宇宙の始まりは見えなくても、初期の痕跡は残っている
人間は、どこまで宇宙の始まりの謎に迫ることができるのか。この壮大なテーマについて、現代宇宙論の立場から考える。

[第1章]

「この宇宙」には始まりがある

11 宇宙は永遠不変の存在ではない

宇宙は膨張しながら徐々にその姿を変えていく

 宇宙は今から約138億年前、「ビッグバン宇宙」という状態から始まった。この本を手に取った読者の多くは、「ビッグバン」について言葉だけでも聞いたことがあるだろう。ビッグバンとは宇宙初期の大爆発のことだ。それは、私たちがいま住んでいる宇宙とはまったく異なる宇宙だった。宇宙が誕生した直後は宇宙全体が熱い火の玉のような状態になっていた。このときの大爆発の余勢で宇宙は膨張し続け、熱い宇宙は徐々に冷えていき、138億年ほどかけていまの宇宙になった。

 この筋書きに基づいて作られた宇宙の物理的理論は、「標準ビッグバン理論」と呼ばれる。この理論を用いて宇宙の様々な性質を計算してみると、これまでに得られている多くの観測事実が実に見事に説明できる。このビッグバン理論は、現在の宇宙論においてほとんど疑う余地の残されていないほど、大きな成功を収めた希有な理論だ。ビッグバン理論によれば、宇宙の姿は時間とともに変化し、永遠不変の存在ではあり得ない。

 ビッグバン理論が確立する前までは、宇宙全体を大きく見れば永遠不変の存在であるはずだ、と考えられていた。しかし、現代宇宙論では数々の証拠によって、今と同じ状態の宇宙が永遠に続くという宇宙観は、事実と矛盾することがわかっている。

 つまり、宇宙は永遠不変のものではない。このことは、私たちがよく知っている宇宙の姿に始まりのようなものがあったことを意味する。そして、宇宙は膨張しながら徐々にその姿を変えていく。長い目で見れば、いまの宇宙の姿も一時的なものであって、いずれは宇宙全体が変わり果てた姿になっていく。

科学者も永遠不変の宇宙を望んでいた

 宇宙が永遠不変なものでない、というのは誰にとってもあまり気持ちのよい話ではなかろう。ついつい、永遠を信じたくなるのが人情というものか。人生が諸行無常の変化を免れないならば、せめて宇宙だけでも永遠不変の存在であってくれ、という望みを託したくなるところだ。しかし、宇宙自体も時とともに移ろい行く、と聞いた日には「宇宙よ、おまえもか……」とでも言いたくなる。

 科学者であっても、宇宙が永遠不変の存在であって欲しいと考える傾向があることは一般人と大差ない。実際、これまでに宇宙が永遠不変の存在だと信じていた科学者も多かった。かの有名な天才物理学者アルバート・アインシュタインも、宇宙膨張が観測的に発見される前までは、その1人であった。

 ところが、自然というものは、必ずしも人間がそうあって欲しいという望み通りにはなっていない。

 20世紀終わり頃までは、ビッグバンはなかったという説をこわだかに主張する研究者も少数派ながら残っていた。そして当時は、それらの説にもかろうじて検討される余地はあった。しかし、この十数年あまりで宇宙論的な観測はすさまじい進展を遂げた。現在までに得られている数多くの精密な観測事実は、ビッグバンがなかったとするそれら少数派の説を完膚なきまでに駆逐してしまった。

「諸行無常」は宇宙にも当てはまる

 この世界に起きるすべてのことには、始まりがあれば終わりもある。すべては諸行無常のものなのだ。いま読者が目の前に見ているものにも、このことはすべて当てはまる。本書を紙版で読んでいるなら、いま読者は製本された本を手にしているはずだ。その本は、筆者がここで原稿を書いているときには存在していない。筆者が原稿を書き終わってから読者がこの本を手にするまでの、どこかの時間で生まれたのだ。それ以前は本の形をしておらず、単なる紙とインク、もしくはそれらの原材料だった。

 この本は将来どういう運命をたどるだろうか。遅かれ早かれ読者の手元を離れ、そして再び本の形をとらなくなる。筆者にとっては悲しいことだが、燃やされて灰になってしまうかもしれないし、風雨にさらされたあげくに朽ち果て、大地に帰っていくかもしれない。

 このように、世の中には永遠に同じ形を取り続けるものはない。人間にとって永遠と思えるようなことがあったとしても、それは変化にかかる時間が長いだけであって、どんなことにもいずれは終わりが来る。自分の人生が永遠に続いて欲しいと思ったとしても、それはできない相談というものだ。それは宇宙自体についても言える。

12 宇宙の始まりを考える

始まりらしきものはなぜ始まったのか

 宇宙に始まりらしきものがあるとなれば、落ち着かない気持ちになる。なぜなら、その始まりらしきものはなぜ始まったのか、という疑問がただちに湧いてくるからだ。ビッグバン理論は、宇宙の始まりの原因についてまでは教えてくれない。なぜビッグバンという大爆発が始まったのか、標準ビッグバン理論の枠内では原因不明なのだ。

 もし宇宙が永遠不変の存在ならば、とりあえず始まりに関する疑問は生まれない。宇宙が無限の過去から存在していたというのなら、なぜ永遠不変の宇宙が存在するのかという疑問は残るものの、原因不明の始まりを考えるより少しは心が落ち着く。

 ところが、宇宙に原因不明の始まりがあると言われると、なんとも落ち着かない気持ちになる。何か足場を失ってしまったかのような不安感が心に生じてくる。心の安定を得る最良の方法は、神様が宇宙を作ったことにしてそれ以上何も考えないことなのかもしれない。だが、その神様はどこから生まれ出てきたのか、という疑問が次に湧いてくる。こうした疑問の連鎖を断ち切ることは難しい。

聖アウグスティヌスの「告白」

 宗教においても、宇宙の始まりについて、疑問の余地なく納得のいくように述べることは難しいようだ。旧約聖書の『創世記』の書き出しによると、「初めに神が天地を創造された」ということになっている。キリスト教の信者の中にもこれを読んで素直に納得できない人がいたらしく、

「神は天地を創造する以前に何をしていたのか」

と疑問に思う人もいたという。ところが、その答えは聖書には書かれていない。そうした疑問に対しては、

「そのような疑問を抱く者のために地獄を用意していたのだ」

などとはぐらかされていたという。

 古代キリスト教の神学者であり哲学者でもある聖アウグスティヌスは、有名な著書『告白』の中でこの問題に切り込んでいる。彼は率直に、知らないものは知らない、としながらも、神が天地の創造以前に何をしていたかについて深い考察を行っている。そして結局、時間そのものをも神が造ったのだから、天地創造以前には過ぎ去る時間というものがなく、神が何かをしているということもない、という推論に至っている。

 普通に生活している上では、時間というのはあってあたりまえだ。だが、神が時間のない状態から時間のある状態を作り出せるというのは、一体どういうことだろうか。これを考えだすと、そもそも時間とは何なのか、という疑問が自然と生じてくる。聖アウグスティヌスにとってもそれは大きな疑問だったらしく、同じ著書の中で、時間に関する問題を詳細に検討している。

 だが、かなり深くあれこれと考えたあげくに、最終的には、時間とは何であるかよくわからない、という結論に導かれている。彼の言葉として、

「時間とは何か、誰も私に聞かなければ私はそれを知っている。だが、それを誰かに説明しようとすると、私はそれを知らない」

というものが有名で、これはこの著書の中に記されている。

 聖アウグスティヌスによれば、神は時間の流れを超越した存在で、天地と一緒に時間をも創造したのだという。どうしてそのようなことが可能なのか、彼自身はただ驚くことしかできないと語っている。時間を超越した状態を思い浮かべるのは、時間に縛られている人間には不可能だ。最後には人知を超えた存在の神にすべてを委ねるしかなくなり、彼の推論も必然的にここで終わっている。

すべての原因はどこにあるか

 どんなものにも原因があるはずだと考え、その原因は何かと探り続けていくと、その行き着く先はどこだろう。出来事には何にでも原因と結果があり、原因となる出来事は必ず結果の前にしか起こらない。そして、その原因となる出来事というのも、さらに前にあった別の出来事の結果でもあるのだ。したがって、この世の中に起きる出来事の原因を次々とたどっていけば、それはどんどん時間をさかのぼっていくことになる。これを続けていけば最終的に、この世の中に起きることのすべての原因は宇宙の始まりにある、というところへ行き着く。

 それで、宇宙の始まりそのものが原因不明だと言われてしまうと、この世の中に起きることすべてが、根本的なところで原因不明だということになってしまう。これでは誰でも落ち着かない気持ちになるのは当然だ。聖アウグスティヌスのように、神様にすべてを委ねたくなってしまうのも無理はない。

 とはいうものの、科学がこれほどまでに発達した現代社会の時代にあっては、もっと客観的な科学的事実を知りたくなる。

13 標準ビッグバン理論が信頼できる理由

「精密宇宙論」の時代

 宇宙そのものを科学的に研究する分野は「宇宙論」と呼ばれ、現在では物理学の研究分野になっている。現代の物理学は、世の中に起きる現象すべてに原因がある、ということを客観的に明らかにした。例えば、私たちのよく知っている物質は、すべて物理法則にしたがって運動している。基本的な物理法則は例外を許さない。物理学的に解明されている基本的な現象に限れば、最初に与えられた条件のもとで、結果的にどういう現象が起きるかを、物理法則によって予言できる。

 にわかには信じられないかもしれないが、物理学を学べば、基本的なレベルの物理法則ほど予言能力のあるものは他にないことがよくわかるようになる。物質現象のすべては例外のない基本法則にしたがっている。そのことを知れば知るほど、大きな驚きを感じざるを得ない。

 標準ビッグバン理論は、こうした緻密な現代物理学に基づいて作られている。ビッグバン理論の予言は、実際に観測される宇宙と非常によく一致する。ビッグバン理論は、これほどうまく行くものかと思うくらい実にいろいろな宇宙観測の結果を、かなり細かなことまで整合的に説明できる。

 現代の宇宙論における観測の進展は凄まじい。昔の宇宙論は、誤差が大きくて、しかも数少ない観測結果に基づいて研究されていた。このため、宇宙論ほどおおざっぱな物理学の分野はない、とまで言われることがあった。だが、そのような時代は完全に幕を閉じた。いまや「精密宇宙論」とも呼ばれる時代だ。ここで言う「精密」とは、小数点以下何桁もの精度を持つ数値によって、理論予言と観測結果が比較されることを意味している。現代の宇宙論は精密な実証科学となっていて、その足場は確固としたものだ。

「静止宇宙論」と「定常宇宙論」

 標準ビッグバン理論は、他に数多く考えられた代替的な宇宙の理論を駆逐して、精密宇宙論の時代を生き延びた。まだ銀河系の存在も知られていなかった時代には、宇宙が全体として膨張したり収縮したりしない「静止宇宙論」というものが考えられていた。近代物理学の代表的創始者とも言えるニュートンと、現代物理学の代表的創始者とも言えるアインシュタインは、2人とも各々の作り出した理論に基づいた静止宇宙論を提唱している。だが、観測によって宇宙空間が実際には膨張しているとわかり、静止宇宙論は現実の宇宙と矛盾することが決定的になった。

 静止宇宙論が否定されると、今度は、宇宙空間は膨張しつつも永遠不変に保たれるという、「定常宇宙論」が考えられるようになった。常識的な考えでは、宇宙空間が膨張すれば、中に含まれる物質が薄められてしまう。このため、宇宙は同じ姿を保つことができず、そのままでは永遠不変の宇宙を実現できない。そこで定常宇宙論では、一定の割合で宇宙空間から物質が湧き出していると考えられた。空間の膨張によって物質が薄められても、それをちょうど補う分だけの物質が新しく空間に湧き出してくれば、宇宙の状態は不変に保たれる。

 このようにして、宇宙は膨張しつつも永遠不変の状態になっている、という定常宇宙論が提唱された。1950年代くらいまでこの理論はビッグバン理論の有力な対抗馬として人気を博していた。ところが、その後に次々と発見された新しい観測事実を説明することができず、結局はビッグバン理論の前に敗れ去った。

 繰り返すが、宇宙が永遠不変のものでないことは、現在ではもはや覆すことのできない事実となっている。望遠鏡を使って遠くの宇宙を見るとき、遠ければ遠いほど光の到達に要した時間が長くなり、それだけ昔の宇宙を見ることになる。現代的な観測技術をもってすれば、100億年以上も昔の宇宙を望遠鏡で直接見ることができる。この手段により、昔の宇宙は現在の宇宙とまったく違っていることが、はっきりと見てとれるようにもなった。

 定常宇宙論が観測によってはっきりと否定されるまでは、永遠不変の宇宙を望んで、ビッグバンが起きたことを望まない研究者も多かった。だが結局、現実の宇宙と一致したのはビッグバン理論であった。宇宙は、多くの人がそうあって欲しいという望み通りにはなっていなかったのだ。

ビッグバン理論は宇宙の真の始まりを説明しない

 標準ビッグバン理論自体は、宇宙が初期に熱い火の玉のような状態から始まったという前提のもとに作られている。いったんこの前提を認めれば、その後の宇宙がどのように変化してきたのかを理論的に計算することができる。一般相対性理論や素粒子論などの現代物理学を用いることで、この宇宙に関してかなり細かなことまで計算できる。その計算結果を実際の観測結果と比較すると、驚くべき精度で一致する。このことから、宇宙初期が熱い火の玉のような状態であったと確実に言えるのだ。

 では、その初期にあったとされる熱い火の玉のような状態はなぜ出現したのだろうか。その理由については、前にも述べた通り、標準ビッグバン理論の中に答えはない。現在、科学的に様々な可能性が追求されている段階であり、まだ、これについて確実に正しいと認められた定説はない。それだけに、様々なアイディアが交錯する流動的な研究分野となっている。果たして人間は、どこまでこの宇宙の始まりに迫ることができるのだろう。

第1章 「この宇宙」には始まりがある(2)

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