一九八〇年代後半に膨らんだバブルは日本経済が絶頂に駆け上った輝ける瞬間というよりは、今に至る閉塞感の種を限界まで溜め込み、そして放出させた、断末魔的な現象だったのかもしれない。
二度の石油ショックを経て日本経済は低成長時代に入っていたものの、プラザ合意後の円高不況を克服するための低金利政策でマネーは奔流となって市中に流れ込み、不動産や株式、果ては絵画に至るまでが突如急激な値上がりを始めた。資産価格の増大は人々の間にユーフォリアを生み出し、かつて敗戦国だった日本がまるで永遠の富を手にした千年王国であるかのごとく語られさえした。
一九八九年暮れに四万円近くを付けた日経平均株価は、しかし、年が明け…
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