「太陽系外惑星の発見」には、どんな意義があるのか?
広大な宇宙空間に生命は存在するのか。今までの定説を覆す大発見を契機に、生命探索の世界的レースが始まった。新たな局面に入った天文学の最前線を当事者が明かす。

序 章 宇宙生命

 広大な宇宙の中には、地球のような惑星が存在し、宇宙人が存在している──。

 ほとんどの人が空想したテーマであろう。テレビでは時々、大特集を組んで宇宙人と遭遇した体験談や宇宙船の目撃情報を紹介している。筆者は、宇宙人の存在を否定するものではないが、一人の科学者としてそれらの事例がなかなか再現性に乏しいことから、あまり興味を持つことができなかった。

 ところが、一九九五年の天文学史上の大発見が契機になって、広大な宇宙に惑星や惑星系を探査して、地球外の生命の存在を確認しようとする世界的レースが始まり、宇宙生命の存在の可能性もあり得る、と思うようになった。それは、太陽系外に惑星が発見されたという衝撃的なニュースによってである(第一章で詳述)。中心の星は太陽に極めてよく似た恒星であり、生命の存在の可能性も含めて大きな反響を呼んだ。

 この発見を可能にしたのは、一つは観測技術・観測装置の飛躍的進歩によるところが大きい。ドップラー効果という古典的な技法を用いて、天体から発せられる光のかすかな波長のずれを見ることによって秒速三メートルまで正確に天体の動きを捉えることができるような装置を開発できたからである。もちろんそのためには、それを成功に導いた研究者のたいへんな努力があったことは言うまでもない。

 そしてこの発見は、それまでにもあった「第二の地球」の発見や「宇宙生命の存在」の確認を進める米国を中心とするプロジェクトに大きく加速をつけることになったのだ。この二十年から三十年の間には、必ず太陽系外の惑星に宇宙生命が存在することが確認できるとまで言われている。

 いや、それだけでなく、生命が存在する惑星の海や陸の割合、緑地の割合、さらには文明の発展度まで分かるのではないかと言われている。宇宙生命の存在を大きな研究テーマにする時代がまさに訪れようとしている。時代は、この分野で大きな節目を迎えようとしているのかもしれない。

 一九八〇年代までは、恒星や惑星がどのようにして生まれるのかといった観測研究は進んでいなかった。それは、それまでの天文学が可視光による観測が主であり、恒星や惑星が生まれる現場は、可視光では見ることが難しい領域にあったからだ。生まれたばかりの恒星や惑星は、可視光では見えない暗黒星雲の中に多くの場合、存在するのである。

 銀河の中で、九五%は恒星といわれている。われわれの銀河には一千億個の恒星が存在している。文字通り星の数だけあるわけだ。このうち五%は、星の材料である星間ガスと呼ばれるものである。ガスというと宇宙空間に霧散してしまいそうだが、一つのかたまりが太陽の重さの数倍から数万倍あるものもあって、そのため自分の万有引力(重力)で霧散してしまわないのだ。

 恒星や惑星はこのガスのかたまりの中で作られる。普通ガスは透明だが、その中には小さなチリが大量に存在しているため、若い星から発する光を吸収してしまう。それで、このガスのかたまりは暗黒星雲と呼ばれ、可視光では観測的研究が難しい状況にあった。

 従って、恒星や惑星の形成過程は理論的研究が先行していて、特に惑星形成論で有名なのは、林忠四郎京都大学名誉教授を中心として構築された「京都モデル」であった。このモデルでは、惑星は若い恒星の周りに存在したガス円盤の中で形成されたというものであった。

 太陽系の場合、

(一)内側の惑星(地球型の岩石質の惑星)と外側の惑星(木星型の巨大ガス惑星)の形成を自然に説明できた。

(二)太陽と惑星の組成の違い(太陽は九九%ガス成分でできているが、惑星は固体成分が多い)を説明した。

(三)木星の重さが自然と導かれる。

 など、数々の問題を解き明かしたので惑星系の形成に関する標準モデルと考えられていた。

 電波や赤外線は、可視光では見通すことのできなかった暗黒星雲の中を見通すことができる。濃い霧の中でも電波(ラジオ)は通じるように、電波や赤外線は透過力に優れている。一九八〇年代になると電波天文学や赤外線天文学といった可視光以外の望遠鏡による天文学が発展してきて、暗黒星雲の中の恒星や惑星の形成領域が調べられるようになった。

 その結果、理論的に予測されていた若い星の周りに存在する円盤が実際に観測されたのだ。そしてその円盤の大きさや重さは、「京都モデル」と大幅には違っていなかったので、太陽系ばかりでなく他の惑星系においても「京都モデル」的に惑星は形成されるものだと多くの研究者は信じていたのである。

 しかし、一九九五年の発見はそれを根底から揺さぶる発見でもあったのである。

 冒頭に述べたように、宇宙人の出現とか宇宙船の目撃談には、あまり興味は持っていなかったのだが、ある時、CSテレビの番組で「宇宙人との遭遇について」ディベートをしてくれないかと依頼された。相手も天文学の研究者で、私は、宇宙人との遭遇は難しいという立場で議論を行うこととなった。事前の打ち合わせはなく、約一時間のディベートであった。私は準備として二つの観点からこの問題について考えてみた。

(一)宇宙人と交信可能か。

(二)宇宙人と遭遇可能か。

 最初のポイントは、物理的な側面からの考察である。

 この広い宇宙空間という距離を隔てての交信だからたぶん、その手段は電波通信ということになるだろう。電波も光の速度ででんするから、通信には有限の時間が必要である。携帯電話や海外との中継で、音声の遅れが出るのは通信に時間が必要なためである。

 さて、われわれの太陽系にいちばん近い星(αセンタウリ)はどれくらい先にあるかというと、四・四光年先にあるのだ。つまり光の速さで直進しても四・四年かかる距離にあるということだ。

 従って、電波で交信するためには、電波が行って帰る時間、少なくとも八・八年必要なわけである。αセンタウリに生命が存在、もしくは誕生の可能性があるような惑星があるかどうか分からないし、高等生命が生まれているかどうかも分からない。

 そのため、交信の確率を高くするため、もっと多くの星に電波を発するとしたらどうだろう。それ以外の星は、より遠くにあるから交信の時間はもっと必要になるが、八・八年より長く待つことによって対象の星は増えることになる。待つ時間をTとすると、Tを長くすると対象となる星の数は、Tの三乗に比例する。Tがその対象の距離に比例するから、通信可能な領域は体積的に増えるので三乗になるのである。

 一方、信号を受け取るためには、電波を受信できるような高度な文明が、着信時に存在していなくてはならない。また、相手側に文明が栄えていて電波を受け止められなくてはならない。

 つまり、われわれと文明のフェーズが合っていなければならないのだ。人類は、宇宙空間を通して電波通信ができる技術を獲得してまだ百年ぐらいしかたっていない。宇宙が誕生して百五十億年といわれているが、その中で通信文明の確立した宇宙生命とのフェーズがうまく合わなくてはならない。地球上の文明と他の惑星の文明がうまく合う確率は、文明の存続時間もTとすると、Tに比例する。

 結局、宇宙生命と交信できる確率は、文明の存続時間の四乗(Tの三乗×T)に比例する。さて、地球の今の文明が一千年継続したとする。通信できるのは、五百光年以内の星ばかりである。この中には約五百万個の恒星が存在すると思われるが、惑星を持つ確率や生命が発生する確率、高等生命に進化する確率、相手と通信可能なように文明のフェーズが合う確率などを考えてみると、交信の可能性はずいぶん悲観的な状況であるといわざるをえない。

 それに一千年もわれわれの文明を続けることができるであろうか。最近話題の環境ホルモンとか、さまざまな人工物質を毎日食べ続けている人類がこれから先、一千年も存在できるとするのは、かなり楽観的な考えともいえるので、確率はもっと下がるかもしれない。ただ、一千年では悲観的であるが、四乗に比例して確率は増えるから、一万年文明が存続できれば充分地球外生命と交信可能となると思われる。

 この予測は、ずいぶん意味深い。

 人類が平和でかつ協力的に、生態系を壊さない形で文明を維持できればできるほど、それだけ他の宇宙生命と交信可能となるのだ。

 一方、二番目の論点は、

(一)宇宙人が地球に現れたとして、何のために宇宙人は地球に来るのか?

(二)または、地球人が宇宙旅行するとして、何のためにするのか?

 という精神的な面からの疑問である。

 もちろん大航海時代のように冒険のため、新たな富の発見のため、征服のため、または、地球または宇宙人の存在する惑星に何らかの異変が起こって脱出するため、など理由はいろいろ考えられるだろう。しかし、光で隣の星まで行って帰るのに八・八年必要なのである。ロケットがいくら速くなるとしても、光の速さの一%は超えられないであろう。仮に一%の速度としても、αセンタウリまで往復で八百八十年必要なのである。

 光を超えるタキオン宇宙船とか、ブラックホールとホワイトホールをつなぐワームホールを使っての宇宙旅行などSF的に考えられなくもないが、現実の科学の延長としては、これらは困難な手段であろう。

 火星に行く程度なら冒険としても考えられるが、三十世代もかかって(あるいは一世代の低温冷蔵によって、行くようになるかもしれない)、何のために他の惑星系に旅行する動機づけができるのであろうか。

 このように、私は宇宙の高等生命との交信も遭遇も、その実現可能性については極めて懐疑的であったのである。

 しかし、太陽系外の惑星の発見、また、最近の観測機器の向上と将来の展望を考えると、交信や遭遇はできないかもしれないが、自分が生きている間に、宇宙生命が存在する確証は得られるのではないかと考えるようになった。

 つまり交信しなくても良いため、必ずしも文明のフェーズが合っていなくても良いし、理論的にはどれほど遠くの天体も過去の姿ではあるが観測できるのである。

 二十一世紀は宇宙生命探求の世紀になるかもしれない。

第一章 次々と見つかる太陽系外の惑星(1)

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