ジャーナリズムやノンフィクションをもっと自由に楽しもう
追加された作品やおすすめのジャンル、機能の改善など、スローニュースに関する最新情報をお届けします。

Vol.30【特集】裁判があなたの生活をいかに変えてしまうかを知る1週間

 SlowNewsは、「丁寧に掘り下げていく」という読書体験のお手伝いとして、毎週テーマを変えて【特集】を組み、SlowNewsで読める書籍や記事をご紹介していきます。

 27日~13日は、「裁判があなたの生活をいかに変えてしまうかを知る1週間」として、「正義の形が変わってしまった」ような裁判が描かれた書籍やオリジナル記事をご紹介しました。実は裁判はあなたの暮らしに密接に関係しています。

 Twitter・Facebookに投稿したものを、こちらにまとめました。本を全て読む必要はありません。注目判決のパート、コラムを読むだけで、世の中の見え方もガラリと変わるかも。そんな判決あったの?と誰かにしゃべりたくなる話もご紹介しますよ。

月曜日/結婚していない男女の子は、法律上の夫婦の子より相続が不利なる?

 夫婦になれない男女間に生まれた子は、法律上の夫婦の間に生まれた子どもより、生まれながらにして相続で損をする。そんなことが法律で決められていました。民法900条の「嫡出でない子(婚外子)の相続は、法律上の夫婦の子である嫡出子の相続分の2分の1とする」という規定です。

 それは「差別」にあたるのではないかと、何度も裁判が起こされましたが、そのたびに最高裁は「合憲」とし続けました。過去の判例にならう前例踏襲主義はそうそう変わりません。

 ところが2013年に、最高裁は過去の判断をくつがえし、「違憲」としたのです。法の正義が変わった瞬間でした。

 背景に何があったのでしょうか。

国勢調査などによると、「未婚の母親」は2000年の63000人から、10年間で132000人に増えました。ほぼ倍増です。全出生数に占める婚外子も1990年の11%(1万3000人)から2011年には22%(2万3000人)に。リアルな家族のあり方が変わると、国民意識にも変化の兆しが見えてきます。(中略)

ついに2013年、この裁判がふたたび大法廷に回付されました。結果は全員一致で「違憲」。とうとう最高裁の過去の判断が、ひっくりかえったのです。

 川名壮志『密着 最高裁のしごと 野暮で真摯な事件簿』(岩波新書)には、時代によって「正義」がかわること、法の世界でも国民の意識や時代の移り変わりによって、正義は書き換えられるという実例が掲載されています。ぜひ読んでみてください。

火曜日/郵便局のミスで配達が遅れて損害が出たら、賠償してもらえるのか?

 郵便局の配達ミスで損害が出たとしても、国に賠償してもらえるのは「書留郵便物などをなくすか破損した場合、あるいは金を取らずに代金引換郵便物を渡した場合」に限られ、請求できるのも差出人だけでした。当時の郵便法の規定です。

 その法律に対して最高裁は、「故意または重大な過失による不法行為までを免責するなどしている規定に合理性があるとは認めがたい」と判断し、結局、法律が改正されることになりました。

 この判決、実は歴史的にも特筆すべきものでしたが、当時、全く目立っていなかったのです。

違憲判決は、新聞では通常、一面のトップか準トップに記事がのるが、本件判決については、最終面近くの社会面に地味な扱いで掲載する新聞が多かった。郵便法という聞きなれない法律をめぐる事件だったためであろうか。

しかし、この郵便法判決を含め、2008年までの6年間に、3件の法令違憲判決が相次ぐ。「救済の府」の覚醒の静かな〝幕開け〟だったが、それに気づいた人は多くはなかった。

 山田隆司『最高裁の違憲判決 〜「伝家の宝刀」をなぜ抜かないのか〜』(光文社新書)には、その経緯や判決の意義などが詳しく書かれています。判決からわずか2カ月半で法律が改正されました。それほど「違憲判決」はパワフルで、私たちの身近な郵便のようなものにまで、ダイレクトに影響します。

水曜日/日本から米軍基地が消え、世界の軍事バランスさえ変わるところだった?

 アメリカ軍が日本にいられなくなる判決を、かつて東京地裁が出したのをご存じでしょうか。

 アメリカ軍の基地に侵入したデモ隊が起訴されましたが、「起訴した罪を規定する刑事特別法は憲法違反の日米安保条約に基づくものだ」と被告側は主張。伊達秋雄裁判長はそれを受け入れ、デモ隊全員を無罪にしたうえ、日米安保条約を憲法違反と断じたのです。「伊達判決」と呼ばれる司法の歴史に残る判決です。

この判決が確定すれば、日米安保条約は違憲無効となり、米軍は日本にいられなくなる。米ソ冷戦の最前線である在日米軍基地がなくなれば、地球全体の軍事バランスを崩しかねない。

 慌てた検察庁はどうしたのか。そして裁判所は。

 倉山満『検証 検察庁の近現代史』(光文社新書)には、 その後の「異様なまでの迅速な審理と体制御用判決」の経緯を詳しく描いています。

木曜日/病気の腎臓を修復して移植することは、認められるのか?

 「修復腎移植」とは、ドナー(臓器提供者)から摘出されたガンなどの病気腎を修復し、レシピエント(移植を受けいれる患者)に移植するものです。これに先駆的に取り組んできた医師たちがいましたが、日本移植学会が猛烈に反対し、厚労省も禁止の通達を出すに至りました。そしてバッシングの嵐が…。

 そんな時に、理解を得ようと動いたのは、透析患者たちでした。

「他の患者さんから摘出した病気腎を、移植希望者に移植してきたことに対し、日本移植学会やマスコミは『ルールを無視したやり方』『不透明な医療行為』などと指弾しています。しかし、私たち患者側からすれば、これらの発言や報道は、患者を置き去りにした一方的な建前論といわざるを得ません。(中略)病気腎の移植は、献腎による移植が進まない中で、新たな道を開くものとして、十分な医学的検討を加えた上、可能な限り進めていくよう、訴えていきたいと思います」

 そして彼らは、修復腎移植の禁止により「幸福追求権」を奪われたとして、移植学会の主要幹部を被告として、損害賠償裁判を起こしたのです。高橋幸春『だれが修復腎移植をつぶすのか 日本移植学会の深い闇』(東洋経済新報社) は、本当に問われるべきものは何なのかを考えさせられる一冊です。

Photo/Getty Images

金曜日/ネットの違法複製の判断基準は、「カラオケ」にあり?

 問題になっているデータの違法コピー。複製した主体はボタンを押したユーザーではなく、それを用意した事業者であるという判決の大元にあるのが、実は「カラオケ」をめぐって最高裁が過去に出した基準だということをご存じでしょうか?

その基準の名は、「カラオケ法理」。カラオケを思い出してください。お店によっては、ママさんとかチイママさんとか、筆者はよくわかりませんけど、カラオケを操作して一緒に歌ってくれたりしますよね。そういうのは忘れて、お客さん自身が演奏ボタンを押して歌うカラオケボックスのような場面を想像しましょう。この場合、物理的に著作権に関わる演奏行為をしているのは、機械を操作して歌っているお客さんに見えます。では、「お店は楽曲の演奏はしてないのだから、JASRACにお金を払う必要もない。請求ならお客さんにしてくれ」と言えるかといえば、そうは考えないのです。

 福井健策『「ネットの自由」VS.著作権 TPPは、終わりの始まりなのか』(光文社新書)は、その後の「ダウンロード刑罰化」への経緯なども詳しく述べています。同人誌などの二次創作がどうなっちゃうのか、気になる人も必読です。

土曜日/結婚していない外国人の女性の子どもは日本国籍を得られない?

 結婚していない日本人の父とフィリピン人の母から生まれた子ども。日本人の血が流れ、日本で育ち、日本語を話すのに、日本国籍を認めてもらえない。妹は生まれる前に父が認知したので、日本国籍を得ている。同じ両親なのに、認知が生まれた後だったその一点で、国籍法によって日本人であることを阻まれてしまいました。

 これについて最高裁は、「不合理な差別」と断じました。

〈日本国民である父から「出生後に認知」された婚外子が、日本国籍を取得できないことは、著しい差別的取扱いと言わざるを得ない。日本国籍の取得が、基本的人権の保障などを受ける上で重大な意味を持つことにかんがみれば、こうした差別的取扱いによって子の被る不利益は看過しがたい。この差別的取扱いについては、立法目的との間に合理的関連性を見いだしがたい〉

 当時、原告と同様の状況にありながら日本国内に暮らす外国籍の子は数万人いると推計され、大きな問題となっていました。 山田隆司『最高裁の違憲判決 〜「伝家の宝刀」をなぜ抜かないのか〜』(光文社新書)には、興味深いことが紹介されています。実は6年前の同じような裁判で、原告の訴えを退けていたものの、裁判官が国籍法の合憲性に対して個別に「意見」を付けていたのです。

この「小さな流れ」が、いったん地下に潜る伏流水となり、6年後、大法廷判決という「泉」として噴き出したようにみえる。

 最高裁の判決は複数の裁判官によって行われますので、このように「意見」が付くことがあります。そこに時代が変わる兆しが潜んでいるかも知れませんね。

日曜日/判決で教科書の内容さえ変わる?

 最後はアメリカの法廷から、裁判によって教科書さえ変わるかもしれないというお話。

 アメリカには「進化論」に異を唱える人が結構いることもあって、アーカンソー州には「創造科学(創造論)と進化論の両方を公立学校で教えることを義務付けている」州法がありました。

 これに対し、政教分離を定めた米国憲法修正第一条に反するという訴えがさなされ、なんと裁判所が「科学とは何か」を定義する異例の判決を出しました。

1982年に出された判決で、担当したウィリアム・オバートン裁判官は、科学に求められる条件として次の五つを示した。

1.自然法則をもとに導き出される

2.自然法則を参照しながら説明がされている

3.実験的に検証が可能である

4.結論は仮のものである。つまり、最終的な結論である必要はない

5.反証可能である

その上で、創造論はこの科学の基準を満たしていないとの結論を判決で示した。「生命は無から突然、創造された」という主張の根拠となる自然法則はないし、その主張を具体的に検証することもできないだろう。

 その後、連邦最高裁で、「進化論を教える時は創造論も合わせて教えなければならない」と定めたルイジアナ州法が憲法違反とされ、一連の裁判は決着したということなのですが、それでも創造論教育は今も、米国の公立学校に広く浸透しているといいます。

 三井誠『ルポ 人は科学が苦手 アメリカ「科学不信」の現場から』(光文社新書)は、アメリカの分断の深い根っこのようなものが感じ取れる一冊でもあります。

 「正しさとは、愚かさとは、それが何か見せつけてやる」という歌が流行るような世知辛い現代。でも、時代によって、人々の意識によって、「法の正義」というものでさえ絶対ではなく、変わっていく。そんなことを感じとっていただければ幸いです。

 そしてだからこそ、法の番人がどのような判断をするのか、私たちは注視していく必要があるのではないでしょうか。

01