ベテラン記者が見た“「大蔵省」と「検察」の蜜月と衝突”
「平成」が終わろうとする今、何を教訓とすべきか

第一章 尾上縫と日本興業銀行

──産業金融の雄はなぜ大阪の女将に入れ込んだのか

大阪地裁へ入る尾上縫=1998年3月2日午前9時46分,大阪市北区西天満2丁目で,朝日新聞・恒成利幸撮影

 昭和の日本経済を支える経済統治システムの重要な一翼を担い、「産業金融の雄」として尊敬された日本興業銀行、興銀はバブル期、大阪・ミナミの料亭の女将、おのうえぬいに新時代の生き残り戦略を描いた。彼女が逮捕された日、興銀グループから彼女への融資の残高は2295億円に上った。

 特捜検察の描いた構図では、興銀は、尾上から巨額の融資をだまし取られた被害者だった。しかし、尾上の破産管財人が提起した民事訴訟の法廷では逆に、興銀グループは、非常識な「逆ざや金利」の取引で尾上から財産をむしり取った責任を追及される加害者だった。

有力者

 尾上は1930年(昭和5年)222日、農業を営んでいた父・尾上宗太郎、母モトの次女として奈良県橿原市で生まれた。弘法大師を熱心にあがめる母モトが般若心経を唱えるのを毎朝のように聞きながら育った。太平洋戦争ただ中の1944年(昭和19年)に高等小学校を卒業。国鉄の駅員として働いたり、動員されて農家を手伝ったりした。戦後、雑貨店を経営していた男と1950年(昭和25年)に結婚し、長女が生まれたが、姑とうまくいかず、4年で離婚した。

 スタンドバーの経営などを経て、尾上はまもなく、大阪ミナミのすき焼き店「いろは」で仲居として働き始めた。法廷での尾上の供述によれば、約10年間、ほとんど休まずに働いた。経済界の有力者とみられるこの店の客とやがて親しくなり、援助を受けるようになった。

 尾上の原点とも言える料理店「だいこくや」の土地と建物は、35歳のとき、1965年(昭和40年)4月、その有力者の援助で購入した。「三楽」という名の旅館だったのを改装し、「かわ」という名の料亭を営み始めた。

 刑事法廷での尾上の供述によれば、開店の準備はすべて、「いろは」の客の有力者が整えてくれたという。

 ──その人が紹介してくれて、それで?

 「私はまだ向こう(「いろは」)で働いておりましたら、土地うてくれて、家建てて、自分がみなやってたみたいです。私はできあがってから来たわけです」

 ──まだすき焼きやさんで勤めている間に、全部段取りして、全部やってくれたわけ?

 「はい」

 ──従業員はどういうふうに募集したんですか。

 「募集をしてくださるし、自分が行かれてるお店の子を引き抜いたり、いろんなことをしてくださったんです」

 1968年(昭和43年)、近所に4階建てビルを建てて、スナック「川さきやもと」を開業し、のちに弟に経営を任せた。71年(昭和46年)3月には「恵川」の並びの木造2階の建物を購入してマージャン店「すいりゅうがわ」を開業。83年(昭和58年)にこの建物を取り壊して、その跡地に翌年、7階建てビルを完成させ、そこに「恵川」を移転した。「恵川」の跡地には「大黒や」という店名の大衆料理店を開いた。

 店の経営は放漫で、赤字続きだっ18千円の料理を食べに来た客の全員に3千円のライターをプレゼントしたり、1回しか来店したことのない客も含めて2千人以上に案内状を出したりして、広告・宣伝費がかさんだ。帳簿をつけていた会計事務所員は「いつつぶれてもおかしくないのに、何でカネが回るんだろう?」と不思議に思った。料亭などの建築や改造の際、工事代金が10億円にも上るというのに、尾上は値引き交渉をせず、業者に任せきりで、請求通りに払っ2。たいして価値があると思えないような水晶玉に8千万円を出し、神社にお参りした際のお賽銭が数十万円に上ることもあった。

 しかし、不足した資金は必要なときに必要なだけ調達され、穴埋めされた。「いろは」の客から受け継いだ「何億とも知れない」という現金が尾上の手元にあった。それはまるで、「天から降ってきた」ように周囲には見えた。

預金口座へ

 1971年(昭和46年)ごろ、尾上は現金を金融機関に移し始めた。数十人分の架空名義、借名の口座に分散して預けた。

 特に三和銀行への預金がずば抜けていた。三和の行員たちはひんぱんに客として尾上の店を訪れ、預金獲得に努めた。行員が転勤すると、尾上は、その転勤先の支店にも預金した。取引先の支店は大阪市内だけでなく、兵庫県や京都府、滋賀県にまで広がっていった。「大黒や」で大阪地検が押収した電話番号表には、三和銀行だけで33の支店の電話番号と役職者名が記されていた。尾上は三和銀行に預金をするために、三和銀行から借金もするようになった。

 1986年(昭和61年)、尾上は知人の紹介で住友銀行日本一支店と取引を始めた。関係がぎくしゃくしていた三和銀行から預金を引き出し、それを次々と住友銀行に移した。住友銀行の日本一支店長は週に23回は部下たちとともに「大黒や」を訪れた。「恵川」を接待に使うこともしばしばだった。年末の支店のパーティーに尾上を招いて、尾上にスピーチをさせ、行員みんなで拍手した。誕生日には胡蝶蘭を届け、尾上のために支店長の社用車を使わせたこともあった。

 第一勧業銀行や日本債券信用銀行(日債銀)との取引も始まった。日債銀の部長は毎週土曜日、「大黒や」の玄関やレジの横に花を飾った。そうじを手伝う際には観葉植物の葉の裏もふいた。尾上は「ここまでよくしてくださるのかという喜びと感謝」で胸がいっぱいになり、日債銀に数十億円を預金し、それを担保に、日債銀の系列ノンバンクから融資を受けた。

 誕生日、店はまるで「胡蝶蘭屋さんみたいになりました」と尾上はのちに振り返った。

 「いろは」の客だった有力者から贈られ、洋服ダンスにしまいこまれて眠っていた現金はこうして次々と銀行の口座に吸い込まれた。

興銀との出会い

 興銀の難波支店長が「大黒や」に飛び込みで現れ、「日本興業銀行の難波支店ができましたので、ごあいさつにあがりました」と話しかけてきたとき、尾上は「日本興業銀行」の名前さえよく知らなかった。が、店を何度も訪ねてきてくれるその支店長への義理で、興銀の割引金融債ワリコー10億円分を購入することにした。1987年(昭和62年)313日、こうして57歳の尾上と興銀の取引は始まった。

 同じころ、興銀大阪支店の資金部長に、アメリカ帰りの男が着任した。早稲田大学を卒業して、1962年(昭和37年)に興銀に入り、ロサンゼルス支店や国際営業第2部など国際畑を歩んできたから、「彼」にとって、国内の営業現場での勤務は久しぶりだった。

 歓迎会が支店長主催により料亭「恵川」で開かれた。「彼」は尾上について、「ざっくばらんな女将」という印象を持った。後日、改めてあいさつに出向くと、尾上は大阪支店を通してワリコーをまた10億円余り購入した。

 その年、87年の520日、興銀は25億円を尾上に貸した。興銀から尾上への初めての融資で、その担保はワリコーだった。ワリコーを担保とする融資は興銀行内では「マル担融資」と呼ばれ、興銀にとっては、焦げ付きのリスクがまったくない、うまみのある取引だ。

 この25億円の借り入れの使途について、尾上は後に刑事法廷で「わからない」と供述した。

 ──尾上さんは当時、何かお金がいることはあったんですか。

 「いや、そうじゃなしに、あれだけせっせとお越しいただいているし、非常にひんぱんにお客さんとして来ていただいておりましたし」

 ──必要性は特段なかったんですね。

 「なかったように思うんです」

 ──借りた25億のお金は何に使ったんですか。

 「それはちょっとわからないんです」

 この25億円は半年後に返済されたが、翌883月に興銀は改めて50億円を尾上に融資した。担保は興銀への預金だった。さらに5月に50億円、6月に70億円と次々に融資を追加し、融資残高はこの年の暮れに180億円に、翌89年の末には586億円に増えた。

 だれの目から見ても、一個人への融資としては常識から大きく外れていた。しかも、預金やワリコーを担保に興銀から融資を受ければ、尾上にとっては、支払利息と受取利息が「逆ざや」になり、損を出すばかり。興銀だけが一方的に儲ける。

 それでも融資が膨らみ続けた理由について、興銀の「彼」は後に、「やはり大阪は尾上さんのようなこういう財産家がいらっしゃる」と考えた──と刑事法廷で弁解している。

 「最初は半信半疑でおりながら、やはり尾上さんに実際に接してみますと、株取引もやっていらっしゃるということで、100億単位の財産をお持ちになっているというのは、これは当時の私としては最初は半信半疑でしたけれども、これはおかしくないという認識でおりました」

 「やはり私どもの知り得ないことであって、莫大な財産をお持ちになっておられるのではないかと、その程度の認識でございました」

 尾上はこのころ、興銀の「彼」に個人的にカネを貸している。刑事法廷での尾上の供述によれば、「彼」から「実は株したいんだ。だからお金を貸してほしい」と頼まれ、「いくらですか」と応じたという。

 「彼」が妻と一緒に「大黒や」を訪れたとき、尾上は妻にネックレスをプレゼントした。後に尾上は法廷で弁護人に問われて、「値札つけたままやった」と供述した。

 ──いくら?

 「250万でした」

 ──モノは何ですか。

 「ルビーです」

 ──何であげたんですか。

 「お客様用に置いてあるものなんです。ご主人によくしてもらってるから、奥さんが来たら必ず渡しますけども。お寿司を買うて渡したり。いろいろ人によって違いますけどね」

 ──宝石渡したりすることもあるの?

 「そんなんはめったにないですけど」

 ──高いのも安いのもあるけども、とにかく。

 「そうですね。合うたもんをね。偶然にネックレスになってしまったんですけど」

 ──250万のやつ?

 「ええ。値札つけたままでちょっと格好悪かったですけど、外そうとしたら『いい、いい』言われたから、そのまま。とっさですから、なにも、遅かったし、時刻がちょうど9時ごろで」

 ──しかし、あなた、会席13万円かどうか知らんけど、250万のネックレスなんか贈ったら、何回来てもらっても割が合わんのじゃないですか?

 「そやけど、そういう計算ができないんですね。心でいきますからね。うれしさとか感謝の念を持つから。相手がどう思おうと、私の気持ちが、しといたら気がすむんです」

第一章 尾上縫と日本興業銀行――産業金融の雄はなぜ大阪の女将に入れ込んだのか(2)

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