テクノロジーが進歩しているのに、なぜ経済成長できないのか?
異色のNHK教養ドキュメント、待望の書籍化。コーエン、ガブリエル、セドラチェクら世界の知性と共に考える資本主義の未来像。

ルールに支配される

パラドックスからの脱却

 経済学という学問には、「逆転」「葛藤」、さらに言えば「不条理」がいつもつきまとう。「合成の誤謬」「囚人のジレンマ」という言葉もあるくらいで、局所的には評価されて良いはずの行動が、社会全体となるとマイナスに働くという現象、あるいは、他者の思惑を読んでの行動が裏目に出る、あちらを立てればこちらが立たず、といった状況はまさに日常茶飯事だ。そして、「パラドックス」こそは、システムとしての資本主義を俯瞰して考える時、嫌でも直面する本質であるように感じられる。

 実際、番組初回「欲望の資本主義」で取り上げた、アダム・スミスが『国富論』で利己心を肯定しつつ『道徳感情論』で共感を人間存在の基礎原理としておく「二面性」の話、また、ケインズが優勝者に投票した者には賞金を与えるというルールを設定した瞬間に、その意味するところが錯綜し始める「美人投票」という卓抜な比喩で表現した市場原理の重層的な構造、さらにはマルクスが「命がけの飛躍」と表現した、モノが金になり、金がモノになる、そのダイナミズムの中に潜む不思議、など。そして、本書でも詳しく触れることになる、シュンペーターの「資本主義は、その成功ゆえに自壊する」など、逆説の最たるものだが、経済学の巨人たちの言葉は、いつもパラドックスのオンパレードなのだ。

 「急速にテクノロジーが進歩しているのに、景気が低迷しているのはなぜか?」

 この喫緊の、切実にしてパラドキシカルな課題から、コーエン×安田の対話は始まる。現代フランスの代表的な知性の一人、ダニエル・コーエンもまた、パラドックスを連発する。技術が発展すれば、生産性が上がり、世の中は豊かになる。ごく常識的な三段論法だ。だが、それは産業社会、つまり、もの作りの技術中心の時代の幻想だったと、コーエンは嘆く。テクノロジーが進むほどに、貧困が拡大する。豊かな、便利な社会を目指して行われる技術開発競争、そしてその成果が出ているはずなのに、それが富を奪っていく。これこそ、現代の資本主義、最大の逆説だ。

 それにしてもコーエンの射程は、あまりに広い。フランスの政策にも提言する「経済学者」であるのはもちろんなのだが、哲学、社会学、文化人類学、思想全般、さらには最新の科学技術の分野、人工知能のもたらす変化など、文明論的な視点までジャンルを越えて渉猟し、柔軟な思考を繰り広げる。単に博覧強記というようなものではなく、常に揺れ動く対象に対して自らも動きを止めず、様々な仮説の戦略を立てながらゴールを求めて果敢に挑み続ける。その姿はサッカー選手のプレースタイルさながら、フィールドを駆け抜けるミッドフィルダーのようだ。

 そして、だからこそ、こうした俯瞰した問題意識が生まれる。その根本には、人間という存在を支える根源を探究し続ける眼差しがある。歴史の「進歩」の中、大きく変わる人間の性質、同時に変わらぬ人間の本質、そのどちらも複眼で捉えようという精神の緊張がある。

 一方、前回に引き続き、今回も知性たちの言葉を引き出すべく、パリへと飛んでくれた大阪大学の安田洋祐准教授。専門をゲーム理論、マーケットデザインとする、日本の経済学界の若き俊英だ。近代経済学の王道を歩んできた彼もまた貪欲に、経済の様々な「外部」要因をファクターとして取り込もうとする。「成長を生み続け、その最適な分配を科学する」=近代経済学の可能性を信じつつも、その方法論が今、壁に直面し現状を説明できない状況とも闘い、市場が見逃している要素を研究に取り込もうという挑戦を続ける。

 「基本的に脱成長論を唱えるのは、自分の収入が少し下がっても問題ない富裕層」とは、最近の安田のインタビューでの言葉だ。「成長」を諦めないための方策、理論を模索し続ける。そしてとことん科学としての近代経済学の持つポテンシャルを最大値まで引き出そうと、日々多くの学びを取り込む姿勢を崩さない。

 その思いをコーエンにぶつけた時のスリリングな展開は、この後、味わっていただきたい。

 二人の対話が描く軌跡に寄り添っていく過程で、もう一つメタレベルの論点も生じる。そもそも「成長」とは何か、という問いだ。

 「成長」という言葉の定義そのものを深化/進化させていく作業、表現も広がっていくことになるのだ。

 論理で目の前の人を説得するロジックと、真に現実の底に眠る本質を摑まえようとする言葉は、自ずから異なる。「富裕層/貧困層」など二元論の間に割って入り、あえて斜めの補助線を引くことで、また見える風景も変わるはずだ。そのためにも問い続けねばならない。

 資本主義とは? 民主主義とは? 成長とは? 進歩とは?

 安田がコーエンから引き出そうとした対話は、必然的に、「ほんの一握りの超富裕層だけがテクノロジーの発展の恩恵を受けているのはなぜか?」という問題を巡って展開する。産業革命の時は、ある程度うまく転換が行われたという、農業から工業への労働力の移動。しかし、今回はなぜうまくいかないのか? 何が「受け皿」となれば良いのか? ぜひ言葉のキャッチボールを追いながら、皆さんも考えてみていただきたい。

 「かつてないほどに経済のルールに支配された世界に生きている」というコーエンの指摘に、僕らはこのルール転換をどう考えていくべきか?

テクノロジーが進歩しているのに

景気が低迷しているのはなぜか

安田  世界経済は多くの問題に直面しています。先進国の低成長、格差の拡大、反グローバリズムのうねり……。最大の問題はどこにあるのでしょうか。

コーエン  最も重要なのは、日本、ヨーロッパ、アメリカなどの先進諸国の成長率の見通しでしょう。新しいテクノロジーが急速に広まっており、経済成長のエンジンになり得るはずなのに、経済は過去10年間停滞しています。まず、そのパラドックスが存在することを認めることが大切です。デジタル革命はまだ始まったばかりで、新しい技術が次々と生まれています。デジタルの世界は非常に活気のある分野で、経済の領域を席巻しつつあります。加速度的に新たな発展が進行しているのです。

 にもかかわらず、先進国では、デジタル世界の成長に応じた経済成長が見られません。ロバート・ゴードンやラリー・サマーズら長期停滞論者が提起するように、これは重大な問題です。新しいテクノロジーの発展と経済が分断されているかのようです。

 世界は2008年の金融危機からゆっくりと抜け出そうとしているところです。大きな金融危機の後に景気が低迷するのは普通のことです。しかし、実は、金融危機の前に既に先進国の景気は減速していました。現在の景気低迷は、金融危機と直接因果関係がない可能性があります。正しく理解するには、先進国の景気が減速していたから金融危機が起きたという逆の因果関係について論じる必要があるでしょう。

 とにかく、今の世界経済には謎があり、パラドックスがあります。デジタルの世界で急速にテクノロジーが進歩しているのに、景気が低迷しているのはなぜか。その明確な答えはみつかっていません。

 楽観論者は、テクノロジー革命はまだ始まったばかりで、あと10年ほどすれば新しいテクノロジーの景気浮揚効果が誰の目にも明らかになるはずだと指摘しています。しかし、別の見方もあります。現在のテクノロジーの進歩は、社会全体に好影響を及ぼすわけではなく、恩恵を受ける人々の層には偏りがあるという見方です。米国で顕著な格差の拡大の原因についての議論と関連付けて検討する価値のある見解です。

 現在、進展しつつあるテクノロジーの恩恵を受けているのは、ほんの一握りの超富裕層だけです。iPhoneが一つあれば、世界中に指示を出したり、クリック一つで金融資産を動かしたりできるからです。最新技術の恩恵を受け、簡単に世界中を「監視」できるようになった、こうしたインテリの超富裕層は、最先端のスマートフォンが普及する以前よりはるかに力を増しています。

 しかし、人口の多くを占める中産階級、サービス業や銀行、保険会社に勤める人々、1950年代から60年代に誕生した事務的な仕事を担う人々は、新しいテクノロジーの恩恵を受けていません。それどころか、新しいテクノロジーはそれらの仕事に取って代わり、人々の職を奪いつつあります。今後、かろうじて生き残れるのは、飲食業など比較的賃金の低い仕事に従事している人々でしょう。そのような仕事はロボットやソフトウエアなどの新しいテクノロジーに簡単に置き換えられないからです。

 経済学者の多くは新しいテクノロジーによって二極化が進んでいると解釈しています。上流階級は新しいテクノロジーから多大な恩恵を受け、中産階級は大きな打撃を受ける。そして、下層階級は低賃金ではあっても生き残るチャンスがある。新しいテクノロジーが人々の日々の生活の様々な場面に浸透しているからといって、それが経済成長に結びつくわけではないことがわかります。新しいテクノロジーは生産性を向上させるのではなく、大勢の人々の仕事を奪います。新しいテクノロジーによって多くの人の生産性が失われているのです。

 新しいテクノロジーが発展しているのに経済が低迷しているパラドックスは、新しいテクノロジーが経済成長に及ぼす正の力と、大多数の労働者層に及ぼす負の力を分析すれば解明できます。差し引きして考えると、経済の停滞傾向が説明できます。

中産階級の仕事が

奪われる

安田  新しいテクノロジーによる二極化が、格差の広がりの原因ということでしょうか。

コーエン  その通りです。この分析には少なくとも一貫性があります。新しいテクノロジーは多くの中産階級から仕事を奪うので、人々はより低スキルで低賃金の仕事への転職を余儀なくされます。一方、こうしたテクノロジーをコントロールできる上層の人々だけがその恩恵を受けるのです。

 このように考えれば、景気の低迷と格差の広がりを同時に説明することができます。この傾向が最も顕著に現れているのはアメリカです。アメリカでは、上位10が過去30年間の経済成長の恩恵を独占しています。新しいテクノロジーは上位10にだけ恩恵を与え、残りの90を圧迫してきたのです。

 背景には他の要素もあるかもしれません。労働組合の弱小化などの社会秩序の変化の影響ももちろんあります。しかし、それらをすべて考慮に入れても、新しいテクノロジーの繁栄と景気低迷が同時に起こっている理由は理解できると思います。効率が良く生産性の高い新しいテクノロジーは、中産階級の仕事を補完するのではなく奪ってしまうのです。

安田  フランスや日本では、上流階級への富の集中はアメリカほど顕著ではありません。こうした国々も徐々にアメリカのようになっていくのでしょうか。それとも別の道を進むのでしょうか。

コーエン  緩やかにですが、同じ道を辿る可能性はあります。アメリカでは生産とそれから得られる賃金、つまり生産性と収入は11の関係にあります。アメリカではそこに交渉の余地はありません。生産性があれば収入を得られ、生産性がなければ収入はゼロです。

安田  経済学の教科書通りですね。

コーエン  そうです。それが、新しいテクノロジーの出現で格差が急速に拡大した理由です。けれども、ヨーロッパや日本では、新しい現実、つまり新しいテクノロジーの出現が賃金に反映されるまで時間がかかります。保険会社や銀行に勤める人は当面は職を維持できます。そのため変化のプロセスは緩やかになります。しかし、変化に時間がかかるからといって、フランスにアメリカのような歪みがないわけではありません。雇用創出の規則性を分析すれば、ヨーロッパにも二極化に近い現象が既に現れています。

 しかし、賃金を見ると、アメリカに比べて日本やフランスの方が低迷しているかもしれません。ここにアメリカとその他の国々との違いがある可能性もあります。アメリカと他の国々は別の現象が起きていて、他の説明を探す必要があるのかもしれません。つまり、同じ道を辿るのではない可能性です。

 けれども、新しいテクノロジーの力はどの国でも見られることは確かです。それによって何が生まれようとしているのか、どのような社会がもたらされるかを見極めなければなりません。

 アメリカではすでに多くのルーティンワークが新しいテクノロジーに取って代わられています。ルーティンワークを仕事としていた人々が職を失ったのです。世界各地でもこの先同じことが起きるでしょう。

失われた雇用の受け皿となる

産業がない

安田  新しいテクノロジーにより多くの仕事が奪われ、雇用が失われる不安が増殖する一方で、新たな雇用も創出されています。全体的な影響をどのように評価されますか。

コーエン  人間の労働がロボットやソフトウエアに完全に取って代わられるのではないかという議論ですね。それは随分昔から懸念されていたことです。専制君主制を創始し軍人皇帝時代を終わらせた古代ローマ帝国のディオクレティアヌス帝にも有名な逸話があります。労働者の生活の糧が奪われることを心配して、円柱をつりあげる機械の導入に反対しています。テクノロジーや機械が人間に取って代わることに対する懸念は常にありました。そして、事実として、テクノロジーは人間の労働に大きな影響を与えてきました。

 最たる例が農業です。技術革新によって、世界中の農民が職を奪われたのは明らかです。先進国には農民はもうほとんどいません。フランスでは12%です。日本でも農業人口は少ないでしょう。人口比率ではフランスと同程度ではないでしょうか。技術革新で生産性が向上したため、以前より労働力が必要なくなったのです。その結果、何が起こったか。今の状況との興味深い類似点が見られます。

 20世紀を通して、フランス、アメリカ、そしておそらく日本でも、農業人口は急激に減少しました。その動向はフランスとアメリカで始まり、日本にも波及していったと思います。20世紀初頭には労働者の40を占めていた農業従事者は、今では12%程度です。

 農村を離れた農民は都市部に移動し、工場労働者となりました。農業は供給過剰でしたが、産業革命最中の都市部では労働力が不足していました。産業革命、つまり技術革新が、農民を新しい工場で働く労働者に変貌させたのです。そして、労働者の農村から都市部への移動が、産業革命による経済成長をさらに大きくしました。

 20世紀の経済が急成長したのは、この二つの出来事が同時に起きたからです。農業の生産性の向上により食糧が安くなる一方で、機械化された新しい工場で働く労働者が増えたのです。

 仕事を失った人々が農村を離れ都市部に流入したのと同時期に、もし、産業革命が起こっていなければ、どのようなことになっていたでしょうか。都市部では大きな社会的な緊張が生まれたはずです。そして、経済があのように急成長することはありませんでした。経済を牽引するのは農業の生産性向上だけである上、農村での仕事は失われるからです。

 私たちが今経験しているのは、そのようなことかもしれません。技術革新で生産性が上がって多くの人が職を失っているのに、それに代わる受け皿となる産業がありません。銀行、保険などの第三次産業では、すでに職を離れた人がたくさんいます。新しいテクノロジーに職を奪われたわけですが、その人々は以前よりも生産性を高めること、即ち、前より報酬の高い職業に就くことができていません。新しい仕事を探しても、見つかるのは生産性がさほど高くない仕事ばかりなのです。そこに大きな格差が生まれています。

 しかし、それは人間の労働力が不要になったということではありません。労働力が必要な職場はたくさんあります。病院、教育分野、老人介護施設など、労働力が必要な仕事は非常に多岐にわたります。しかし、そうしたサービスは料金が高く利用したい人が利用できない状況にあります。老人が自分の世話をしてくれる人を二人も三人も雇うことは不可能です。言い換えれば、老人がサービスを利用できるほどには、その分野の生産性がまだ十分に上がっていないということです。そのため、世界で最も高齢化が進んでいる日本では、介護ロボットが導入されつつあるのだと私は理解しています。介護サービスの労働力が足りないのです。

 つまり、問題はテクノロジーに職を奪われ、人々の仕事がなくなったことではありません。人々が成長分野において適切な賃金を得ながら働くことができず、以前よりも生産性の低い分野で低賃金に甘んじなければならないことが問題なのです。

第1章「新しいテクノロジーは経済成長をもたらしていない」フランスを代表する知性コーエン(2)

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