「アンダースローだから、ここまで生き延びて来られた」
子供の頃から「エースで四番」が当たり前のプロ野球界にあって、常に二番手投手だった著者が、日本一、アジア一、そして世界一の栄冠を勝ち取れた理由は? 目からウロコの投球論。
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*〈いいピッチャー〉のフォームは、無駄がなく、きれい

 一軍で活躍している〈いいピッチャー〉は、みんなフォームに無駄がありません。無駄を省いたきれいなフォームで投げている。

 ファーム(二軍)にいる頃から自然と、

(ああいうピッチャーが一軍で活躍するんだな)

 と、感じていました。

 うちのチーム(千葉ロッテマリーンズ)の場合、入団するときから「超大物ルーキー」と呼ばれていた投手はあまりいません。でも、プロに入ってからすごく活躍する。いま一軍で中心になっているピッチャーはみんなそうです。だんだんフォームの無駄を省き、成功していく。入ってから見て覚える。また、うちの投手陣の場合、先輩たちがいろいろと教えてくれます。

*工藤投手と黒木投手の会話に受けた衝撃

 社会人(新日鐵君津)のとき参考にしていたのは、工藤公康さん(巨人)と黒木知宏さん(千葉ロッテ)のフォームです。ふたりのフォームはどちらも理想というか、無駄がありません。ふたりから学んだ部分は大きいです。

 シドニー・オリンピック(二〇〇〇年)に出場した年のオフ、プロ野球のタイトルを獲った選手たちの表彰式(プロ野球コンベンション)に、五輪代表になったアマチュア選手も呼ばれました。アマチュア選手がそんなところに出られる機会は、それまでほとんどなかったのですが、初めてプロアマ合同で日本代表を作ったためでしょう。

 その会場で僕が座った席が、黒木さんと工藤さんと一緒のテーブルでした。

 工藤さんには、その年のプロアマ合同キャンプで、僕が巨人キャンプに参加したとき、いろいろと教えてもらっていました。黒木さんとはシドニー五輪でチームメイトでした。確か、どうしても話が聞きたくて、狙って座ったのです。内心ものすごく興奮していたのを覚えています。

 その席で、工藤さんと黒木さんが、「ピッチングってこうだよな」と、会話している。普段は聞けない、プロの投手の技術論。いまの自分のフォームができるきっかけになった話が、たくさんありました。

(これ、アンダースローでも使えるんじゃないか)

 聞きながら、夢が広がりました。

 一番印象的というか、「そうか!」と思ったのは、投げるときの身体の使い方です。

*身体を捻らず、上体を横にしたまま真っ直ぐ移動

 上半身を面で捉えると、縦長の長方形です。普通はその長方形を斜めにねじらせながら投げるイメージです。上半身を捻って、腕がしなりながらついてくる感じ。

 黒木さんと工藤さんふたりの考えは、僕が思っていた常識とまったく違いました。

 長方形が捻れない。上体を真っ直ぐ立てたまま横に移動して、足を踏み出して投げる瞬間に、パッと九〇度回転して投げる。足を上げてから下ろすまで、打者に対する上体の角度は変えずにスーッと真っ直ぐいって、投げるとき、タンと上体を返す。ふたりとも、そうやって投げていると言うのです。

 工藤さんが黒木さんに、「お前の歳でそれができたら楽だよなあ」と話していた。なるほどなあ、と驚きました。

 身体を捻って投げた方が、「絶対強い球がいく」と信じている投手が多いと思います。確かに強い球はいくかもしれないけれど、バッターからはものすごく見やすい。

 バッターからすると、だんだん投手の身体が開いてきて、はいボールが来ますね、はい来た、という感じで、予測ができる。だから自然に身体が反応して打てる。

 ところが、上体が真横のまま移動して、突然、投げるときバッターに正対すると、いつボールが来るのか、タイミングが取りにくい。真横に移動している分には、バッターから見える形が一緒だから、わからないのです。

 意識してそうしているのか、元々そうなのかはわかりませんが、そのつもりでフォームを観察すると、そう投げているピッチャーがたくさんいます。

 本当に力勝負のできるピッチャーは、上体を捻って投げますが、それでもよく見ると、瞬間的にバッと、上体を打者に正対させて投げています。

 高校野球のピッチャーが急にこの投法に変えるのは、難しいかもしれません。上体の角度を変えずに、真横に保ったまま真っ直ぐ移動するのが、なかなか難しいからです。

*ボールが隠れていても、出てくるタイミングがわかれば意味がない

 バッターから見て〈ボールの出どころ〉が見づらいように、〈ボールを隠す〉とよく言いますが、ボールが隠れていても、出てくるタイミングがわかれば、バッターはそれほど困りません。大切なのは、このタイミングを取らせないことです。

 工藤投手や黒木投手の投げ方だと、ボールが出てくる瞬間まで、バッターはタイミングを予測することができません。ボールが見えてから「アッ」と対処する形になるので、どうしてもタイミングが遅れます。

「ピッチングとは何か」「バッティングとは何か」と聞くと、プロの選手はだいたいみんな「タイミング」と言います。「」とか、いろいろな言い方がありますが、大切なのはタイミング。ピッチャーなら、いかにバッターがタイミングの取りにくい投げ方をできるかです。

 その話を、アマチュアの僕がプロの大投手ふたりから聞けたのはラッキーでした。メモを取りたいけれど、そうするわけにもいきません。早く投げて試してみたいと、ワクワクしながら聞いていました。

*力感がないのがいいと、最初は気づかなかった

 新日鐵君津の寮に帰って、すぐにブルペンで試してみました。この投げ方だったら、何球投げても大丈夫だな、というのが最初の実感です。筋力ではなく、重心の移動、体重移動でボールに力を伝える投げ方だからでしょう。

 でも、投げていてすごく物足りない。力が入っていない感じがして、満足感がない。理屈では、「無駄がない」のがわかるけれど、「投げた、すごい球がいった、力が伝わった」という実感がありません。

(まだこれ、身につけるには時間がかかるなあ)

 力感がないのがいいんだと、そのときは気づかなかったのです。

 その頃の僕は、より速い球を投げる、速球派のアンダースロー投手を目指していました。「本格派」と言われたかった。アンダースローだから「技巧派」と呼ばれるのが嫌でした。技巧派というと、なんだかズルイみたいな印象がある。だから、そう呼ばれるのがどうしても嫌だったのです。自己満足ですが、投げていて気持ちがいい、投げたぞ! という力感のある投球をしたかった。

「力を抜いて投げるのがいいんだよ」と誰からも言われるし、僕自身も頭ではわかっている。「力が入らない方がいい」と、僕も口では言っていましたから。でも、本当のところはわかっていなかったのです。

*一四〇キロは出ないと、プロとして恥ずかしい

 シドニー五輪(二〇〇〇年)に出たときは完全にスピード勝負で、かなり意気込んで投げていました。スピードがなかったらプロ野球には入れないと思っていましたし。

 プロに入っても最初の一、二年は、とにかくスピードを出したくて、飛び跳ねて投げていました。

「アンダースローにした時点でもう技巧派じゃないか」と、割り切れたのが、プロに入って三年目のシーズン(二〇〇三年)です。あとがない、こだわっている場合ではない、結果が出ないとどうにもならないという、切羽詰まった状況に追い込まれてからです。

 それまでは本気で一四〇キロを出そうとしていました。そうじゃないとプロ野球では通用しないと思い込んでいました。プロの投手なのに一四〇キロが出ないのは、自分でも恥ずかしいし、スピードガンの球速表示をお客さんに見られるのも嫌だった。ストレートなのに「なんだ、渡辺。いまのは変化球か?」っていう数字ですから。

 どこかの新聞の紹介記事で、『一四〇キロ台中盤の速球が武器』などと書かれていたことがありました。勘弁してよと思ったけれど、本気で、早く一四〇キロを投げられるようにしなくては、それにはどんなトレーニングをしたらいいんだろうと、球速を速くすることばかり考えていたんです。

*野球をクビになったら、どうやって生活しよう

 社会人からプロ入りして三年目のシーズンのとき、このままではまずいな、と追い込まれる状況になりました。年齢は二六歳。誕生日が来れば二七歳になる。ちょうど結婚した年です。毎日、不安でたまりませんでした。

(野球をクビになったら、どうやって生活していこうか)

 本気で考えていました。

 選手会のミーティングとかで、引退後の就職についての話をしてくれます。プロ野球選手が就職する際には相談にのります、というパンフレットを、僕は本気でもらっていました。こういうのがあるのか、この人に相談したらいいんだな、と真面目に考えていました。

 この世界にいると、イヤでもまわりの現実を見せられます。社会人からプロに入って、僕と同じ二年でクビ、三年でクビ……。毎年確実にそういう人がいます。そこそこ活躍しても、四~五年でクビになる選手もいます。自分の成績を照らし合わせると、本当に今年が最後のチャンスだなと、切実な思いがありました。

 前の年(二〇〇二年)の成績は〇勝三敗。ファーム(二軍)の試合では抑えるけれど、上(一軍)に上がったら打たれるケースが多かった。

(アンダースローは一軍じゃ通用しないのかな……。だから最近、アンダースローのピッチャーがプロ野球にいないのか)

 三年目になると、やはり通用しないのかな、という思いが強くなっていきました。

 プロに入った一年目のときは、そういう不安の一方で、

「だから逆に、アンダースローがプロで通用することを自分が証明してやりたい」

 と意気込んでいた。それがだんだん自信をなくして、いまアンダースローはいないから「有利」「チャンス」ではなくて、「アンダースローはプロで通用しないから、いないんだ」と悟るような感じになってきたんです。

*登板して打たれるより、ファーム落ちが怖い

 ファームから一軍に昇格して試合で投げるときは、打たれるよりも、またファームに落ちることが怖くてたまらない。ちょっとフォアボールを出すと、監督の顔が気になって仕方がない。いつも自軍のベンチを意識して投げていて、ちっとも相手と試合をしていませんでした。

(このピッチングで、一軍に残してくれるかな)

 勝ち星が自分につく、つかないよりも、一軍に残れるかどうかの方が大事。

(負けてもいいから、いいピッチングをして一軍に残りたい)

 そういう心理状態でした。

 試合が終わったあと、マネージャーに呼ばれるのが本当に怖い。「マネージャーが呼んでるよ」と言われてベンチ裏に行ったら、ファーム落ちの通告ですから。すぐ荷物をまとめて、「明日は何時に練習開始だから」と言われる。二年目は四往復くらいしましたから、もう恐怖症です。コーチ室や監督室にも怖くて近寄れない。あそこに呼ばれるときはファームに落ちるときですから。

 逆にファームから一軍に昇格するときはうれしい。同じようにマネージャーか二軍監督に呼ばれて、「明日から頑張って来い」と握手される。

 でも、その頃の僕は、ファームで抑えてはいても、確固たる自信を持っていませんでした。まずコントロールが悪かったし、自分は中継ぎでいくのか先発でいくのかも決まっていない。どうしたら抑えられるのかも、わからない。

 二年目が終わったオフに、僕と同じ年齢の弘田雄士コンディショニングコーチが入ってきました(現在は、千葉ロッテのコンディショニングコーディネーター二軍チーフ)。

 彼と、オフの間から毎日ずっと、こうじゃないああじゃないと話をして、それがうまくいき始めたためか、三年目はスタートから、それまでの野球人生の中でこれ以上ないくらいよかったのです。

 ファームの試合で投げていても、打たれる気がしない。勉強のため、自分で全部配球を考えて投げたこともありましたが、それでも抑えられるくらい。生まれて初めて、自信を持ってマウンドに上がれるようになったんです。

 そのとき千葉ロッテのファームは強くて、イースタンで独走の一位。一軍も結構調子がよくて、なかなか呼んでもらえませんでした。やっと呼んでもらって、登板した試合が、五月二一日のオリックス戦です。

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第1章 本格派から技巧派への決断(2)

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