裁くという言葉が正しいのなら、刑事裁判において裁かれるのは誰であろうか。被告人だろうか。では、あなたは何かの拍子に刑事事件に巻き込まれ、無実の罪で犯罪者にされそうになったとき、法廷で裁かれる立場に置かれるのか。違う。司法権は最も身近な権力であ…
「ここ、テストに出します。過去の出題率、一〇〇%!」そう宣言し、私は大学教員時代、本当に憲法のテストで必ず出題していた。これを理解せずして大学卒業資格を認めるべきではないとすら考えていた。たとえ理系であっても知っておかねばならない基礎教養が、…
警察は巨大官庁である。しかし、検察庁は警察を上回る強力な権限を持っているのだ。結論から言えば、警察ができる捜査と逮捕を検察もできるが、起訴は検察にしかできない。警察が逮捕した被疑者を起訴するかどうかは、検察の一存なのである。極端なことを言えば…
明治四(一八七一)年七月、現在の法務省の前身である司法省が設立された。今で言えば大臣に当たる司法卿の席は一年ほど空いていたが、明治五年四月に肥前藩出身の江藤新平が初代司法卿に就任した。江藤が生まれた肥前(佐賀)は、独自の近代化を推進していた藩…
さて、我が国で「検事」という官職が現在の意味で用いられるようになったのは、明治五(一八七二)年の司法職務定制の定めからである。当時の司法卿・江藤が考えた検事とは「民の司直」であった。民事裁判にも立ち会い、裁判を受ける国民を助けることと、裁判で…
司法権を考える場合、裁判所と検察の関係を考察しなければならない。現行憲法下の最高裁と検察庁(法務省)、帝国憲法下の大審院と司法省(検事局)の関係は、制度と運用が大きく異なる。三点あげる。第一に、組織構造である。現在は最高裁事務総局が、裁判官の…
検察と政治の関係は、政治と金の関係と切り離すことができない。桂太郎率いる山県閥と、西園寺公望を担ぐ立憲政友会は情意投合の関係で、政友会は常に与党的立場にある。議会で法律を通してもらおうと、多くの業界が与野党双方に政治献金を行うのは、戦前も現在…
この頃になると、平沼は検事総長として検察機構を完全に掌握している。最も大きな要因となったのは、第二次西園寺内閣での行財政整理の一環で行われた司法部改革である。松田正久法相時代に司法次官の平沼が立案したものを松田は無修正で採用し、第一次山本内閣…
大正期、国民はデモクラシーを求めた。それは、大正元(一九一二)年に桂太郎内閣の退陣を求めた第一次憲政擁護運動に始まり、大正一三年の清浦奎吾内閣出現に対する第二次護憲運動によって結実する。首相は官僚出身の枢密院議長、閣僚はすべて貴族院議員。こう…
さて、この時代は政権交代から一年以内に総選挙を行うのが、常例である。なぜなら、与党が政策で行き詰まったときは野党第一党に政権交代するということは、新内閣成立の時点では少数与党であることを意味するからだ。これでは思うように政策を行えない。そこで…
陸軍部内の派閥抗争は、皇道派の荒木貞夫に代わり統制派の林銑十郎が陸軍大臣に就いた頃から大勢が決し始めていた。これに憤怒した皇道派の青年将校が暴発する。昭和一一(一九三六)年の二・二六事件である。陸軍から参加した行動部隊が岡田啓介首相をはじめと…
それはさておき、五・一五事件で首班に擬せられて以来七年、ようやく平沼は政権を獲得した。平沼内閣では、第一次近衛内閣から引き続き、塩野が法相に留任した。鈴木喜三郎は政党政治家として大失敗をしており、小山松吉はそこまで大物ではないと見做されていた…
昭和二〇(一九四五)年八月一五日、日本は敗戦の受諾を宣言した。この日から六年半にわたり、我が国はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の統治下に置かれた。連合国の中心であるアメリカの目的は、日本弱体化である。ダグラス・マッカーサーを総司令官とす…
昭和二〇年代の日本政治は、保守政党が二つに割れて存在していた。昭和二四(一九四九)年から昭和二六年の第三次吉田茂内閣の約二年間を除いて、社会党と組んだ方が政権を取る構図である。だが、社会党も単独では政権を維持できるだけの力は無い。昭和二二年六…
アメリカ本国では、昭和二一年に反共への政策転換の表明があり、容共政策を推進していた者の調査と処分が始まった。だが、日本で反共政策の転換が始まるには、民政局のホイットニー局長やケージス次長の失脚を待たねばならなかった。そのケージスは、昭和二三年…
昭和二五(一九五〇)年に勃発した朝鮮戦争は、三八度線を挟んで膠着状態にあった。ハリー・トルーマン大統領は朝鮮戦争の拡大が世界大戦化することを怖れ、停戦に向けて動いていた。しかし、マッカーサーは中国本土への攻撃や核兵器の使用を口にし、挑発するよ…
検察庁法第一四条「法務大臣は、第四条及び第六条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる」と定める。これが指揮権発動の根拠規定である。検察…
検察官には定年が定められている。大正一〇(一九二一)年六月から、検事総長は六五歳まで、その他の検察官は六三歳が定年となった。それは、戦後もそのまま引き継がれている。この二年違いの定年が首脳部人事に大きく影響する。たいていの役所では、事務方の長…
それは突然のことだった。東京地裁が、地球の軍事バランスを崩しかねない判決を下した。世にいう、伊達判決である。検察はまたしても政治に巻き込まれる。東京の北多摩郡砂川町にあった米軍立川基地飛行場周辺で、基地拡張のための測量を行っていたところ、基地…
しばしば、まことしやかに語られる俗説がある。「東京地検特捜部はCIAが作ったので、親中派の田中派系統は狙われるけれども、親米の岸派系統が狙われたことがない」というアメリカ陰謀論だ。確かに地検特捜部は占領期に創設されたが、検察庁は明治以来の機関…
井本台吉が検事総長になった後、昭和四三(一九六八)年一月二二日、池田は佐藤首相のところに出向き、検察陣について注文を付けた。翌日、佐藤首相は赤間法相を通じて池田の注文を「見送る」としている(前掲『佐藤栄作日記第三巻』二二一頁)。その後、三月一…
法学部生ならば、一度は「憲法判例」の類の本を読む。別名、「最高裁門前払い集」との陰口もある。最高裁の本来の仕事は、憲法判断である。法令が憲法に適合しているかを判断し、仮に深刻な人権侵害が行われた場合、違憲判決を下し、救済する。いかなる法律も命…
昭和四七(一九七二)年七月七日に田中角栄政権が発足し、翌昭和四八年二月二日には竹内寿平が引退して、大沢一郎が検事総長に就任する。先に述べたように、竹内寿平の後任候補は二人いた。一人が田中角栄との人脈を持つ大沢一郎東京高検検事長、もう一人は河井…
戦後政治において法務大臣の席が反主流派に渡ったことは一度しかない。佐藤栄作内閣末期の、前尾繁三郎だけが例外である。佐藤内閣の発足当初こそ前尾は反抗的であった。だが、政権が六年も続いた時点で、前尾は派閥の領袖の座すら大平正芳に追われ、もはや佐藤…
吉永祐介特捜部副部長は、内部に対しても情報を遮断した。個々が担当している部分的なことはわかっても、全体像がわからないようにしたのだ。警察からはザルのように情報が洩れ、すぐに新聞やテレビの俎上に載せられてしまうので、それを前提とした「部分」だけ…
田中角栄ロッキード裁判は暗黒裁判であった。このような主張をしたのは、英語学者の渡部昇一上智大学教授や、在野の政治学者の小室直樹ら、保守派の論客数人だけだった。小室直樹は「日本人は田中角栄を「殺した」ことで、みずからのデモクラシーをも捨てた」と…
昭和五三(一九七八)年一二月二五日、またしてもアメリカ証券取引委員会(SEC)で、マグダネル・ダグラス社とグラマン社が日本政府高官に不正な資金を渡したことを明らかにした。ダグラス・グラマン事件(日商岩井事件ともいう)の発覚である。年が明けて、…
昭和六二(一九八七)年一〇月三一日、中曽根康弘首相は、竹下登を後継自民党総裁に指名した。自民党総裁になるということは総理大臣になることである。それを日本人の誰もが疑いようがなかった時代だった。また、最大派閥を率いる竹下の政権は、長期安定化する…
平成四(一九九二)年一月一四日、特捜部は宮沢派の阿部文男を受託収賄罪で逮捕した。共和事件である。伊藤・前田・筧栄一の三代の総長は政治家の逮捕を控えてきたが、岡村総長はロッキード事件以来一六年ぶりに方針を転換する。時の首相は宮沢喜一、総裁派閥か…
平成三(一九九一)年三月に広島高検検事長に飛ばされた吉永は、同じ年の一二月には大阪高検検事長となった。これでもう東京に戻る芽はないなと吉永は思ったはずだ。検察批判が起きた時、吉永を長く取材していた松本正(朝日新聞記者)と小俣一平(NHK記者)…
バブル崩壊当初の衝撃から、国民が不況を実感していく一九九〇年代後半には、官僚による汚職の摘発が大きく取り上げられた。自民党が政権に復帰した村山内閣の頃から、不況のうさ晴らしの如くマスコミが官僚バッシングに興じていた。中でもテレビや週刊誌で大き…
「一〇〇回負けても、一〇一回目をやる」絶望する遺族を励ました山口地検の吉池浩嗣三席検事の闘志が、遂に凶悪犯を死刑に追い詰めた。平成一一(一九九九)年四月一四日に発生した、山口県光市母子殺害事件は記憶に新しかろう。一八歳一か月の少年が、女性を殺…
本書は『検証 財務省の近現代史 政治との闘い150年を読む』以来、六年ぶりの大著になる。前著はおかげさまで話題作となり、いまだに「倉山満の最高傑作」とお褒めくださる方も多い、幸せな作品となった。最高傑作かどうかは読者諸氏の評価に任せるが、代表…
伊藤博文『憲法義解』(宮沢俊義校注、岩波書店、一九四〇年)山崎丹照『内閣制度の研究』(高山書院、一九四二年)司法研修所検察教官室編『検察講義案』(法曹会、二〇一五年)裁判所職員総合研修所監修『刑法総論講義案(四訂版)』(司法協会、二〇一六年)…
倉山満(くらやまみつる)1973年香川県生まれ。憲政史家。中央大学大学院文学研究科日本史学専攻博士後期課程単位取得満期退学。大学講師やシンクタンク所長などを経て現職。現在は著述業の他、インターネット上で大日本帝国憲法を学ぶ「倉山塾」、毎日Yo…
検証 検察庁の近現代史2018年3月20日初版1刷発行2018年3月23日電子書籍版発行著 者―倉山満発行者―田邉浩司装 幀―アラン・チャン発行所―株式会社光文社東京都文京区音羽1-16-6(〒112-8011)https://www.kob…

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