復興計画に翻弄される人々、自治体の誤算
復興から取り残される人びとと、その支援に奔走し続ける人びとがいる。津波被災地の不条理を鋭く問う。

1章 プレハブ仮設住宅で

「ミスター仮設住宅」の孤軍奮闘

 宮城県最北端の漁港の町、気仙沼市に、プレハブ仮設住宅の住民から「あの人ほど頼りになる人物はいない」と慕われている男性がいる。津波で自宅が半壊の被害を受けながら、四年近くにわたって手弁当で仮設住宅支援に奔走し続けている村上充さんだ。気仙沼市の被災者が暮らす九三カ所の仮設住宅のうち四〇カ所以上を自主的に訪問。軽自動車のガソリン代も携帯電話代もすべて自分持ちで、住民に困り事があればすぐさま駆けつけて解決のために動く。そのパワフルな活動はフェイスブックを通じて全国にも知れ渡るようになり、いつしか「ミスター仮設住宅」と呼ばれるようになった。

 その村上さんは、仮設住宅の自治会長らと緊密に連絡を取り合い、しばしば高齢者の窮地を救う役割を果たしている。

「八〇代のおばあさんの様子が何か変なので見てもらえませんか」

 二〇一三年一〇月、村上さんは顔なじみの仮設住宅の自治会長から、こう頼まれた。

 村上さんが自治会長とともに部屋に入ってみると、その高齢女性は受け答えこそしっかりしているものの、床に伏したままで起き上がろうとはしなかった。おかしいと感じた村上さんは、ボランティア活動のために気仙沼を訪れていた「一般社団法人キャンナス東北」(全国訪問ボランティアナースの会「キャンナス」の東北ボランティア組織で石巻市に事務所を持つ)の看護師とともに再度、女性宅を訪問。機転をきかせた看護師からの連絡で、気仙沼市立本吉病院の研修医も出向いて診察したところ、即座に病院で診てもらう必要があるという。精密検査の結果、この女性は脚部を複雑骨折していたことがわかり、三カ月の入院となった。

 この世帯は高齢夫婦二人暮らしだったが、夫は認知能力が低下しており、妻の面倒を見ることはできていなかった。女性は立ち上がることもできず、トイレに行くにも家の中をはって移動するありさまだった。聞けば、室内のアコーデオンカーテンに寄りかかり、そのまま倒れ込んでしまったのが大怪我の原因だった。足腰が弱った高齢者は室内でもさまざまなリスクがある。そうしたことへの配慮が乏しい仮設住宅の造りに問題があった。村上さんたちが動かなければ、この女性は気づかれずに放っておかれるところだった。

 二〇一四年九月には、山あいにある別の仮設住宅でも問題が発生していた。同じ住宅内の見守り役の女性から、「一人暮らしの男性の様子が変だ」と村上さんに連絡が入った。女性とともに訪問し、部屋まで入ったところ、男性は酒びたり。認知症も進んでいる様子で、ゴミもきちんと出していない。

 ゴミ箱には、市役所からの郵便物が開封もされずに捨てられていた。村上さんと世話役の女性がその中身を確かめると、要介護認定更新の手続きのための書類だった。この男性は、入院していた気仙沼市立病院で要介護認定を取得したものの、退院後に必要と思われる介護サービス利用の準備もされず、ケアマネジャーもついていなかったのである。あやうく更新手続きも逃すところだった。

 二〇一二年夏には同じく気仙沼で、村上さんの紹介によりリハビリテーションにたずさわるボランティアグループ「face to face東日本大震災リハネットワーク」のメンバーが交通事故で寝たきり状態だった小野寺信さんを仮設住宅に訪問。理学療法士ら専門職によるリハビリ支援やメンバーの一人で住宅改修が専門の内田忠夫さんの援助もあり、小野寺さんは室内で歩行訓練ができるまでに回復した。

「見守り」は続けられているが……

 震災を生き延びた後、仮設住宅や復興公営住宅での多数の孤独死を生んだ阪神・淡路大震災の教訓から、厚生労働省は東日本大震災に際して、高齢者などの災害弱者への見守りの仕組みを新たに設け、これに基づいて気仙沼市では被災者生活支援事業として四つの委託事業を実施、一〇〇人以上のスタッフが日常的に見守りや孤立・引きこもり防止の活動に従事している。( )内は厚労省の事業名称である。

(1)応急仮設住宅入居者等サポートセンター活動(地域支え合い体制づくり事業)

(2)震災被災地域高齢者等交流推進事業活動(緊急雇用創出事業)

(3)震災被災地域高齢者等友愛訪問事業活動(緊急雇用創出事業)

(4)「絆」再生事業(社会的包容力構築・「絆」再生事業)

 このうち、(1)のサポートセンター活動は四つの事業の中核をなすもので、相談チームは保健師・看護師など医療分野の有資格者一人、生活相談員二人の計三人で一チームを構成。七チームが活動している。委託先は市内の社会福祉法人など四事業所で、従事者数二一人。二〇一三年度の活動延べ件数四万七件(うち訪問三万五八七二件、相談三九六二件[いずれも延べ件数]など)。仮設住宅入居者などのうち、生活状態や健康が心配される「要継続訪問者」は三八六人で、うち心のケア八八人、アルコール四四人、認知(症)三三人などとなっている(一四年三月末現在)。

 市内に四カ所あるサポートセンターは、仮設住宅団地の一角や福祉施設内に置かれ、仮設住宅の戸別訪問や集会所での相談会など、スタッフによるさまざまな活動が日常的に続けられている。(2)と(3)の事業は震災によって職を失った住民の雇用の受け皿としての目的も併せ持つ。そのうち(2)は主に仮設住宅の集会所などでの催し物の企画・運営などが主体。(3)は委託を受けた介護事業所の職員が高齢者のみの世帯や日中独居の高齢者世帯を訪問し、話し相手になったり、買い物などの手伝いや散歩の同行をしたりすることで、孤立・引きこもりの防止を目的としている。気仙沼市社会福祉協議会が運営する(4)の「絆」再生事業は「生活支援相談員」を配置して、高齢者のみならず障害を持つ人や仕事を失った若年層なども対象に総合相談や見守り活動を行っている。

 だが、これだけの布陣にもかかわらず、住民からは支援事業そのものが「今ひとつ物足りない」(仮設住宅の自治会長)という評価が多いのも事実だ。

 実は前出の女性・男性いずれも、サポートセンターなどのスタッフが見守りの対象としていた。スタッフは本人への戸別訪問や仮設住宅の住民からの聞き取りで把握した情報を、「地区支援者ミーティング」や「仮設住宅等訪問事業打ち合わせ会」、市の関係各課との「サポートセンター長連絡会」などで報告し、共有している。

 反面、身の回りの世話をしていたのは仮設住宅の自治会長や見守り役・世話役を買って出た女性だった。前出の男性の場合は、見守り役の住民が食料を届けたり、病院につれていったりしていた。本来であれば、何らかの公的福祉サービスにつなげられるべきだと思われるが、ケアマネジャーがつくこともないまま、病院から退院していた。それが原因で、要介護認定の更新手続きも放置されていた。問題を抱える被災者に十分な支援が行き届かない現実がある。

 こうした気仙沼の仮設住宅での医療・生活事情について、震災直後から医療支援活動を続けている古屋聡・山梨市立牧丘病院院長(気仙沼市立本吉病院非常勤医師)は、「慢性的なマンパワー不足が根底にある」と指摘する。「本来であれば、サポートセンターから連絡を受けた市の保健師が、医療や生活上の問題を抱えた人をきちんとフォローするべきだが、保健師もマンパワー不足で手が回らない。要介護認定を担当する市の高齢介護課と実際のフォローをする地域包括支援センターの意思疎通も十分でないために、介護保険サービスの提供までに必要以上に時間がかかるケースもある」(古屋医師)。

 手元に情報公開請求で入手した、気仙沼市作成のA4サイズの一枚の図がある。ここでは、前出の(2)の事業を担う一般社団法人の気仙沼復興協会や(3)の友愛訪問員(居宅介護支援事業所に所属)、(4)の「絆」再生事業を担当する気仙沼市社会福祉協議会の生活支援相談員が、仮設住宅でリスクの高い人を見つけたり、困難な相談を受けたりした場合は、必ずサポートセンターに連絡することと記されている。これら(2)~(4)の事業のスタッフは「自分たちで問題解決するのではなく、事実確認をしっかりしてサポートセンターにつなぐのが仕事である」とも記述されている。そのうえで、(2)~(4)のスタッフが、行政権限を持つ地域包括支援センターや保健福祉課に直接連絡する流れについては「この流れはありえない」とされている。あくまで(2)~(4)のスタッフが集めた情報はサポートセンターが「総合相談窓口」となり、高齢者対応については地域包括支援センターに、行政対応については保健福祉課に提供してそれぞれの持ち場で具体的な解決を図ることになっている。その際にサポートセンターは問題案件を「かかえ込まないこと」と明記されている。

 つまり、見回りで見つけた問題点はサポートセンターにまずつなぐ。実際の運営に際しては、「毎週木曜日に開催している会議において、情報を共有する」「行政で関わる人をすみ分けし対応する」としており、明確なラインに基づいた対応に徹することが求められている。行政の委託事業である以上、こうした仕組みには合理性があるのかもしれないが、古屋医師のいうようにマンパワーが不十分な場合には早急な解決が必要なケースであっても後回しにされるリスクをはらんでいる。また、財政上の理由などで、生活困窮者を生活保護制度につなげるインセンティブが働きにくいという問題もある。見守り活動にかかわるスタッフ自身は住民から相談を受けてもその場で問題解決に動けないというジレンマもはらんでいる。

 そうした状況で重要な役割を担っているのが、村上さんと、村上さんにつながる専門的なスキルを持ったボランティアたちだ。現在も気仙沼の仮設住宅では、村上さんのコーディネートにより、医師や看護師、リハビリテーションスタッフなど、全国から入ったボランティアが医療支援活動を続けている。

ボランティア活動の意義

 東日本大震災による気仙沼市の被害は甚大だ。震災による死者一一三六人、行方不明者二二六人(二〇一四年一二月三一日現在)。被災世帯数九五〇〇(同)は、市内の全世帯数の四割近い。一四年九月末現在でもプレハブ仮設およびみなし仮設(仮設住宅に指定された民間賃貸住宅)で計八四五〇人が避難生活を余儀なくされている。この数は市の人口の一割以上にのぼる。

 このように震災前の平常時とは大きく事情が異なることからも、行政とは異なるメカニズムのボランティアが活躍する必要性が出てくる。医療や福祉資源が乏しい気仙沼の場合、なおさらだ。

 村上さんのコーディネートで被災者支援活動に従事する医療専門のボランティア団体は、キャンナス東北、face to face東日本大震災リハネットワークや「特定非営利活動法人ジャパンハート」など多数にのぼっている。阪神・淡路大震災でも被災者支援に入った整形外科医の岩井亮医師(横浜市)や前出の古屋医師も、村上さんとともに支援の一翼を担っている。「チーム恵比寿」の整体師やネイリスト、マッサージ師の山科護さん、仮設住宅で縁台を作り、男性の引きこもり防止に努めてきた片岡遼平さん、仮設住宅で一人暮らしの男性向けに〝簡単クッキング教室〟を開いている神戸市の料理研究家の本美佑佳さんらも〝チーム村上〟の一員だ。このような被災者に寄り添う活動は、仮設住宅の住民から大いに喜ばれている。

 村上さん自身、震災前はコンピュータ関連の一個人事業主だった。震災後、全国から避難所に入ってくる医療スタッフの活動や支援物資の配布状況を、お礼のメッセージとともにツイッターやフェイスブックでこまめに発信しているうち、いつしか村上さん本人を結節点とする人的ネットワークが形成されていった。二〇一四年一二月現在で、医師・看護師、弁護士、落語家、歌手、声優、演奏家まで、一〇〇〇人を超える多彩な人々が、村上さんとフェイスブックでつながっている。石巻に拠点を置くカーシェアリングのボランティア団体が気仙沼の仮設住宅に乗用車を貸し出したのも、村上さんの要請がきっかけだった。第4章で紹介する移動支援ボランティアの梨木あきらさんも、村上さんから「買い物や通院が困難な高齢者を助けてほしい」とのSOSを受け取ったことから気仙沼での活動をスタートした。村上さんの活動は台湾でも知られ、フェイスブックの内容は中国語に翻訳されている。

 村上さんが仮設住宅での医療支援に動くことになるきっかけは二〇一一年六月初め、避難所が開設されていた気仙沼総合体育館に先述のキャンナスの一員として支援に入っていた岸田広子看護師との出会いだった。村上さんは、キャンナス東北のもう一つの支援先だった市民会館の避難所を出たところだった。「避難所ではキャンナスの看護師さんにお世話になりました」という村上さんのツイートを見つけた岸田さんが「こちらこそお世話になりました」とリツイート。総合体育館の駐車場で初めて対面した。

 避難所の撤収とともに、岸田さんも気仙沼からいったん引き揚げた。「ボランティアの形での仮設住宅支援のイメージについては、村上さんとつながるまで描けていなかった。村上さんから声がかからなければ、気仙沼の活動を続けることはできなかったでしょう」と岸田さんは当時を振り返る。

第1章 プレハブ仮設住宅で(2)

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