言葉の暴力――ではない。これは「暴力」そのものだ
2013年の新語・流行語大賞にノミネートされた「ヘイトスピーチ」なる現象は、年を追うごとに拡大している。当初は、東京・新大久保界隈における在日韓国・朝鮮人に対しての罵詈雑言ばかりが注目を集めていたが、いまや対するヘイトスピーチは全国規模に拡散。また、Jリーグのサッカー会場に貼られた「JAPANESE ONLY」という横断幕が、民族・国籍の差別を助長するとして問題視されもした。さらに、ヘイトの矛先は、中国やイスラムにも向けられている……。

*文中敬称略

*年齢は20153月現点です

プロローグ

▼パレ・ウィルソンの攻防戦

 クロワッサンのような形をしたレマン湖の西端に位置するのが、スイス第二の都市・ジュネーブだ。三方を囲む山々の向こう側は隣国フランスである。

 各種の国際機関が集中することで知られるジュネーブは、住民の4割が外国人ということもあり、街を歩く人々の顔つきも、身なりも、多様性に富んでいる。

 2014820日と21日の2日間、この国際都市で国連人種差別撤廃委員会の日本審査が行われた。人種差別撤廃条約に加入している日本の履行状況を調査するためのものだ。

 会場となったのはレマン湖畔に位置する同委員会本部だ。パレ・ウィルソンと呼ばれる荘厳なるつくりの建物は、国際連盟の創設を提唱した第28代米大統領ウッドロー・ウィルソンにちなんで命名されたという。

 ここは、近代日本の明暗を分けた場所として知られる。1933年の国際連盟特別総会がこの建物で開催された。中国からの日本軍撤退を求める報告案に対し、日本代表団の松岡ようすけ全権は唯一反対票を投じ、その後、日本は国際連盟を脱退した。

 そうした歴史と結びつける気はさらさらないが、しかし、日本にとってパレ・ウィルソンは、その後も居心地の良い椅子を提供しているわけではない。

 この日も、人種差別撤廃委員会に出席した政府関係者は、各国委員から集中砲火を浴びることとなった。

 議案の中心は「ヘイトスピーチ」の問題であった。

「なぜ、日本はヘイトスピーチを容認しているのか」

「なぜ、ヘイトスピーチを取り締まるための法整備ができないのか」

「警察は差別デモを守るために機能しているのか」

 各国委員からは厳しい意見が相次いだ。

 これに対し、日本は防戦一方だったといってもよいだろう。

「日本政府はこの問題に手をこまねいているわけではない」

「表現の自由を委縮させる危険を冒してまで、我が国はまだ、ヘイトスピーチの処罰を立法化させる状況にはなっていない」

 記者席で政府代表団の回答を聞きながら、私はこれまで目にしてきた「ヘイトスピーチの風景」を思い出していた。

 私が認識している「我が国の状況」とは、たとえば次のようなものである。

▼〝李明博人形〟を踏みつける

 旭日旗がへんぽんと翻る大阪・天王寺区の公園に、「愛国者」を名乗る老若男女が集まった。2013224日のことだ。

「日韓国交断絶国民大行進」と題されたデモが、いままさに始まろうとしている。

「在日(コリアン)への憎しみだけを込めて行進しましょう!」

 数十人の参加者を前にして主催者の青年が大声で呼びかけた。

「よし!」「そうだ!」

 参加者が拳を突き出して呼応する。

「朝鮮人を追い出せ!」

 興奮した若者の絶叫が公園に響き渡った。

 私にとっては見慣れた光景だ。もう何年も、こうしたデモや集会の姿を網膜に焼き付けてきた。それでも、このギラギラと高揚した場の雰囲気に、身体が慣れることはない。憎悪なのか、それとも娯楽なのか。参加者の紅潮した顔つきを見ていると、思わずたじろいでしまう。

 落ち着かない。気持ちがザラつく。背中の筋肉が強張る。

 デモ行進を前にした景気づけなのだろう。青白ボーダーの囚人服を着せられた〝人形〟が、参加者の前に引きずり出された。

 2012810日、ミヨンバクは韓国の現職大統領として竹島に上陸した。以来、〝反日の象徴〟として、保守系団体の格好の標的となっている。

 公園の地面に横たわった〝李明博人形〟を、参加者一人一人が「えいっ、えいっ」と踏みつけた。男も、女も、中学生も。

 ぼんやりと眺めている私に、主催者の青年が話しかけてきた。

「安田さん、今日は盛り上がりますよ」

 ああ、そうですか……としか言葉が出てこない。

 私は祭りの見物に来たわけではない。「盛り上がり」など期待していない。できることならば避けて通りたい。見たくない。抗議の対象が何であれ、憎悪で結びついた隊列など、視界に入るだけで気分が悪くなる。

「このくらいやらんとね。ガンガン言わな、あかんのですよ。これまで日本人は優しすぎたんですから」

 醜悪極まりないパフォーマンスを先導しながら、彼の口調は穏やかだった。まるで学芸員が絵画の説明をするかのような冷静な口調で、デモ隊の通過コースから参加者の顔ぶれまで、事細かに教えてくれる。

 茶色のカジュアルスーツに身を包んだ彼は、「24歳の会社経営者」だと名乗った。後にそれが噓だとわかるまで、しばらく私は彼の言葉を信じていた。24歳にしては幼い表情だな、と思わないわけではなかったが。

 14時。いよいよデモの開始だ。

「みなさん、チョンコ(朝鮮人に対する蔑称)と言っても差別じゃないですからね。あいつら人類じゃありませんから!」

 そんな〝決意表明〟が叫ばれた後、参加者が街頭に躍り出た。

「不逞鮮人殲滅」「日韓断交」などと記されたプラカードが掲げられる。

 先頭集団の男性が大型の拡声器からコールした。

「クソチョンコどもを八つ裂きにして、家を焼き払うぞ!」

「焼き払うぞ!」

「一匹残らずチョンコどもを、追い込んでやるぞ!」

「追い込んでやるぞ!」

「薄汚い朝鮮半島を、焼き払え!」

「焼き払え!」

 下劣な罵声を飛ばしながら、参加者は拳を突き上げる。

 日の丸が揺れる。旭日旗が上下する。憎悪が路上で弾け散った。

▼「ずっと攻撃されてたやん」

 私は隊列と少しばかり距離を置きながら、同じスピードで歩く。

 デモ隊が住宅街を抜けて大通りに差しかかったとき、旧知のライター・が私のもとに駆け寄ってきた。

「ねえ、一緒についていってもいい? 一人で取材すると、なんか怖いし、なにされるかわからないし」

 彼女は脅えた表情を見せていた。

 当然だろう。「八つ裂きにする」とまで言われて、在日コリアンである彼女が平常心でいられるわけがない。

 天王寺から鶴橋へと向かうデモ行進のルートは、彼女のホームタウンだ。たくさんの在日コリアンが、この場所で生まれ、この場所で暮らしている。彼女もまた、ここの路地裏を駆け抜けて大人になった。その町がいま、デモ隊によって汚されている。だからこそライターとして、そして在日コリアンの一人として、彼女は目を背けることができなかったのだと思う。脅えながらも「記録」することは、彼女の義務でもあった。

「在日ライター」である彼女は、デモ隊の面々にとっては格好の標的だった。毎日のようにネット上で中傷を受けている。「日本から出ていけ」「死ね」といった言葉がぶつけられるのは、彼女にとっての「日常」だった。

 私からけっして離れないよう、彼女に告げた。

 そして背後で小さくなっている李信恵を意識しながら、私はデモ隊を追った。

 その日のデモは私が知り得る限り、最悪といってもよいものだった。

 デモ隊は聞くに堪えないシュプレヒコールを繰り返しながら、日本有数の在日コリアン集住地域を行進した。

「朝鮮人死ね」

「殺せ、殺せ」

「ゴキブリ朝鮮人を叩き出せ」

「朝鮮人は二足歩行するな」

「朝鮮人は呼吸するな。酸素がもったいない」

「コリアンタウンを殺菌するぞ」

「朝鮮人は生きているだけで公害だ」

 小学生でも、ここまで下劣な言葉を口にすることはないだろう。それを情も理もわきまえたはずの大人たちが、嬉々とした表情で叫びながら、街頭を練り歩くのだ。

 隊列から発せられる言葉をメモに収めながら、それでもずっと気になっていたのは、私の背中に隠れるようにして後をついてくる李信恵のことだった。

 私はときおり後ろを振り返る。彼女はずっとうつむいていた。普段はいかにも〝ナニワのあね〟風の豪胆な雰囲気をまとっているのに、そのときばかりは猛獣に睨まれた小動物のように、小さく肩を震わせていた。デモ隊を正視することができずにいるのだろう。視線を自分の足もとに落としたままだった。

 それでいい、と私は思った。連中に顔を見せてはいけない。見られてはいけない。名指しで非難されることだけは避けなければならない──。私は李信恵の存在を隠すように、全身でガードした。そう、私は彼女を〝守った〟つもりになっていた。

 1時間ばかりのデモ行進だった。ゴールである鶴橋駅にたどり着いて、私は相変わらずうつむいたままの李信恵に声をかけた。

「これで終わったよ」

 李信恵は無言のままだ。

「まあ、よかったね、名指しで攻撃されること、なかったもんね」

 今にして思えば、私はなぜ、そんなことを口にしたのかわからない。ただ、彼女を直接に中傷する言葉が、デモ隊から飛び出さなかったことに安堵したのは事実だった。うつむいたままの彼女を少しでも元気づけたい、という気持ちもあった。

 だからもう一度、私は言った。

「個人攻撃されなくて、本当によかったよ」

 その瞬間、彼女が顔を上げた。表情が強張っていた。かっと見開いた瞳の奥に、怒りと悲しみの色が見てとれた。

「なんで……」

 かすれた声が返ってきた。

「なんで……よかったの? なにが……よかったの?」

 李信恵は私を睨みつけながら、なにか必死に言葉を探しているようだった。

 私はどう反応してよいのかわからず、ただ黙って彼女の表情を見ているしかなかった。

 彼女の眼に涙があふれている。唇が小刻みに震えている。

 堪えきれなくなったのだろう。彼女は泣きじゃくった。涙声のまま、彼女は私に激しく詰め寄った。

「私、ずっと攻撃されてたやん。『死ね』って言われてた。『殺してやる』って言われてた。『朝鮮人は追い出せ』って言われてた。あれ、全部、私のことやんか。私、ずっと攻撃されてた! いいことなんて、少しもなかった!」

 私をなじり、地団駄を踏み、泣き崩れた。

 言葉がなかった。いや、返すべき言葉など私は持っていなかった。ただ茫然と彼女を見つめることしかできなかった。

 彼女の言うとおりだった。

 彼女がデモ隊から名指しで攻撃されたかどうか、そんなことはどうでもよかったのだ。

「死ね」とどうかつされたのは、彼女だった。「殺してやる」と脅されたのは彼女だった。在日コリアンの李信恵はデモの間、ずっと、攻撃され続けてきたのだ。

 私はそのとき、ヘイトスピーチの「怖さ」をあらためて思い知った。

 私は、この日のデモがたまらなく不快だった。憤りも感じた。

 だが「朝鮮人を殺せ」と言われても、日本人である私は本当の意味で傷ついてはいない。しかし、当事者である李信恵は違った。徹頭徹尾、傷つけられていた。彼女だけではない。その場所にいたすべての在日コリアンは、ずっと、突き刺すような痛みを感じていた。

 それがヘイトスピーチの「怖さ」だ。

 自分ではどうすることもできない属性が中傷、、攻撃されているのだ。どんなに努力しても変えることのできない属性に、恫喝が加えられているのだ。

 ヘイトスピーチは単なる罵声とは違う。もちろん言論の一形態でもない。一般的には「憎悪表現」と訳されることも多いが、それもどこか違うように感じられてならない。

 憎悪と悪意を持って差別と排除を扇動し、人間を徹底的に傷つけるものである。言論ではなく、迫害である。

 言葉の暴力──ではない。これは「暴力」そのものだ、と。人間の心にナイフを突き立て、深く抉るようなものだ。

 泣きじゃくる李信恵を目にしたときから、私はそう確信した。

 いま、日本社会には、ヘイトスピーチがあふれている。路上で、ネットで、あるいは書物やテレビのなかに。

 許しがたいのは、話者の多くに「加害」の自覚がまったくないことだ。

 だからこそ「被害」が拡散される。泣き崩れ、傷つく人が量産される。

 前述した国連の人種差別撤廃委員会は、対日審査が行われてから8日後の829日、「最終所見」なる日本向けの勧告を発表した。

 そこでは日本政府に対し「人種主義的暴力と憎悪に断固として取り組む」「ヘイトスピーチと闘うための適切な手段をとる」ことを強い調子で求めていた。

 これに対してネット上では、「この際、国連など脱退しろ」といった意見も相次いだ。

 非現実的なネットの戯言と言ってしまえばそれまでだが、それでも私は、2014年の「パレ・ウィルソンにおける勧告」が、1933年の「パレ・ウィルソンの悲劇」と重なり、なにか暗澹たる気持ちをぬぐい去れなかった。

「差別者集団」を追いかけてきた私は、いまあらためて、ヘイトスピーチの「現場」を振り返ってみようと思う。

 私は日本社会がこれ以上、壊れていく様を見たくない。放置したくないのだ。

第1章 暴力の現状

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