「社論を決めるのは私で、会議ではない」
メディアの独裁者=ナベツネの決定版評伝!「一千万部」の力を背景に総理を動かし、世論を操る読売王国の統帥、渡邉恒雄。

第一章 反逆児

 昭和九年(一九三四年)は不吉な年だった。東北地方の凶作による食糧難が深刻化し、九月のむろ台風で四国、近畿地方に死者・行方不明者三千人あまりが出た。十一月には陸軍士官学校の士官候補生らによるクーデター計画が発覚し、まもなく訪れる暗い戦争の時代を予感させた。

 この年、不動貯金銀行(旧協和銀行の前身・現りそな銀行)に勤めていた渡の父親・平吉が東京・杉並区の自宅玄関で突然、血を吐き、一週間後に他界した。当時四十七歳。胃がんだった。

 大正十五年生まれの渡はこのとき八歳。五人姉弟の三番目で長男である。父が残した十一軒の貸家からの家賃収入で当面の生活費には困らなかったが、稼ぎ手をなくした一家には将来の生活の不安が重くのしかかった。

 しかも母親の花は、夫を失った打撃からなかなか立ち直れなかった。二年あまりの間、暗い部屋に閉じこもって泣き暮らす日々がつづいた。ちょっとでも目を離せば後追い自殺するのではないかと心配した親類が、女中二人を雇って彼女の動向をたえず監視させた。

 渡の幼年時代には父の死以前の記憶があまりない。わずかに、真面目な銀行員だった父親が夕方の六時ごろにはきちんと家に帰ってきたこと、その父が買ってくる土産みやげを楽しみにしながら姉弟そろって駅に迎えにいったことなどを断片的に覚えているぐらいだ。彼自身、

「俺の人生の始まりは、八歳のときだった」

 と言うのだから、父の死と、延々とつづく母のどうこくは、それまでの幸福で平穏な日々の記憶を消し去ってしまうほどの衝撃だったのだろう。

 戦前の家父長制下では長男の渡が全財産を相続し、一家の柱として責任を負わねばならない。母親も「お前がしっかりしないと渡家はどうにもならない」と渡に言った。しかし、彼には相談する相手もいない。母親に甘えたいさかりの小学生には耐えきれないほどの重圧だったにちがいない。

 それをはね返すには、小さな体に眠るエネルギーを全開させるしかない。後に彼の性格を特徴づける人並みはずれた闘争心や、愛情と憎悪の異様に激しいコントラストは、おそらくこの時期につちかわれたのだろう。

 渡は勉学に励んだ。母親の花の期待も、彼の立身出世の一点にかかっていた。学校から帰って夜になると、花が家庭教師として雇った小学校の担任の家に通った。そこで四年生のうちに六年までの教科を終え、残り二年は中学受験に専念した。家で勉強するときは必ず花が机のそばに付きっきりだった。花はいつもこう言って彼をしつしたという。

「お前は総領だ。総領というのは跡継ぎだ。だからお前は勉強して偉くならないかん。成績も全甲(全学科の成績が優秀であること)でないと、援助してくれている目黒の伯父さんに報告できない」

 目黒の伯父さんとは、花の実兄で、平吉が勤めていた不動貯金銀行の重役・柳井信治のことだ。苦学の末、巨額の資産を築いた立志伝中の人である。目黒に広さ約千坪の大邸宅を構え、そこでは植木屋が毎日三、四人「柳井」と書いたはっぴを着て、庭の手入れをしていたという。

 花の夢は、父のいないわが子を兄の柳井のように地位も財産もある人間に育て上げることだったろう。だが、渡の成績は花の過剰な期待を満足させるほどには上がらなかった。

 小学六年の同級生で、後に同じ読売新聞に入る鹿子木昭介が語る。

「そのころの渡君は色白でひ弱な感じで、あまり目立った存在ではなかったと思います。中学受験の内申書では僕と彼はちょうど同じくらいの、クラスで二、三番の成績でした。もっとできる子が上に一人か二人いたんです」

 鹿子木によると、当時は東京高等学校、府立高、私立武蔵高のそれぞれの尋常科(中学に相当する)がエリート校のトップにランクされ、次が府立一中、四中、五中、六中。その下に開成中や麻布中などが位置づけられていた。

 渡は第一志望の府立高、第二志望の武蔵高、第三志望の府立一中と、つづけざまに受験に失敗し、ようやく第四志望の開成中にビリに近い成績ですべり込んだ。同い年のいとこが府立一中に合格したこともあって、花は「あんなボロ中学に入って情けない」と親類の前でオイオイ泣いた。渡がひどい屈辱感を味わったのは言うまでもない。

軍国主義の嵐の中で

 開成中に入学した昭和十四年(一九三九年)、日本は破滅的な対米戦争に向かって突き進んでいた。二年前に始まった日中戦争が泥沼化し、五月から九月にかけて、満州・蒙古国境のノモンハンで関東軍がソ連軍と激突し、惨敗した。「父よあなたは強かった」「兵隊さんよありがとう」といった歌が流行したのもこの年である。

 渡は中学受験の屈辱をバネに猛勉強をつづけた。開成中では、学期末試験の成績にしたがって机の位置が移動する決まりだった。一番の生徒が、教壇から見て最後列の左隅に座り、それから順に右側へ、そして前の列へと移る。渡の席は成績が上がるにつれて後ろに下がり、気づいたときは最後列の左隅に座っていた。

 二年の新学期には念願の級長になった。成績一位の者が級長に選ばれる暗黙の了解があったからだ。渡は子供心に得意の絶頂を味わった。渡が読売東京本社の社長室で回想する。

「そのころの級長は、たとえば冬だったら、黒い制服のそでに二本の真っ白い線をつけるわけだ。級長は二本、副級長は一本。これが目立つんだな。電車で通学していたから女学生なんかにはカッコいいわね。だいたいみんな開成の級長は二本というのを知ってるから。そら、悪い気はしなかった」

 ところが、三年の新学期、生涯忘れられない出来事が起きる。

 級長に選ばれた直後、担任から教員室に呼び出された。担任は生徒からロングと呼ばれる漢文教師だった。大きな体をゆすりながら、長いあごをしゃくり上げるようにして話すので、ついたあだ名である。

 渡はロングに好意を持っていた。二年の夏休み前、黒板に岩波文庫など古典を中心とした推薦図書を数十冊書きだし、彼が哲学に目覚めるきっかけをつくってくれたからだ。

 そのロングが彼に命じたのは思いもかけぬことだった。

「君は将来何度でも級長になれるだろうから、今回はH君に級長を譲ってくれたまえ」

 Hは陸軍幼年学校志望の模範的な軍国少年である。それに比べて渡は喧嘩早くて反抗的な生徒と思われたらしい。渡は尊敬するロングの手で二本線をはくだつされた。

「そんな理不尽なことあるかと思ったね。Hの成績はクラスで四番だよ。それを級長にするんだから屈辱だよな。ばかばかしいから三年で学校の勉強はやめた。一番になって、こんな目にあうなら何の意味もねえじゃねえか。それより(高等学校の)受験勉強やったほうが得だと思った」

 この年の夏、陸軍から西野廉という教練の教官がやってきた。ヘビのように底意地の悪い目付きをした四十歳前後の中尉だった。西野の着任から開成中に軍国主義の嵐が吹き荒れはじめる。同級生の岡利昌が言う。

「西野廉(にしの・れん)だからノレンと陰で呼んでたんだけど、これがひどい男でね。僕らを手当たり次第に殴りつけただけじゃない。校庭に並ばせて、サーベルに自分の小便をかけて『なめろ』と言ったり、水の入ったバケツを長い間、頭の上に持ち上げさせたり。軍隊の新兵いじめと同じことをやったんだ。校長たちはペコペコしていたけど、渡はノレンにことごとく反発して、ずいぶんにらまれた」

 もともと開成中は自由な校風で知られていた。その自由を奪い、横暴の限りを尽くすノレンは生徒の憎悪の的になった。しかし、教練の成績は高等学校受験に大きく影響する。いわばせいさつだつの権を握るノレンに、面と向かって刃向かう生徒はほとんどいなかった。

 渡の一年後輩で、後に第一次全学連のスター活動家になる安東じん(一九九八年四月病死)は、こんな場面を覚えていた。

「ノレンの教練が校庭であったとき、ツネ(渡さんがサーベルを持って生徒たちに号令をかける役目だった。ツネさんはまず『かしらー、右!』と号令した。みんなそれにしたがって右を向いた。その後、彼は『なおれ!』と言わねばならないところを『のれん!』と言ったんだ。みんなハッと気づいてね。だけどノレンは気づかない。後でみんながよくやったと喜んだ」

 河川敷で軍事教練があったときのことだ。たまたま同級生ら数人と橋の上にいた渡が、下のノレンに向かっていきなり「開成のがん!」と叫んだ。

 当然、ノレンは激怒した。誰が叫んだか、犯人がわかるまで、その場にいた同級生ともども立たされるはめになった。渡は意を決して、

「僕です」

 と名乗り出た。他の誰かに告げ口されて惨めな思いをするくらいなら、自分から名乗り出たほうがましだと考えたからだ。ちょうどそのとき、喧嘩相手の「硬派の不良」Aの顔がパッと目に映った。渡はとっさに思いついてAの名を出した。

「僕が『開成のがん』と言ったのはA君のことです。A君が河川敷にいたから、そう叫んだだけなんです」

 ふだんは仲の悪いAも、そのときばかりは彼をかばった。

「そうなんです。『がん』と言われたのは僕なんです」

 弱ったのはノレンだ。それでもなお自分のことだと言い張れば、自らを「開成のがん」だと認めることになる。渡はまんまと処罰を免れた。

「反逆児」渡の名は、そのきような行動とともに全校に知れ渡った。渡は白い布の肩掛けカバンを尻の下までたらし、ほとんど引きずるようにして登校した。帽子はタバコの灰やポマードをこすりつけてアイロンをかけ、わざとぺちゃんこにしたペテン帽だった。反抗と脱俗のバンカラスタイルである。

 渡が性に目覚めたのもこのころだ。通学の電車の中で友だちが、

「お前のおふくろと親父がこんなこと(セックス)をしたから、お前が生まれたんだ」

 と言いだした。渡はムキになって反論した。

「俺の親父とおふくろがそんなバカなことをするはずがない!」

 論争は電車を降りるまでつづいた。友だちは、

「それじゃ証拠を見せてやろう」

 と、翌日になって「証拠写真」を持ってきた。外国の男女が絡み合うポルノ写真だった。それを見てはじめて渡は、モーパッサンの小説『女の一生』にやたらと出てきた×××という伏せ字の意味を知った。渡の性への関心はエスカレートし、挙げ句の果てには、教室に空の一升瓶と、高峰秀子ら有名女優のブロマイドを持ちこむようになった。同級の岡利昌が語る。

「渡が皆に、それでマスターベーションして一升瓶にためろと言ったんだ。授業中にね。自分のクラスが終わると隣のクラスに持っていく。そうやって卒業までに一升瓶一杯たまるかどうか賭けをしてたんだね。そんなことやるから彼のあだ名は『いんちよう』だった。親分肌で猛烈にスケベという意味だよ」

 しかし、渡は受験勉強だけは怠らなかった。このままノレンに反抗しつづければ、五年の卒業を待たずに放校になる。その前に高等学校に入らねばならない。当時は成績がよければ、四年で進学することができた。めざすは第一高等学校に次ぐエリート校といわれた東京高等学校だ。そこに行けば、ノレンはいない。自由と自治の天地が待っているはずだった。

第一章 反逆児(2)

この作品では本文テキストのコピー機能を制限しています

01