「どうして日本の土は酸性なのか」 12種類の土と出会う旅
そもそも「土」とは一体何なのか? 泥にまみれて地球を巡った、研究者の汗と涙がにじむ、一綴りの宝の地図。

1章 月の砂、火星の土、地球の土壌

肥沃な土は地球にしかない

 世界人口が地球の収容能力を超えた未来を想定し、月や火星に入植するアイデアがある。SF小説の中だけのことではない。あのNASAの研究者たちが本気になっている。この惑星地球化計画を、テラ・フォーミングという。テラの語源は土だ。

 NASAが監修したSF映画「オデッセイ」では、火星に取り残された宇宙飛行士が火星の砂と凍結乾燥したウンコを混ぜて「土」をつくり出し、そこでジャガイモを栽培する。わざわざ手間のかかることをする理由は、火星にはもともと植物を栽培できる土がないからだ(図1)。NASAの活動を否定する勇気はないが、土は地球にしか存在せず、月や火星にはない。100億人を養えるのは地球の土だけだ。

 そもそも地球の土ですらよく分かっていないところに、月や火星の「土」まで登場すると頭が混乱したかもしれない。まずは、土とは何か? という根源的な問いを整理するために、地球と月と火星の土を比較してみよう。

「地球にしか土がない」というのは、勉強を始めたばかりの頃、私にとっても意外だった。1969年、月面に着陸したアポロ11号のニール・アームストロング船長の足跡は確かに地面に刻まれていた(図2)。岩かと思いきや、「えっ……! とても、とても粒子が細かい。パウダーのようだ」と驚いたアームストロング船長の言葉が録音されている。月には、降ったばかりの火山灰のようなちりが数センチメートルの厚みで堆積していた。「人類にとっての大きな飛躍」となるアームストロング船長の一歩を受け止めた軟らかな地面、あれは土ではないのだろうか。

 世間一般では、これも土と呼ぶかもしれない。しかし、専門家の集う学会の定義する「土壌」とは、岩の分解したものと死んだ動植物が混ざったものを指す。この意味では、動植物の存在を確認できない月や火星に、土壌はないことになる。あるのは岩や砂だけだ。この命のない〝土〟の材料はレゴリスと呼ばれ、土とは区別される(ちなみに、本書では土と土壌は区別していない)。

 土と月の砂の境界線をすっきりと説明できたようだが、読者の中には、うまくいいくるめられたように感じる人もいるだろう。学会の定義のしかたによっては、いずれも土と呼んでよいことになる。では、なぜ月の砂は土ではないのだろうか? 土とレゴリスを分かつ本質的な違いとは、何なのだろうか? それを知るために、まずは月を訪ねよう。

月には粘土がない

 月と地球の材料はほとんど同じだ。隕石の衝突によって一つの惑星が分裂しただけだからだ(ジャイアント・インパクト仮説)。月の表面で、ウサギが餅をついているように見える暗い部分(月の海)は、鉄を多く含むげんがんである(図3)。これは地球にもよくある岩だ。地球の奥深く(図4マントル)には鉄を多く含んだマグマがあり、マグマが噴き出した地域には玄武岩が分布する。デカン高原(インド)が一例だ。月でも同じように玄武岩が生まれ、その上にサラサラした暗色の塵が堆積している。

 一方、月のウサギを囲む白い部分(月の高地)は、ケイ素(Si、ガラスやシリコンの材料)やアルミニウム(Al、アルミホイルの材料)を多く含んだしやちようがん(長石の一種)である(図5)。この部分が白く見えるため、月面にウサギの姿が浮かび上がって見える。地表近くでケイ素やアルミニウムが多くなるのは地球でも同じだが、豊かな水をたたえた地球では、水によってマグマが冷却されてこうがんが生成する(図5)。花崗岩は、城の石垣や墓石に使われるかげいしでおなじみだが、そもそも私たちの乗っている大陸プレートそのものが花崗岩でできている。花崗岩からできた土は、つちとして園芸用品にもなる。月の斜長岩も花崗岩のように白く、月の高地には小麦粉のような白く細かい砂が堆積している。

 斜長岩にせよ玄武岩にせよ、月の砂の材料は、地球の岩石とほぼ同じ成分を含んでいる。しかし、その後の運命は同じではなかった。引力の小さい月には水も大気もなく、生き物も存在しない。一方の地球は水と大気に恵まれ、多様な生き物が進化した。

 地球の岩石は、水と酸素、そして生物の働きによって分解する。風化という。例えば、青色の鉄(Fe2+、還元状態の鉄)を含む岩が水に溶け出すと、酸素によって酸化され、赤色や黄色の鉄さび(Fe2O3)へと変化する(図6)。こうして粘土の一つが生まれ、土の一部となる。私たちは、記憶や愛が〝風化〟するとたとえるように、風化=劣化・消失と捉えがちだが、風化はただ岩を分解するだけではなくて、そこから土を生み出す現象を含んでいる。

 鉄の少ない花崗岩が風化すると、徐々に砕けて細かくなり、砂、そして土になっていく。岩から溶け出したケイ素やアルミニウムのイオンが濃縮すると、土の中で新しい鉱物が生まれる。これも粘土である。岩が風化すると、砂だけでなく粘土へと姿を変えるのだ(図7)。イオンから鉱物が誕生する現象(せきしゆつ)は、イメージがつきにくいかもしれない。しかし、私たちの血液中のカルシウムやリン(遺伝子や皮膚をつくる、肥料要素の一つ)が骨や歯というかたちの鉱物(アパタイト)として結晶化するのも身近な例だ。粘土は、水の惑星が流した〝血と汗〟の結晶である。

 粘土とは、直径2マイクロメートル以下の微粒子と定義されている。直径2ミリメートルの砂粒の千分の一よりも小さい。岩や砂をハンマーでたたいたり、すり鉢でゴリゴリすり潰したぐらいでは粘土にはならない。岩が一度水に溶けて、そこから再び結晶となったものを粘土鉱物と呼ぶ。水の中に粘土が散らばると、味噌汁になったと錯覚するほど粒子が細かい(図8)。この粘土の働きによる土のネバネバは、地球の奇跡だ。

 では、アームストロング船長が「とても、とても粒子が細かい」といっていた月の土粒子はどうだろうか。

 実は、月でも岩は風化する。岩に含まれる鉱物粒子は、太陽からの光(熱)を受けて温まるため、昼間は膨張する。逆に、夜間は冷めて収縮する。膨張と収縮を繰り返す中で、鉱物の結晶粒子の岩石は徐々にもろくなっていく(図7)。これを機械的風化作用と呼ぶ。学園ドラマにたとえるなら、体育祭や文化祭を通して熱血先生と個性豊かな生徒たちのやる気に温度差が生じ、クラスの団結力にヒビが入る。場合によっては、バラバラになる。学園ドラマでは、再び新たなかたちで団結することもあるが、月ではそのままだ。花崗岩の場合、石英(白色)、長石(ピンク色)、雲母(黒色)など異なる性格の鉱物粒子から構成されている。雲母は熱によって膨張・収縮しやすいが、石英はかたくなに変化しない。この結果、岩石はバラバラと分解し、石英や雲母などの鉱物粒子が堆積する。何億年もかけてゆっくりと風化した塵が堆積し、アポロ11号の到着を待っていた。

 しかし、アームストロング船長にパウダーと形容された月の砂粒子の直径は100マイクロメートルであり、粘土粒子よりも50倍以上大きい粒子だった5。片栗粉や小麦粉のサイズ(数百マイクロメートル)に近い。粘土の多い土はネバネバした手触りがあるが、粘土が少なければ小麦粉のようなサラサラした感触になる。

 水や酸素や生物の働きがないと、岩石は粘土にはなれない。月には粘土はなかった。粘土の有無が、地球の土壌と月の砂を分かつのだ。

第1章 月の砂、火星の土、地球の土壌(2)

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