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Vol.24 棋士・中村太地が語る「AI将棋の時代だからこそ読みたい『聖の青春』の魅力」

藤井聡太四冠が誕生し「藤井フィーバー」の止まらない将棋界。そして将棋ノンフィクション『聖の青春』(大崎善生・著)もSlowNewsで多くの読者を持つ大人気作品です。羽生善治と死闘を繰り広げた天才・村山聖の生涯を描いたこの作品を、中学時代以来、久しぶりにSlowNewsで読み返したという中村太地七段。その色褪せない魅力を語っていただきました。

中村太地

1988年東京都生まれ。2006年、高校3年次に四段に昇段、プロ棋士となる。米長邦雄永世棋聖の門下で学び、2011年度には勝率0.8511を記録し、第39回将棋大賞の勝率1位賞を受賞。また2017年の第65期王座戦では羽生善治王座(当時)に挑戦し、31敗で初タイトルを獲得した。現在YouTubeにて「棋士中村太地将棋はじめch」で将棋の魅力を発信している。

中村さんおすすめの作品

大崎善生 『聖の青春』

アダム・サタリアーノ、マイク・アイザック「知られざるフェイスブックの『汚れ仕事』」

――9月に藤井聡太さんが叡王を獲得して「史上最年少三冠」に輝いた翌日、大崎善生さんの『聖の青春』をSlowNewsでおすすめしたところ、たくさんの方が読んでくれたんです。

中村 この作品はまさに将棋ノンフィクションの傑作。たくさんの方が『聖の青春』の魅力にSlowNewsがきっかけで気づいてくれたとすれば嬉しいことですよね。

僕がこの作品に触れたのは中学生のときでした。奨励会にはすでに入っていて、親から「話題になっていて、すごい本だよ」と勧められて読みました。今でこそ、村山聖という棋士の凄絶な人生を描いたノンフィクションだと思えるんですけど、当時は「フィクション」のように感じて読んでいました。あまりにも現実離れしているように感じたからです。

闘病の身でありながら竜王戦で羽生善治先生を制してしまう一局、膀胱癌に冒されたため尿を出す管を布に包み、紙袋に尿を溜める袋を隠して将棋会館に臨む気迫。ここまでして将棋に対峙する棋士がいたのかと、呆然とするしかありませんでした。

――SlowNewsでひさしぶりに読み返して、どんな感想を持ちましたか?

中村 色褪せない名作だと思いましたし、あらためて村山聖という棋士のすごさに圧倒されました。

村山先生は29歳で亡くなってからすでに20年以上経っています。しかし、いまだに先輩方と話しているなかで話題になる伝説の棋士です。攻めの棋風で直感に優れていたとは聞くんですが、それは棋譜を見ても感じます。重厚感のある攻めとでも言うか、相手を薙ぎ倒すような将棋なんです。

そしてさらに凄いと思うのは、体調が悪いときのほうが多かったはずなのに、生涯勝率が6割を超えていること。普通、6割を超えていれば活躍した棋士と言えます。7割を超えるなんていう人は、ほぼ存在しない。それなのに、村山先生は6割を超えているんです。対局室にお医者さんが詰めているような状態で対局し、将棋界のトップであるA級にまで上り詰めてしまったというのは、ちょっと信じられないことです。

なんと言っても、師弟の絆の物語

――村山聖の周囲の人物たちも豪華ですよね。

中村 そうなんです、この作品は一時代を築いた「羽生世代」を中心とした棋士たちの群像劇としても読めると思います。羽生先生、森内俊之先生、佐藤康光先生、その少し上の世代になる谷川浩司先生。今となってはレジェンド級の棋士たちの、その若き日を目の当たりにするような作品でもありますよね。

それからなんと言っても、師弟の絆の物語。僕はあらためて読んで、この作品の大きな魅力は村山聖と、師匠である森信雄先生の師弟関係がきめ細やかに描かれているところだと思いました。

――森信雄さんは重要人物として作品の随所に登場しますね。

中村 師匠が弟子の看病をするなんて、もう師弟関係というより、親子に近い。将棋界では「森門下」と言えばたくさんの棋士が生まれている大所帯として有名なんです。僕の同期の糸谷哲郎八段もそうです。女流棋士を5人も抱えている一門としても有名です。

指導者としての包容力が半端ないというか、とにかく個性をのびのびと伸ばしてくださる師匠なんです。今や村山先生のことを知らない世代も増えてきていますが、『聖の青春』を読んで森門下に入りたいと思う人もきっといるでしょうね。

――中村さんの師匠は米長邦雄さんでしたが、やはりそれぞれ、師弟関係というのは違うものですか。

中村 師匠は僕が入門したころにはもう、将棋連盟の運営のほうにシフトしていて、月に一回お会いして棋譜を見ての指導をいただくような関係でした。兄弟子の先崎学九段に言わせると、昔は内弟子制度で師匠の家に住み込みだったと。だから、本当に家族みたいな生活をしていたそうです。ちょっと羨ましいなって思うんですよね、そうした濃密な師弟関係って。だから、村山先生と森先生の師弟関係を読んでいると同じく、羨ましいなって思います。

奥底に潜む「勝負師」の部分

――いま、この人を描けば面白いノンフィクション作品が生まれそう、という棋士はいるでしょうか?

中村 そうですね……、木村一基先生を描いたノンフィクションを読んでみたいですね。高い勝率を誇っているんですが、なかなかタイトルに届かない。そしてついに王位のタイトルを獲得するのだけど、そこに現れたのは若き天才・藤井聡太。そして藤井さんに王位を奪取されてしまうのだけれども、もう一回這い上がって「最後のチャンスだ」と、王座のタイトルに挑戦する。

この起伏に富んだ棋士人生もさることながら、木村先生の奥底に潜む「勝負師」の部分を読んでみたいですね。人間的に魅力溢れる方で後輩に優しく、ユーモアもあって、ファンも多いし、将棋解説者としても人気のある先生なんです。ところが、対局になると鬼のような形相になる。その勝負師の顔は、我々からは計り知れないところがありますからね。取材をする価値があるんじゃないかって、勝手に思ってるんですけど(笑)。

――村山聖もそうですが、やはり棋士は勝負師でなければならない。

中村 少なくとも負けず嫌いじゃないとプロの棋士としてはやっていけないでしょう。僕の持論ですが、奨励会に入れるくらいの力があれば、将棋のプロになれる才能は備えているんです。では、何でプロとそれ以外の選別がなされるかといえば、それは精神力なんです。

いかに努力を続けて棋力の研鑽に励むことができるか。そしていかに、負けてたまるかという勝負師の素質を備えているかどうか。奨励会には負けがこむと遊びにかまけてしまう人もいますし、逆に胃がキリキリして参ってしまう人もいる。プロになるか、なれないか、奨励会での瀬戸際、その残酷さや非常さは大崎善生さんの『将棋の子』にも描かれているとおりですが、本質的には勝負師でいられるかどうか、そこが鍵なんだと思っています。

――中村さんとお話ししていると穏やかな性格が伝わってくるので、勝負師の面があるとは思えないんですけど。

中村 いや、じゃんけんも負けたくないくらい負けず嫌いですよ(笑)。藤井竜王だって負けた時にはこの世の終わりかと思うくらいうなだれて、悔しがっている。棋士ってみんな、そういうものだと思いますよ。

フェイスブックの汚れ仕事とAI将棋

――今や将棋と切っても切り離せなくなっているのがAIですよね。『聖の青春』の時代から遠く離れてしまった感じもありますが。

中村 一時期はAIと人間は対立する、みたいな議論もありましたけど、今やAIなしに将棋の研究も理解も進めることはできないフェーズに達しています。新しい一手を示してくれたり、考えついた手がどれくらい良い一手なのかを評価してくれるようにもなっています。人間と協働し、切磋琢磨する関係に変わっていってますね。ただAI一つとっても、自分が本当にきちんと理解しているものって、ほとんどないんだなって気がします。

その意味で僕らにとっては身近なフェイスブックの裏側を取材した記事「知られざるフェイスブックの『汚れ仕事』」は面白かったです。有害コンテンツ削除はAIが自動的にできるのではなくて、日々、多くの人間が手作業のようにして監視し、削除の判断をしているという。

――人間の手が介在する余地や必要が、まだあるのかという記事ですよね。

中村 まだ試行錯誤の段階なんだなと驚きましたし、こうしたテクノロジーって、まだまだ進化の途中段階なんだろうなとも思いました。AIだって将棋を全て理解しているかといえば、決してそうではないですし。

――AIによる対局の優勢、劣勢の局面評価も絶対的なものではないんですよね。

中村 まさにそうです。AIが99:1で先手が優位に立っていると判断したとしても、終盤のある一手が致命的になって逆転することだってある。

――こうした現代将棋の今だからこそ新鮮に感じる『聖の青春』の魅力って、なんだと思いますか?

中村 AIと共存する前の将棋の面白さって、けっこう終盤に現れがちだったんです。たとえば今50代、60代のベテランの先生が20代の若手を倒すことがあるんですけど、多くの場合、それは終盤のごちゃごちゃした戦いになったときの強さがものを言っているんです。『聖の青春』の時代の将棋から序盤戦略はずいぶんと様変わりしたんですけど、終盤の部分は今なお学ぶところが大きい。まあ、これは棋士としての見方かもしれませんが、読者のみなさんも、こうした「沼地での決戦」のような戦い方があったことを知ることで、今の将棋や新世代の棋士たちの戦いを、もっと深く、楽しむことができるんじゃないでしょうか。

まさに『聖の青春』は、再読してさらに奥深いと思った、将棋ノンフィクションの名作です。

構成・撮影=鼠入昌史

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