謎の作家・百田尚樹に迫る
『日本国紀』『永遠の0』。ベストセラーを連発し、保守層に喝采を受ける発言を繰り出す作家・百田尚樹とは、本当に「放っておけば消える」ような論じるに値しない人物なのか? 百田への3時間半の単独インタビューを成功させたライター・石戸諭が「百田尚樹現象」を徹底解剖する!

日本を席巻する「百田尚樹現象」

取材・執筆 石戸諭

序章 ヒーローかぺてん師か

 日本のリベラル派にとって、もっとも「不可視」な存在の1つが「百田尚樹」とその読者である。誰が読んでいるのかさっぱり分からないのだ。百田の新刊『日本国紀』(幻冬舎、18年)は、1811月の発売から既に65万部に達し、ベストセラー街道を邁進している。「百田現象」について知ってはいるが、実際に読んだという人は少ないだろう。仮にミリオンセラーとなった『永遠の0』(講談社文庫、09年)などの百田小説を読んでいたとしても、もう公言したくない過去になっている──。

 心情はそのように描写できる。多くのリベラル派にとって彼の存在が可視化されるのは、時に物議を醸すツイッターの過激な発言を通してくらいだ。先日も、俳優・佐藤浩市がインタビューで安倍晋三首相の持病を揶揄したという一部の見方が広がったことを受けて、百田が「三流役者が、えらそうに‼」とツイートしたことがネットを騒がせた。過剰なまでのネット上の存在感と圧倒的な出版部数、逆にあまり見えてこない本人と読者の存在には大きなギャップがある。

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「サヨクか!」。見えない「百田尚樹」を追い掛ける取材はこんなひとことから始まった。19326日、まだ肌寒かった東京・神保町の夜である。私は、三省堂書店神保町本店前の路上にいた。店内では、文庫化されたばかりの『今こそ、韓国に謝ろう』(飛鳥新社、19年)のサイン会が始まったところだった。サインをもらった人に声を掛け、読者像に迫ろうと考えていたのだ。

Photo/Hajime Kimura

 会は大盛況で、午後6時の開始前から整理券片手に待っている人であふれ返っていた。列の先頭は50歳前後のサラリーマン風の男性で、グレーのスーツに白いシャツ、ネクタイもきっちり締めて立っている。私に「サヨク」と叫んだ声の主は渋谷区在住の税理士の女性(48)である。最初のひとことこそ強烈だったが、取材の趣旨を説明すると快くインタビューに応じてくれた。

「私、靖国神社の例大祭に行ってもマスコミから声を掛けられるんですよ。だから、またかと思ってしまって……」。薄手のベージュのコートを羽織り、ややウエーブがかった髪という都会的ないでたちは、物々しい「靖国神社」から連想されるイメージとは程遠いものがあった。

 彼女にとって、百田は「日本人の偉大さを思い出させてくれた小説家」だという。『海賊とよばれた男』(講談社、12年)などベストセラーとなった小説にほれ込み、百田の論説にものめり込んでいった。サイン会に来たのは、この日が初めてだという。78年前まで「知識がなく洗脳されていた」と冗談めかして語る彼女は、百田を介して日本の「真の姿」に接近していく。

 その結果、今ではアジア各地を旅行していても、若い時に感じていた「日本はここまで侵略していたんだな」という感情は消え、「アジア解放のために戦った日本人」に思いをはせるようになったという。

 彼女には在日韓国人の友人もいる。百田がツイッターで「韓国という国はクズ中のクズです! もちろん国民も!」などとつぶやく。これが彼らに対する「ヘイト」に満ちたものだ、という批判があることも知っている。しかし、友人たちとは政治の話はしない。あくまで自分の「意見」を持っているだけで、考えを他人に押し付けることはしたくないというのが彼女のスタンスだった。

 冒頭で百田尚樹にはギャップがある、と書いた。ギャップはそれだけではない。小説家と右派論壇人としての顔、読者への丁寧な応対と韓国や中国に対する攻撃的なツイートも二面性と言えるだろう。

 ファンから見れば日本を愛する「ヒーロー」、批判する側からは間違った歴史を語る「ぺてん師」のように見える。評価も真逆だ。積み重なったギャップは、極端から極端へと振れ幅を増幅させ、百田の姿をますます見えない存在へと変えていく。

 百田の実像に迫るべく、私は彼の著作を全て読み、過去のインタビューや雑誌の論説も可能な限り集めた。その上で、百田を重用する出版、テレビ関係者に取材を申し込み、3時間半にわたる本人のインタビューも収録した。

 本人にもあらかじめ伝えたように、百田と私は政治的な価値観や歴史観がかなり異なる。「リベラルメディア」と言われる毎日新聞で10年ほど記者経験があり、これだけ売れているにもかかわらず周囲で『日本国紀』を読んだ人に出会ったことはなかった。つまり、私自身も現象を捉え切れていない1人なのだ。だから、知ろうとすることから始めた。「分からない」から出発し、当事者に当たり、事実から浮かび上がる「現実」にこそ、真相が宿るというのが私の基本的な考え方だ。

 インタビューでも主張すべきはしたが、ディベート的に言い負かすための時間にはしなかった。彼の姿勢を丁寧に聞くことが、私が知りたい現象の本質を浮かび上がらせると考えたからだ。

 百田現象から見えるのは、日本の分断の一側面であり、リベラルの「常識」がブレイクダウン――崩壊――しつつある現実である。

1章 彼らたちの0

 リベラル派から百田への批判は3つに分けることができる。第1に「ヘイトスピーチ」まがいのツイートや発言を連発しているというものだ。批判を受けたものを列挙すれば切りがないが、先に挙げた韓国に対するツイート、沖縄の2紙を「つぶさなあかん」との発言は特記しておくべきものだろう。百田現象を取材していると話したとき、リベラル系の知人からはこぞって「差別発言は許せないので、批判してください」と激励を受けた。彼らの目に映るのは、やはりツイートなのだ。

 第2にファクトの確認が甘過ぎるという指摘だ。例えば、芸人の故・やしきたかじんと、彼が亡くなる直前に結婚した妻さくらの姿を描いた『殉愛』(幻冬舎、14年)では、たかじんの長女と元マネジャーの男性から名誉毀損で訴えられ、いずれも敗訴している。後者の裁判では14カ所で名誉毀損が認められ、元マネジャーへの取材がなかったことが認定された。

 何かと話題の『日本国紀』でも明確な事実誤認、ミスが発生し初版から増刷のたびに修正が繰り返されている。戦国時代にやって来た宣教師たちが「日本の文化の優秀さに感嘆している」根拠として、初版では「ルイス・フロイス」のものとされる文献が紹介されているのに、手元にある第8版では「フランシスコ・ザビエル」に変わっている。

 それだけではない。参考文献は明記されておらず、インターネット上を中心に、ウィキペディアからのコピペ疑惑、他文献からの盗用などを指摘する声が上がった。例えば、仁徳天皇について書かれた内容が別のメディアに掲載されたものに似ていると指摘を受けて、8版には「真木嘉裕氏の物語風の意訳を参考」という参照元を記した一文が追記されている。版元の幻冬舎が、ミスがあった事実を公表せずに修正を繰り返したことも批判に拍車を掛け、読者への誠実さとは何かが問われる事態になっている。

Photo/アフロ

 第3に右派的な歴史観である。百田自身はインタビューで、自らの政治的立ち位置を右派と左派の「真ん中」と語っていたが、それを額面どおりに受け取ることはできない。『日本国紀』には、右派の歴史本でおなじみの南京事件否定論、連合国軍総司令部(GHQ)が実行したウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)によって日本人は洗脳されたという説が登場している。

 日本の「素晴らしさ」を語るために、周辺国との比較を持ち出す手法も問題視されている。ベストセラー『応仁の乱』(中公新書、16年)で知られる歴史学者の呉座勇一は、百田の平安時代の描き方について、「中国の影響を脱した純粋な日本文化があったという誤解を生む。紫式部は『白氏文集』など漢籍を愛読し『源氏物語』に多く引用している。日本文化と中国文化を対立的に見るべきではない」(181225日付朝日新聞)と批判する。

 ここだけを抽出すると、百田尚樹とはおよそ論じるに値しない人物である。事実、取材時にそのような懸念を示されたことは一度や二度ではない。「言い分を聞く必要はない」「放っておけばやがて消える」──。

 3点の批判は非常によく理解できたが、それでも、私に浮かんできたのは「だが......」という思いだった。実際の百田尚樹とはどのような人物で、彼の本が売れるという現象は何を意味しているのか。単純な批判だけでは、答えが全く見えてこない。彼がたたき出してきた部数は、およそマーケティングがうまいというだけでは、さっぱり説明がつかないのだ。

 批判だけをしたいならわざわざ取材を重ねるまでもない。机上で完成させることができる。だが、それでは本質には迫れない。

3時間半のインタビュー

 1957日、東京・目黒──。ニューズウィーク日本版の編集部が入る真新しいオフィスビルにある会議室で、百田尚樹は3時間半にわたるインタビューに応じた。それは奇妙な時間だった。現象の中心にいるにもかかわらず、本人にその自覚は全くないのだ。政治的な発言で「影響力」を持ちたいと思ったことはない、とすら語る。

 印象的だったのは、百田自身も大絶賛したデビュー作『永遠の0』の映画版について聞いたときだった。映画では肝心なシーンで、日頃から百田、そして右派がこだわって使う「大東亜戦争」ではなく、「太平洋戦争」という言葉が平然と使われている。なぜ、これだけ歴史観を主張していながら「太平洋戦争」を受け入れたのかと尋ねた。

「私は『大東亜戦争』を使いますよ。でも、言葉一つにこだわって多くの人に映画を見てもらえないほうが嫌なんですよ。映画は娯楽やからね。よくできたシナリオでしたから、OKですよ。私はこう見えて柔軟なんです」

 この発言には、内心かなり驚いた。右派言論をリードしている「論客」だと思っていた人物が、柔らかい関西弁であっさりと「作家」としての正論を述べるのだ。

 ツイッターから攻撃的な人物を想像していた私は正直、面食らっていた。印象は決して悪くなかった。百田は1人でやって来て、どんな質問にも全て答えた。一人称は「私」か「僕」で、横柄な態度は一切なく、冗談を連発し、常に笑いを取ろうとする善良な「大阪のおっちゃん」だった。普段から攻撃の的にしている朝日新聞について、こんなことも言っている。

「昔の朝日新聞、天声人語は好きやったなぁ。特に好きなのは深代惇郎(筆者注:朝日新聞の名物コラムニスト。75年に死去)やね。彼の天声人語はもう文学や。あんなコラムが書ける人は今の朝日におらんやろ」

 往年の名コラムニストに敬意を払う百田の姿は、リベラル派が抱きがちな「粗雑な発言をする人物」というイメージからは明らかに乖離する「読書家」そのものだった。感覚は「ごく普通」で、ベストセラー作家然としたところは一切なかった。この「ごく普通」にこそ本質があったことを、私は後から知ることになる。

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