手塚治虫を激怒させた「ヤマトをつくった男」その破滅的すぎる人生
日本アニメの金字塔「宇宙戦艦ヤマト」誕生から40年、事故死後4年を経て明らかにされたカリスマ・プロデューサーの破天荒な一生
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序章 いつ消されてもおかしくない男

 彼は悪党であった。

 そして、誰もが知る時代のシンボルを創り上げた人物だった。

 その男の破天荒な生涯をこれからたどろう。

「宇宙戦艦ヤマト」のプロデューサー・西崎義展が、遊泳のため訪れていた小笠原・父島で船上から海へ転落。午後二時五八分、死亡が確認された──。

 平成二二(二〇一〇)年一一月七日、その夜半にもたらされた訃報に首をかしげる関係者は少なくなかった。

「もしや西崎は消されたのではないか。あの男はそれだけの恨みを買っている」

 またたく間に、本気ともブラックジョークともつかぬ他殺説が世間にしていった。

 他殺説にはいくつかの根拠がある。さかのぼること一三年前、西崎は約八〇億の借金を抱えて破産した。被害に遭った債権者たちの怒りは冷めていない。さらに西崎が死去する前年、新たに資金を集めて製作公開した映画「宇宙戦艦ヤマト 復活篇」も興行成績は不振に終わっている。どちらを向いても、金の恨みを買う相手には事欠かなかった。

 また、西崎は覚せい剤所持、銃火器所持などの罪で服役し、三年前に刑務所を出たばかりであった。当然、暴力団との危険な関係が取りざたされる。しかもその一方では漫画家・松本零士との著作権裁判を獄中から指揮し、善玉ヒーローと目される松本を打ち負かしていた。〈憎まれっ子世にはばかる〉を地で行く西崎は四方八方敵に取り巻かれ、いつ消されてもさほど不思議ではなかったのである。

 さて、西崎義展の名を日本アニメ史に刻み込んだ「宇宙戦艦ヤマト」とはいかなる作品であったのか。

 ──西暦二一九九年、地球は大マゼラン星雲にある異星人国家ガミラスの侵略を受けていた。遊星爆弾による放射能汚染で地上生物は死滅。海は蒸発し、地球は赤茶けた姿に変貌している。人類が立てこもる地下都市の汚染も進行し、人類絶滅まであと一年と迫っていた。

 ガミラス軍の攻撃で地球防衛艦隊が壊滅した直後、謎の宇宙船が火星に不時着。回収されたカプセルには、放射能除去装置コスモクリーナーDを地球に提供するというイスカンダル星からのメッセージが納められており、さらにイスカンダルまで一四万八〇〇〇光年の航海に必要な波動エンジンの設計図も添えられていた。

 地球防衛軍は二五〇年前の大戦で沈められた戦艦大和を極秘裏に改造して波動エンジンを搭載、宇宙戦艦ヤマトとして甦らせる。

 人類救済のためにはイスカンダルでコスモクリーナーを受け取り、一年以内に地球へ帰還しなければならない。艦長・沖田十三、若き指揮官・古代進らはガミラス帝国と戦い、宇宙空間の障害を乗り越えながら、遥かなるイスカンダルを目指す──。

 以上が、ファンの間ではあまりにも有名な「宇宙戦艦ヤマト」(テレビ版第一作)の基本ストーリーである。

 昭和四八(一九七三)年、西崎を中心にまとめられた企画書冒頭の一文(企画意図)を紹介しておこう。「ヤマト」に対する西崎の意気込みと願望がここに集約されている。

「今年、『ポセイドン・アドベンチュア』というアメリカ映画が大ヒットした。転覆した豪華客船の中から、僅か数人の男女が、奇跡的に脱出、生還する物語である。ヒットの理由は、転覆した船という時代の終末を象徴する状況から、人間が脱出できる可能性を示したことにあると思われる。

 今の日本は、地震ブームである。日本列島は六九年目毎に大地震に見舞われるという学説があり、危険周期に入ったこともあって、小松左京の小説『日本沈没』が飛ぶように売れている。このブームは、単に科学的根拠に発するだけのものではない。私たちの生活の行き詰まりが、世直し願望という形で、反映しているのだ。

 生活の行き詰まりについて、くどくど説明する必要はあるまい。日本人は驚異の経済成長をなし遂げ、物質的には豊かになったが、そこには公害があり、物価高があって、まだまだ幸せとはいえないし、殊に精神面となると、産業社会の歯車のひとつとなってしまった個人の孤立感を、救うすべもない。

 さて、この行き詰まった現状を打破できるかどうかだが、その可能性は歴史が証明している。人間の文明は何度も危機をはらんだが、その度に人間は脱出し、今日に至ってきた。大切なことは、非人間化した産業組織に対し、自分をもモノとして規定してかからないことだろう。私たちは、モノとは次元の違う『人間』なのだ。

 この、私たち人間が今一番持たなければならない認識と夢を、大人はもとより、特に子供に語りかけたいと考えて、私たちは、『宇宙戦艦ヤマト』を企画した。

 この作品は、二千××年、地球上の全人類が滅亡しようという時に、決然と立った少年少女の活躍を物語る、SF冒険アクションのドラマである。そして、彼らの行動を通して私たちが描きたいのは、人間とは『愛』だという、このひとことなのだ」

 当時三八歳になっていた西崎の思い入れは、気恥ずかしいほど熱く、純粋である。しかし、この業界人らしからぬ一途さが、「ヤマト」の革新的な製作方針に結びついた。漫画原作に頼らないオリジナル企画の立案、現場を支える一流スタッフの結集、徹底討論による緻密なシナリオ構成、金と時間を惜しまない大胆なづくり、作品と連動する版権ビジネスの拡大、ストーリーを盛り上げる音楽性の高さ──西崎はそれまでのアニメ製作に類例のない手法を取り入れた。そして子供向けアニメからの脱却を目指し、「ヤマト」を本格的なSF長編作品に作り上げて中高生の心をつかんだ。ヤマト世代と呼ばれるそのファン層からは、後に日本のアニメ界を支える傑出したクリエイターたちが続々と輩出された。

「新世紀エヴァンゲリオン」のあんひであき監督は、西崎との雑誌対談で次のように語っている。ちなみに「ヤマト」のテレビ初放映時、庵野は中学二年生だった。

「ヤマトに出会った時は、僕の周りの同世代は『アニメはそろそろ卒業かな』という風潮でした。でも、僕はヤマトに出会って中学以降もアニメを見続ける人たちになってしまいました。僕の高校時代はヤマト一色の生活でしたね。初めて自分で描いたセルアニメーションもヤマトでした。ヤマトが手前にくる動きを8㎜フィルムで撮って…というようなことをやってずっと楽しんでいましたね。それが僕の一番最初の自作アニメの体験です。ヤマトを見て、アニメを続けてきたんですね」(「週刊プレイボーイ」二〇〇八・二・二五号)

 西崎は作家気質のプロデューサーだっただけでなく、勝負勘に秀でた興行師でもある。初の映画公開では、捨て身の一発勝負にもひるまない大胆さを発揮した。映画には素人同然の個人プロデューサーが一流スタッフ陣をたばね、悪戦苦闘して作り上げた未知のオリジナル作品を世に問う。──このチャレンジストーリーには、それだけで時代を越えた痛快さがある。しかも西崎は製作費を全額自己出資するという大リスクを負っていた。映画が当たれば利益は総取り、外せば身の破滅というおおばくである。はたから見れば、これほど面白いドラマはない。

 昭和五二(一九七七)年八月に公開された劇場版「宇宙戦艦ヤマト」は大方の予想を裏切って空前の大ヒットとなり、西崎は奇跡的な勝利を得た。そしてこの成功を境に日本アニメ界は新時代へ向かって動き出し、転換期を迎えていた映画界もアニメの影響力を認識していく。

「ヤマト」の衝撃は業界関係者を震撼させたばかりでなく、社会問題としても取り上げられるほどだった。戦後思想の巨人とも言われた評論家・吉本隆明は、自著で次のように記している。

「『さらば宇宙戦艦ヤマト』(筆者注・劇場公開版第二弾)は日本的な心情の観客、つまりわたしたちすべてに、衝撃を与える要素をもっている」(『夏を越した映画』潮出版社)

 一躍ヒーローとなった西崎は、他殺説がまかり通るほどのらいなイメージそのままに、儲けた大金を気前よく吐き出した。豪華クルーザー、高級外車、銀座の高級クラブ、そして数えきれぬほどの愛人たち──。常識外の派手な私生活でも西崎は世間のもくを集めた。

 折しも日本の高度成長期からバブル期にかけて、思うがままに栄光を満喫した後、西崎は破産者にして服役囚という絶望的な境遇に陥る。絵に描いたような転落劇を世間は冷笑し、西崎の人生はそこで終わったものと見られた。

 しかし西崎の真骨頂は、じつにここから発揮される。八年を超える勾留・収監を耐え忍んだ老プロデューサーは出所後、力強く立ち上がった。再び映画製作の資金を集め、スタッフを叱咤しながら製作の陣頭指揮を執り、ついに平成二一(二〇〇九)年一二月、「宇宙戦艦ヤマト 復活篇」の公開までこぎつける。じょうしゃひっすいことわりを不屈の老兵が鮮やかにくつがえしてみせたのである。

 関係者の誰に聞いても、西崎は目立ちたがり屋で、大ぼら吹きで、金にルーズで、女ったらしで、疑い深い独裁者だった。罵声を浴びせられ、裏切られ、人生を狂わされた部下も多い。しかし、こうした証言が死者に鞭打つことにはならないはずである。なぜなら品行方正なだけの常識人に映画の個人プロデューサーがつとまる訳もなく、まして全財産を賭けた大博打など打てる道理がない。その現実を関係者は知り抜いているからである。ごうがんそんで常識に縛られない西崎なればこそ、「ヤマト」という独創的な作品を生み出し、アニメ界と映画界に新風を吹き込んだ事実に異を唱える者はいない。

 本書には、西崎が書かれたくなかったであろう事柄も多数載せられている。本人が生きていたら決して口にできなかったことを取材協力者たちは語ってくれた。

 とはいえ、これまで西崎に対する恐怖で関係者が口を閉ざしていた訳ではない。西崎は直接関われば面倒な人間である。遠目にはまばゆいばかりの光を放つ恒星でありながら、近づく者をすっぽり吞み込んでしまうブラックホールのような存在でもあった。周囲の者たちは一定の距離を置きたがったし、ほうへんの激しすぎるその人生について軽々しく口を開く気にはなれなかったのである。しかし西崎亡き今、多くの証言により新たな人物像が浮かび上がってきた。わるがしこく身勝手な独裁者である一方、極端に寂しがり屋でにあふれた悪童の一面である。尊大な振るまいの陰で、父親へのコンプレックスに終生さいなまれていた事実も明かされる。

 日本アニメのエポック・メーキングとされる「宇宙戦艦ヤマト」が世に出て四〇年、その生みの親である西崎義展の波瀾万丈な生涯をたどり、知られざる素顔を描き出すことが本書のテーマである。この作業過程は同時に、日本アニメ界と映画界の転換期が、いかに人間臭いドラマに満ちあふれていたかを再発見する旅でもある。未知の宇宙を行くヤマトの冒険譚と同様、熱気と興奮にいろどられた風景が展開するはずである。

 なお本書は共著作品である。読者の混乱を避けるため、あらかじめ筆者の立場を明らかにしておきたい。この企画は西崎の制作助手を六年間にわたってつとめた山田哲久が発案し、出版メディアから「ヤマト」を見続けてきた牧村康正が構成・執筆を担当した。取材は共同で行い、記述は基本的に牧村の視点でなされた。山田は西崎の動向をリアルタイムで知る立場にあったため、本文中では証言者として随時登場する。

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第一章 アニメ村の一匹狼(1)

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