と一体となって部数を伸ばそうとしたということなんでしょうね。

半藤 と思いますね。『朝日新聞』は自社の七〇年史で書いています。

 「昭和六年以前と以後の朝日新聞には木に竹をついだような矛盾を感じるであろうが、柳条溝の爆発で一挙に準戦時状態に入るとともに、新聞社はすべて沈黙を余儀なくされた」とお書きになっていますけれど、違いますね。

 沈黙を余儀なくされたのではなく、商売のために軍部と一緒になって走ったんですよ。

 つまり、ジャーナリズムというのは、基本的にはそういうものでね、歴史を本当には学んでいないんですよ。

 こう言っちゃ身もふたもないけれど、いまのマスコミだって、売れるから叩く、売れるから持ち上げる、そんなところだと思いますよ。

──いまのマスコミのほうが昔よりもひどいでしょうか。

保阪 昨今の憲法改正の話なんかそんな感じでしょう。賛成、反対は別にして、かつてだったら改正そのものが大問題で、これ自体を大きく論じなければいけないという空気があったんですよ。どちらかと言えば、新聞は改正に対してはちょっと距離を置いて批判するという態度だったけれども、最近の新聞を見ていると憲法改正の空気に合わせているような論調です。憲法改正自体が独り歩きしていて、改正すれば社会が良いほうに変わるというような変なイメージを作っていますね。

半藤 改訂しないと、この国はおかしくなっちゃうんだと言わんばかりの空気を作っているんですよね。


第一章 戦争報道と商業主義(2)

この作品では本文テキストのコピー機能を制限しています

01