「二十一世紀のピカソ? 詐欺師? ビジネスマン?」
正体不明の匿名アーティスト、バンクシーとはいったい何者なのか? 謎のアーティストの全体像に迫る入門書の決定版!

第一章 正体不明の匿名アーティスト

11│アート・テロリスト

二〇〇〇年代初頭の小さな作品集

 私がバンクシーに最初に興味を持ったのは、一九九〇年代の後半から二〇〇〇年代前半に私がロンドンに滞在している頃でした。「興味を持った」というのは正確な言い方ではないかもしれません。その頃、私はバンクシーのグラフィティをそれなりに見ていたにもかかわらず、特にそれが誰の作品であるかということに関心がなかったからです。

 そうした作品のことを意識し始めるきっかけは、バンクシーが二〇〇〇年代初頭に立て続けに発行した小さな作品集です。

 いつの頃からか、ロンドンの主要な美術館のグッズ売り場のカウンターに、真っ黒な表紙に白抜きで『バンギング・ユア・ヘッド・アゲインスト・ア・ブリック・ウォール(レンガの壁に頭を叩きつけろ)(図3、二〇〇一年)、『イグジステンシリズム実存主義イグジステンシヤリズム+ステンシルをかけたバンクシーの造語)(図4、二〇〇二年)、『カット・イット・アウト(切り取れ/いいかげんにしろ)(図5、二〇〇四年)と、バンクシーのロゴだけが入れられた文庫本サイズの小さな作品集が置かれるようになりました。

 最初は、申し訳程度に置かれていたこの小さな作品集はすぐに話題になり、美術館の片隅で増殖していきます。レジのすぐ横に置かれていたお土産物にもジン(同人誌)にも見える一連の作品集は、かなり売れていたように思えます。

 私もこの頃、この小さな作品集を何の気なしに購入して、今でも持っています。これらを通じて、私が日常的に見ていたロンドンのいたるところに描かれていた特徴的な作品が、バンクシーと名乗る人物のステンシル作品だったことを知ったのでした。この小さな本は、ロンドンのグラフィティガイドのような性格も持っていたのです。

 今日のバンクシーの活躍を知る者からすると、『バンギング~』は慎ましいDIY(Do It Yourself)的な小さな出版物にすぎません。わずか四八ページのモノクロ印刷で、一枚のカラー写真も使われていません。文字はタイプライターで打ち出した文章を切り抜いて貼り付けたような、懐かしい感じの同人誌的な手触り感があります。

 引き続き出された二冊の本は、おそらく一冊目の成功で少し金銭的な余裕が生まれたのか、カラー写真が一定程度使われています。またページ数も増加しています。バンクシーが二〇〇〇年から〇四年にかけて一気に知られるようになっていく様子が、この三冊を並べるだけでも見ることができます。

もともとはローカルなグラフィティ・ライターだった

 一九九〇年代から二〇〇〇年代へという世紀の変わり目は、バンクシーの活動にとっても大きな転機でした。この三冊の本が流通する前のバンクシーは、グラフィティの世界では話題になっていたものの、イギリスの西にある港町、ブリストルを中心に活動するローカルなグラフィティ・ライターでした。

『バンクシーズ・ブリストル:ホーム・スウィート・ホーム』という題名の、バンクシーがブリストルにいた時に一緒に活動していたグラフィティ・ライターたちのインタビューとともに、バンクシーのブリストルの作品を紹介している作品集があります。

 この作品集では、今トレードマークとなっている黒を基調としたステンシルという方法で描かれたものでなく、一般に私たちがグラフィティという時に連想するスプレー缶で描かれたカラフルなバンクシーの作品を見ることができます。一九七〇年代末に始まったアメリカのヒップホップ文化の影響を受けたバンクシーがそこには存在しているのです。

 実際、九〇年代のバンクシーは、ほかのグラフィティ・ライターと同様に非合法の落書きに関わっていたので、自らのアイデンティティを明らかにすることはありませんでしたが、今のようにまったく「正体不明」の「謎」のアーティストというわけではありませんでした。新聞や雑誌のインタビューにも今よりも積極的に登場しているし、地元のほかのアーティストと一緒にグラフィティのイベントを企画しています。一九九八年には、地元のグラフィティ・ライターであるインキーと一緒に、当時イギリスでは最大のグラフィティのイベントなども手掛けたりしています。

 一言でいえば、もちろん十分グラフィティの世界では有名だったけれど、特に今のような唯一無二の存在ではなかったということです。

 バンクシーの初期ブリストル時代の作品の多くには〈BANKSY〉という署名が入っています。ほかのグラフィティ・ライターのタグと同じように、アルファベットの署名だけを書いているグラフィティも少なくありません。

 同時に、そのあとに通じるような政治的なメッセージと痛烈な皮肉を込めたブラックユーモアのある作品もたくさんあります。たとえば、ブリストルの人たちに愛されている作品に、一九九九年に描かれた《マイルド・マイルド・ウェスト》口絵2という大きな壁画の作品があります。これは、ジュラルミンの盾を持った三人の警官たちに、かわいいテディベアが火炎瓶を投げつけようとする作品です。作品の下には大きく〈BANKSY〉と署名がされています。

 けれどもロンドンに活動の拠点を移すまでのバンクシーの活動は、基本的にグラフィティ・アートの領域に属するものでした。

イラク戦争の反戦運動をきっかけに活動を拡大

 バンクシーの名前が、グラフィティの世界を超えて広がった一つのきっかけは、二〇〇三年のイラク戦争の際に起こった反戦運動です。

 バンクシーは、彼のトレードマークのステンシルを用いて爆弾を抱きしめる少女やリボンを付けた戦闘用のヘリコプターの絵に、「反対(NO)」「まちがった戦争(WRONG WAR)」というメッセージを添えた段ボールのプラカードを作ってデモの参加者に配りました。

 このデモには、バンクシーにアルバムのジャケットを依頼したブラーや、バンクシーと同郷のマッシヴ・アタックのメンバーも参加し、こうしたミュージシャンの活動とともにバンクシーの活動は、政治問題を視覚化するという点で大きな力となりました。

 二〇〇〇年代に入るとバンクシーは、よりはっきりと世界中の政治に関わるようになります。反戦、パレスチナ問題、難民問題、反資本主義といったテーマに積極的に取り組むようになり、作品が描かれる場所も、ロンドンだけではなく、パレスチナをはじめとする紛争地域や政治的問題を抱えた地域へと、その活動を世界中に拡大していきます。

 また、それに伴って、その手法も壁にステンシル絵画を描くだけではなく、いろいろなメディアを使って多様化させていきます。博物館や美術館に忍び込んで自分が作ったパロディ画を勝手に展示して帰ったり(二〇〇三年~)、故ダイアナ元妃の顔を用いたニセ札を作ったり(二〇〇四年)、アメリカの有名なセレブリティであるパリス・ヒルトンをおちょくるCDを勝手に作って配布したり(二〇〇六年)、アメリカの人気アニメ『ザ・シンプソンズ』のオープニングの映像を作ってアニメ産業の搾取を問題化したり(二〇一〇年)と、もはや従来のグラフィティ・ライターという領域には収まらなくなりつつありました。むしろ広い意味でのストリート・アートというカテゴリーで捉えられるようになります。

 二〇一〇年代に入ってからは、バンクシーのプロジェクトはさらに巨大化しています。二〇一三年には、一か月間にわたって連日ゲリラ的にニューヨーク市内で作品を発表して、ニューヨーク市民を熱狂させたかと思えば、二〇一五年には、ありとあらゆる不愉快なもの、不機嫌なものを集めたディストピア的で反テーマパークである、「ディズニーランド」ならぬ《ディズマランド》口絵915(ディズマは「不愉快な」「陰鬱な」という意味)を英国西部の海岸に作って夏の話題をさらいました。

 さらに二〇一七年には、パレスチナとイスラエルの分離壁の前で「世界一眺めの悪いホテル」というキャッチコピーのホテルをオープンさせます口絵10

 こうしたプロジェクトは、もはや一人のアーティストの作品というよりは、何かの政治的な組織か企業のプロジェクトのようにも見えます。ブリストルでグラフィティを描いていた時とは、内容だけなく、その規模がずいぶんと変化してしまいました。

ほとんどの作品は非合法

 こうしたバンクシーの活動の進化を、グラフィティ・ライターからストリート・アーティストへ、そしてアート・テロリストへ、とまとめることができるでしょう。

 一九七〇年代にニューヨークで始まったグラフィティ・アートは、最初はスプレー缶やフェルトペンを用いて、名前やチーム名を署名したり、カラフルな色使いで壁に絵を描く、タギングやスローアップと呼ばれる作品が中心でしたが、その後、グラフィティ・アートが世界中に広まるにつれて、その手法も多様化していきました。この形式の違いや発展については、第五章であらためて詳しく見ていきます。

 落書きもスプレー缶やペンだけではなく、シールやステッカー、あるいは立体物を用いるなど、さまざまな形式を取るようになります。また、グラフィティが単なる落書きという犯罪ではなく街を彩る芸術表現として評価されるようになると、積極的にグラフィティ的な活動を利用したアートプロジェクトが組まれるようになります。

 バンクシーもまた、こうしたポスト・グラフィティ的な状況の下で生まれたアーティストです。グラフィティ・ライターからより広義のストリート・アーティストへと進化することで、バンクシーはより幅広い人気を獲得したのです。

 けれども、このことは必ずしもグラフィティをやめてしまったということを意味するのではありません。依然としてバンクシーの活動の中心は、壁に絵を描くというグラフィティ活動であり、そのほとんどが所有者に許可を求めない非合法なものです。その意味では、その手法の多様化にもかかわらず、そのスピリッツにおいては今でもバンクシーはグラフィティ・ライターであり続けているのです。

「アート・テロリスト」としての活動

 バンクシーは、しばしばメディアから「アート・テロリスト」と呼ばれています。テロリストというと何やら物騒な感じですが、一般にテロリストが武器を手に、時に暴力的な手段を用いて政治的な活動をしているのに対して、バンクシーの武器は、そのアーティストとしての才能のみです。

 もちろん、多くのテロ行為が実際にダメージを与えることだけではなく、そのことによって世間の関心を集めることにあるということを考えれば、バンクシーのさまざまな政治的プロジェクトはテロ行為に似ているかもしれません。けれども、そこに物理的な暴力、特に具体的に人を殺したり傷つけたりすることがバンクシーの作品に介在していないことには一定の注意を払う必要があります。

 バンクシーの有名な作品の一つに、パレスチナのインティファーダをモチーフにした作品があります口絵12。インティファーダとは、アラビア語でほうとかはんらんを意味し、特にイスラエルによる軍事的支配に対するパレスチナの抵抗運動を指します。

 一九八〇年代の終わりから九〇年代初頭、そして二〇〇〇年代初頭に二度の大きなインティファーダが起こりました。この抵抗運動は女性や子どもを含む多くのパレスチナの一般市民による投石だったのに対し、イスラエルは武力で鎮圧し、多くの犠牲者を出しました。バンクシーの作品では、帽子とマスクで顔を隠した男性が、石の代わりに花束を投げようとしている瞬間が描かれており、花束にだけ、赤や黄、青、緑の色が着けられています。

 しばしば、イスラエルとパレスチナの人びとの軍事衝突、あるいはイスラエル軍とパレスチナの「テロリスト」との闘いと呼ばれる紛争が、そもそも基本的に決定的な力の不均衡の中にあることを理解する必要があります。バンクシーの作品もまたその中で、圧倒的で暴力的で理不尽な政治状況に対して、どのように「怒り」を表明するかという一つの試みなのです。

 アート・テロリストとしてのバンクシーという表現には、もう一つの含意があります。それは、既存のアートシーンに対するテロリズムという意味です。「はじめに」で紹介したシュレッダー騒動は、アートシーンに対するテロリズムの代表的な例でしょう。現在の権威的なアートシーンは、単に権威的なだけではなく、今では資本主義とうまく調和し、貧富の差を象徴的に示すビッグビジネスになっています。

 有名性がばつするアートシーンに対して匿名性を維持し続けること。そして、美術館やギャラリーではなく、あくまでもストリートをその表現の拠点とすること。このことでバンクシーは、アート界におけるテロリストを演じているのかもしれません。

第一章 正体不明の匿名アーティスト(2)

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