貧しい人々が信用に値しないのではなく、既存の銀行が人びとに値しないのである
バングラデシュの貧しい女性たちに無担保で融資し、自立を促す「グラミン銀行」。その活動を8年にわたって調べてきた著者が、女性たちの奮闘する様子を活き活きと描く。

2章 グラミン銀行とは何か

1 グラミン銀行誕生と貧しさの基本的な考え方

□一日の稼ぎが二・五円:グラミン銀行(NGO)の誕生

 グラミン銀行のグラミンとは、ベンガル語で「村の」という意味である。グラミン銀行は、一九七六年、チッタゴン大学の経済学部長であったムハマド・ユヌス博士による、貧困を削減するためのプロジェクト「グラミン・バンク・プロジェクト」が始まりである。

 ユヌス博士は自伝のなかで、グラミン銀行の誕生を、以下のように回想している★1

 一九七四年、バングラデシュを襲った大飢饉は、私の人生を変えた。私は、飢饉を目の当たりにして、経済理論は飢えて死にゆく人びとを救うことができないという虚しい感情にとらわれた。そこで、貧しい人びとの暮らしを反映するような生きた経済学を探求しようと、大学の隣にあるジョブラ村の貧しい家々を訪れた。ある日、竹の椅子を編んでいたソフィアさんに出会った。彼女は、仲買人から五タカ(一六セント)を借り、それで竹を買って椅子をつくり、でき上がった椅子を仲買人に売っていた。こうして彼女は、一日に五〇パイサ(一・六セント:二・五円)稼いでいた。

 私は、一日中働いた稼ぎが五〇パイサであることに衝撃を受けた。なぜ彼女は貧しいのか。それは、彼女が現金を仲買人から借りていたため、製品を買い叩かれていたのだ。彼女には、わずか五タカがないのだ。もし、彼女が信用(credit)されて少額を借りることができれば、製品を買い叩かれずに、もっと高い値で売れるだろう。

 私は、さっそく、ジョブラ村にソフィアさんのような人が何人いるか調べた。四二世帯が合計八五六タカ(およそ二七ドル)借りていた。わずか二七ドルにも満たない額がないばかりに、四二世帯の人びとは悲惨な暮らしをしているのだ。しかし、貧しい人びとに信用貸しするフォーマルな機関はない。ではどうするか。つくればいいのだ。これがグラミン銀行の始まりである。

 グラミン・バンク・プロジェクトは、男性八人、女性二人の合計一〇人の参加者で始まった。ソフィアさんは、女性二人のうちの一人である。

 私は、二〇〇三年三月五日にジョブラ村を訪れ、いつものように多くの女性から話を聞いていた。そのとき偶然にも、ソフィアさんと同じグループだった女性に出会った。モリカさん(六五歳)である。彼女は、もう一人の最初の女性メンバーだった。グラミン銀行第一号支店、グループ番号一番。これが彼女の所属番号である。息子三人、娘三人をもつ彼女は、ユヌス博士が彼女の家に来て、彼女の話を聞きたがったことなど、いまでも鮮明に覚えていると語ってくれた。

□貧しい人びとが株をもつ正式な銀行:NGOから特殊銀行に

 一九八三年、グラミン銀行は政令により、特殊銀行として正式に設立した。政府が六〇、すべてのメンバー(一人一株)が四〇の株をもつ★2、きわめてまれな銀行の誕生である。グラミン銀行総裁となったユヌス博士は、この年の報告書の序文★3で、次のように決意を述べている。

 この国の強さは、能力と意志のある多数の人びとのなかにある。私たちは、こうした強さをもつ土地のない貧しい人びとをまとめ、大きな経済力としよう。

 一〇人のメンバーから始まったグラミン銀行は、この年、五万八〇〇〇人(男性五五、女性四五)となった。一九九一年には一〇〇万人を、一九九四年には二〇〇万人を突破し、二〇〇四年一二月現在、三九六万人に成長した。バングラデシュにあるすべての村のうち、六〇をカバーしている。一九八四年から、女性メンバーが男性メンバーより多くなり、今日では九五が女性メンバーである。

□グラミン銀行の哲学

 グラミン銀行の創設者、ムハマド・ユヌス博士は、わかりやすい言葉で、常に私たちに語りかける。彼の言葉★4から、グラミン銀行の哲学が感じとれる。

・クレジットは、基本的な人権である。

・人はだれでも、機会さえ与えられれば、よりよい生活をしようとする能力と意欲をもっている。

・貧困は外から規定され、人工的・社会的につくり出されたものである。

・人びとが銀行に行くのではなく、銀行のほうが人びとのもとに行く。

・グラミン銀行の原則、原理は、きわめて単純で、不変であるので、私たちは組織を柔軟に運営することができる。

・貧しい人びとが信用に値しないのではなく、既存の銀行が人びとに値しないのである。

□貧しさを脱出するとはどのようなことか

 実際、私たちは、バングラデシュの農村に暮らす貧しい人びとの生活を、どうやって想像すればいいのだろうか。そのために、大いに手助けとなるリストを示そう。これによって、人びとにとっての貧困と、そこからの脱出という道筋が見えてくる。

 一九九八年、グラミン銀行とメンバーは話合いにより、「貧困のない生活」を次のように決めた★5

「貧困のない生活」

⑴ トタン屋根のある家をもつ。

⑵ 家族全員にベッドがある。

⑶ 安全な飲み水が手に入る。

⑷ 衛生的なトイレをもつ。

⑸ 就学年齢に達した子ども全員が学校に通える。

⑹ 冬用の暖かい衣料が十分にある。

⑺ 蚊帳がある。

⑻ 家庭菜園がある。

⑼ 生活がどんなに苦しいときでも食料不足にならない。

⑽ 家族の大人の働き手全員が十分に収入が得られる機会をもつ。

□生活を改善するための一六の決意

 一九八四年、全国ワークショップにおいて、メンバーの代表一〇〇人が、自分たちの生活をよくするために、そして、最終的には貧困から脱出するために、一六からなる決意を定めた。メンバーには、生きる意味と目的を示す、具体的な指針が必要だったのである。これは「一六カ条の決意」と呼ばれ、生活憲章になっている。

 今日でも、メンバーはこの決意を唱え、それが日常生活に浸透し、活かされている。「一六カ条の決意」とは、次のようなものである★6

⑴ 私たちは、どのような人生を歩んだとしても、グラミン銀行の四つの原則である、規律、団結、勇気、勤勉を守ります。

⑵ 私たちは、家族に繁栄をもたらします。

⑶ 私たちは、あばら家には住みません。できるだけ早く改築するか、新築できるように、仕事に励みます。

⑷ 私たちは、一年中野菜をつくり、たくさん食べます。あまればそれを売ります。

⑸ 私たちは、苗木を植える季節には、できるだけ多く植えます。

⑹ 私たちは、家族計画をし、出費を最小限に抑え、健康に注意します。

⑺ 私たちは、子どもに教育を受けさせます。子どもが教育費を稼げるようにします。

⑻ 私たちは、常に子どもの身体を清潔に保ち、家屋や周囲の環境の美化に努めます。

⑼ 私たちは、簡易トイレを設置し、使います。

⑽ 私たちは、水を飲む前に沸騰させるか、ミョウバンで浄化します。砒素を取り除くために、フィルターを使います。

⑾ 私たちは、息子の結婚で持参金(ダウリ)を要求せず、娘の結婚でも持参金を出しません。児童婚はさせません。

⑿ 私たちは、だれにも不正義を押しつけず、だれからも不正義を押しつけられることを許しません。

⒀ 私たちは、より高い収入を得るために、共同で大きな投資を行います。

⒁ 私たちは、常に助け合います。だれかが困っているなら、みなで助けます。

⒂ 私たちは、どこかのセンターが規律を破っているとわかれば、みなで駆けつけ、規律の回復の手助けをします。

⒃ 私たちは、すべての社会活動に、みなで参加します。

 ここで、持参金(ダウリ)と児童婚について、説明しよう。持参金の問題は、経済的に重い負担となっているが、持参金なしで結婚させることはむずかしいと、メンバーたちはいう。持参金(現金、家電、土地など)は、花嫁側から花婿側に贈られるが、その内容は花嫁側、花婿側の双方で話し合われる。息子であれば、持参金は大きな収入になり、娘であれば、大きな支出になる。約束された持参金の支払いが遅れると、花嫁にたいする暴力や「ダウリ殺人」にいたることもあり、持参金はインドやバングラデシュが抱える社会問題となっている★7

 児童婚は、早婚を是認する社会規範を背景としている。少女は初潮を迎えると成人とみなされ、純潔のまま、できるだけ早く結婚するように促される。一〇歳未満で結婚する場合もある。

 一九二九年に、一六歳以下の結婚を禁じる法が制定されたが、罰則規定があるだけで、児童婚そのものが無効とされているわけではない。そのためもあってか、児童婚は農村では一般的な現象である、という報告がある★8

 女性の初婚平均年齢は、一九三一年一三歳、一九六一年一四歳、一九七四年一六歳、一九八一年一七歳、一九九一年一八歳で、二〇歳を超えたのは一九九六年からである★9。農村部は都市部より早婚の傾向が強いため、平均はこれより低くなるだろう。

第2章 グラミン銀行とは何か(2)

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