金融当局は、ヘッジ・ファンドとどう闘っているのか?
この現状を見過ごしてよいのか?

1章 タックス・ヘイブンとは何か

1 どこにあるのか? なぜあるのか?

どこにあるのか?

 はじめに、図11を見てほしい。これは、世界に分布するタックス・ヘイブンを示した地図である。タックス・ヘイブンとは一般に、「税金がない国や地域」、あるいは「税金がほとんどない国や地域」をさす。ヘイブン(haven)とはもともと「避難港」という意味の英語である。税金から逃れたいと思う者からすれば、そこへ行けば課税という嵐から避難できるので、こういう言葉ができた。

 タックス・ヘイブンは多くの場合、国だけでなく、旧植民地や英王室の属領のような地域も含む。具体的には、ケイマン諸島、バハマ、バミューダ、ブリティッシュ・バージン・アイランド(BVI)など、カリブ海にある島のグループがひとつの典型である。

 ケイマン諸島という名前は日本でもニュースに出てくるのでよく知られているだろう。企業が何か新しい金融スキームを作ろうとするときにはほぼ必ず、ここに法人を作る。ケイマン法人を通すと、脱税・租税回避、秘密の保持、政府の規制からの潜脱など、国際取引上のいろいろなメリットがあるからである。そこで、ケイマン諸島は日本の直接海外投資の仕向地の第三位となっている。

 ただし、日本から投資された資金が、そのままケイマン諸島にとどまるわけではない。この島にあるオフィス・ビルには、それぞれ何百という会社が存在することになっているが、いずれも看板とポスト・ボックスのみの無人の会社(ペーパー・カンパニー)である。つまり、ケイマン諸島はあくまで経由地であって、資金はここからどこか別の投資先に流れて行く仕組みになっている。

 ところが最近は、アメリカが目を光らせており、締め付けも厳しい。規制が必ずしも緩くなくなった上に、従来に比べコストがかかるようになったという理由で、以前ほどケイマン諸島は使われなくなってきている。代わりに利用されているのが、ブリティッシュ・バージン・アイランド(BVI)である。BVIは、今のところ表立ってはタックス・ヘイブン批判の矢面に立つことは少ない。しかし、さまざまな後ろ暗いスキームの舞台になっていることは専門家の間では常識である。

 これは筆者の経験にもとづく皮膚感触だが、BVIの背後にはMI6(英国情報部)がいるように思われる。一九九九年、マネー・ロンダリングを取り締まる国際会議のファイナンシャル・アクション・タスク・フォース(FATF)において、英国大蔵省がBVIを擁護しようとする態度が奇妙であって、どうにも合理的説明がつかないのに、ブラックリストから落とされてしまった。当時、アメリカ政府高官の黒人の友人がいて、さりげなく理由を解説してくれた。彼の言う意味はすぐにはわからなかったが、今では、「ああ、そういう意味だったのか」と思い当たる節がある。

 筆者はロンドンに勤務しているときに英国外務省の高官と知り合いになった。ショットガンの雉子撃ちが共通の趣味だった。ところが不思議なことに、その人は外務省の高官であるのに、とくに何かのポストについている様子もなかった。そこで内心、「ひょっとして、スプーク(諜報員)かな?」と思っていた。そのうち、ある朝、自宅でファイナンシャル・タイムズを開いたら驚いた。その彼がMI6の長官に就任したというのである。MI6は通常、職員の身分を明かすことはないが、長官だけは例外である。「やっぱりそうだったか」と思ったのを憶えている。

 MI6はかつて、所在地すら明らかにしていなかった。メイフェアの大使館近くのパブで飲んでいるときに、パブから見える不気味に静まりかえった暗い大きな建物がMI6の建物らしいと教えられたこともある。いまは、テムズに面した華麗なセンチュリー・ハウスが本拠である。

 このように何事も秘密のヴェールに隠された組織である。その活動の詳細はほとんど知る由もないが、どこの国の政府であっても、予算の中には必ず機密費はある。関係する省庁は、官邸、外務省、財務省、国防省である。機密費を使って工作資金を動かさなければならない。その時に資金の出所が明らかになってよいわけがない。タックス・ヘイブンのうちの使い勝手のよいところを経由させるのであろう。

王室属領

 タックス・ヘイブンのもうひとつの有名なグループは、ブリテン島近辺にあるジャージー、ガーンジー、マン島の王室属領である。一〇六六年のノルマン・コンクェストの時点で、ノルマンディー公の私有地であったものが、今に至るまで女王陛下の私有の属領として残されている。その女王陛下のお膝元が、いまやタックス・ヘイブンの典型となっている。

 筆者が最高裁に鑑定意見書を提出したガーンジーを舞台にした損保会社のタックス・ヘイブン事件では、最高裁で納税者の逆転勝訴判決が出された。国側も下級審も一貫してガーンジーは連合王国属領であると述べているが、それはまったくの誤りで、ガーンジーは王室属領である。英国政府作成資料にそのように書いてあって、それが証拠として提出されているのに、原告の納税者側も被告の国側も裁判所も誰も証拠を読んでいなかったというわけである。

 一方、アジアに目を向けると、これもまた英国にからんでいるが、旧植民地の香港、シンガポール、マレーシアのラブアン島などがタックス・ヘイブンである。香港は、メインランド・チャイナの世界に向けての出島として特別の地位を占めている。シンガポールは、資源のない小さな島国として(飲料水さえ隣国マレーシアからパイプラインで供給されている)、中継貿易や金融センターとして必死の生き残りをかけて知謀の限りを尽くしている。

シティ、ウォール・ストリート、欧州諸国

 タックス・ヘイブンの問題はG20首脳会議でも議論され、先進国を中心に、これを退治するための様々なアクションが進行中である。しかし、タックス・ヘイブン退治の先鋒に立つ正義の味方であるはずの先進国が、最大のタックス・ヘイブンでもあるという奇妙な現実も存在する。その筆頭がロンドン、さらにいえばシティである。

 ロンドン市内にはシティという一区画がある。スクウェア・マイルとも呼ばれる、広さ一平方マイルほどのその区画に、英国の金融センターがある。シティには一定の自治権が与えられていた歴史があり、女王陛下といえどもシティに入るときには、市長であるロード・メイヤーの許可を得なければならない。シティがどこにあるかは、主要道からの入口にグリフィンという怪獣の像が立っているから、すぐにわかる。

 余談だが、ハリー・ポッター・シリーズに出てくるグリフィンドール寮のシンボルは金の獅子である。これはフランス語で「黄金のグリフィン」を意味する。グリフィンには重要な二つの役目がある。ひとつはゼウス等の天上の神々の車を引くこと、もうひとつは黄金を発見し、守ることである。シティの入口にグリフィン像があるのは、いかにもふさわしいというべきかも知れない。

 そのシティがタックス・ヘイブンと同様の機能をもっている。また、さきの王室属領や旧植民地とも緊密に繫がって、国境を越えた巨大な多重構造を構築しているのが特徴である。

 もうひとつの先進国=タックス・ヘイブンが、アメリカである。なかでも、東部のデラウェア州がタックス・ヘイブンとして知られている。デラウェア州のウィルミントンには、フォード、GE、コカコーラ、グーグルなど、世界に名だたる大企業が本社を置いている。日本人にはあまり馴染みのない州だが、驚くほど多数の大企業がわざわざここに本社を置くのは、デラウェア州の法規制が企業に緩やかだからである。実際、現地に行ってみると、どのビルも何の変哲もない静かな建物で、これらの大会社は単に登記上そこに居を構えているにすぎないことがわかる。

 デラウェア州は国内にあるタックス・ヘイブンであるという意味で「ドメスティック・タックス・ヘイブン」と呼ばれている。アメリカで設立されるヘッジファンドの大多数はデラウェア籍である。そのほかネバダやワイオミングにも緩い規制や秘密法制があるなど、アメリカ各州の法制度の中にはとうてい他国を批判できないものがある。

 それではウォール・ストリートはどうであろうか。ウォール・ストリートは、コーポレート・アメリカの心臓部である。しかし、マンハッタン島自体がタックス・ヘイブンであるという言い方は正確ではない。ただ、企業会計上は素晴らしい業績をあげている企業がアメリカ国内ではほとんど納税していないことは紛れもない事実である。州法ベースの緩い規制や秘密保護法制と節税スキームを利用した低い税負担の組合せをもって、「じつはマンハッタンもタックス・ヘイブンである」というのであれば、それはあながち間違いではないといわなければならない。

 一方、国ごと全部がタックス・ヘイブンとなっている国もある。スイス、ルクセンブルク、ベルギー、オーストリアなどの欧州諸国である。これら諸国の最大の特色は秘密保護法制である。スイスの銀行秘密保護法は著名であって日本でもよく知られているが、じつは他の三カ国も同じような秘密保護法制を持っている。これら四カ国は、国際的圧力によって、二〇〇九年にその態度を改めることを公約させられた。その公約が実行されるかどうかは、まだこれからのことである。

なぜあるのか?

 タックス・ヘイブンは、税という望ましくない負担から免れたいという人間の本質的な欲求から生じたものである。国家は近代に入ってその役割を増す一方、国民の税負担は重くなっていった。とくに、戦争が大がかりなものとなるに従って、それはますます重くなっていった。しかも、戦争が終わってもその負担は減るわけではない。これは経済史のデータが端的に示すところである。また、近代が現代となり、国家が福祉国家となるにつれてこの傾向は増している。このように租税負担が重くなれば、それを回避する方法をあれこれと考え始める者が現れるのは止めようがない。

 また、経済のボーダーレス化ということが重要である。貿易は経済の発展をもたらすから、国際貿易の量は増大することはあっても減少することはない。一方、租税の賦課などのような公権力の行使は、「公法は水際で止まる」という国際公法の大原則があるので、国家の領域を越えて及ぼすことは原則としてできない。したがって、国境を越えて税を免れるという方策を考え出すことは自然の流れである。椰子の茂るカリブの島であるケイマン諸島などは、そのような知恵者によって生み出された一種の「作品」である。

 タックス・ヘイブンがタックス・ヘイブンであるためには、一定程度のインフラが必要であるから、どこでもタックス・ヘイブンになれるというわけではない。シンガポールは、昔はただの貧しい漁村であった。ある英国人の船乗りの優れ者がその地の利に目を付け、時を経てシンガポールは世界の一大中継貿易港に発展した。金融街シェントン・ウェイの高層ビル群は東洋のマンハッタンである。天の時と地の利が必要なのである。

 また、逆にタックス・ヘイブンとなることに国家としての生き残りの道を見出そうとするケースもある。アイルランドは無限に続くかと思われた経済の低迷をなんとかしようと外資誘致策に乗り出し、税率の切り下げを図ったが、国際的な非難を浴びている。アイルランドのような規模の国であれば他国に与えるダメージも大きく、すぐに注目を浴びる。しかし、小国であれば必ずしも注目を浴びるとは限らない。リヒテンシュタインやモナコならまだしも、サン・マリノ、アンドラなどと言われても知る人は少ない。タークス&カイコスなど、カリブの島国にいたっては、財務省資料でも国名を正確に訳せていない。このような世界各地の小国や地域がタックス・ヘイブンとなっているのである。

第1章 タックス・ヘイブンとは何か(2)

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