女帝・金与正は誕生するのか
独裁の陰に女あり。美女・悪女・猛女・烈女が謎多き独裁体制を動かしていた
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はじめに 北朝鮮女性たちの現実のドラマ

 201616日、北朝鮮は何の予告もなしに「水爆実験に成功した」と発表した。本当に水爆だったのか疑問視する見方もあるが、核実験を行ったのは間違いない。核といえば、北朝鮮には核兵器のボタンを押すという決定に関与できる「7人組」という秘密組織があるという。その中に北朝鮮の最高指導者であるキムジヨンウン第一書記一族の女性、3人が含まれている。

 北朝鮮情報当局が作成した「北朝鮮の核・ミサイル関連の意志決定体系」と呼ばれる文書に書かれているもので、3人は金正恩の叔母であるキムギヨンヒ、妹のキムヨジヨン、母親違いの姉、キムソルソンだった。他は、軍のトップである総参謀長や、金正恩の右腕であるチエリヨンヘ党書記だという。韓国紙『中央日報』が、核実験直後に伝えた。

 金正恩の親族の女性が、国の重大決定に参加しているのは間違いない。

 そのカギは金正恩の行動と思考にある。権力を掌握してから4年ほどで約100人の部下を粛清したと伝えられる。しかし、妻や妹とは安定した関係を築いているようだ。自分しか信じられない絶対権力者でも、権力欲から比較的遠い女性には信頼がおけるものだ。外に向かっては、強圧的なイメージをアピールする北朝鮮の最高指導者は、実は自分の周辺にいる女性たちを頼りにし、重要な決定にも関与させてきた。

 金正恩の祖父、金日成主席、父、キムジヨンイル総書記は母親や妻、恋人、血を分けた妹を身近に置いていた。金正恩も例外ではない。妻と妹を同行して頻繁に対外活動を行っている。過去には指導者を支え、国を動かす面白味に目覚め、陰から権力者を動かす存在になったり、権力者の気まぐれによる犠牲者になり、消息が分からなくなった女性もいる。

 北朝鮮の権力者の周辺で生きた女性たちの存在と役割を、閉鎖されたこの国に重ね合わせると、新たな歴史の構図が浮き上がる。「事件の陰には女あり」という。粛清、追放、処刑といったこの国の権力争いには、やはり女性が何らかの形で絡んでいた。北朝鮮の権力は女性が支え、歴史をつくったとも言っていい。

北朝鮮を動かす7人の女

 本書は、北朝鮮の権力者のそばにいた女性たちに焦点を当てている。北朝鮮の動向にさまざまな影響を与えている主要な7人を紹介しておこう。

 まずは金正恩の妹、金与正だ。ここ数年、肩書きや動静が活発に報道されている。朝鮮労働党の幹部として、兄の対外活動にはいつも影のように寄り添っている。直接会った人は少ないが、活発な性格という。兄に万が一の事態が起きた場合、「新女帝」として最高指導者になる可能性が高い。韓国政府も、彼女のパワーに強い関心を示している。

 金正日総書記の長女、金雪松は全く表に出てこない謎の存在だが、一族を束ねる役割をしている。金正日は、特に彼女を信頼しており、最後は彼女に看取られたと伝えられている。北朝鮮の経済政策は、彼女が決めていると話す脱北者もいる。

 正恩の妻、ソルジユは国民的人気歌手だった。最新のファッションを身につけ、ブランド品を持ち、北朝鮮で半ば義務化されている金日成バッジを付けずに対外活動をするなど奔放な面を垣間見せる。一時スキャンダルめいた話が広がったこともある。いまだに食糧不足から完全に脱却していない一般民衆の憧れでもあり、嫉妬の対象ともなっている。

 正恩は妻の存在をいち早く明らかにし、現地指導に同行させている。祖父、父の時代にはなかったことだ。むしろ、妻の存在をアピールすることで、自国や自らのイメージを良くしようと意識しているのかも知れない。

 この3人が、北朝鮮の将来に大きな影響を与えるだろう。

 さらに、実の妹として金正日を支えた金敬姫の存在も無視できない。熱愛の末結ばれながら、後に夫と不仲になり、最後には甥の正恩によって、夫が処刑されるという悲劇的な人生を経験した。深刻な健康状態とも言われている。

 5人目は時代をさかのぼる。北朝鮮の田舎に生まれ、日本の支配を逃れて中国に渡ったキムジヨンスク(のちに正淑)だ。金日成と偶然知り合い、夫を献身的に助けた。2代目の指導者となった金正日の実母でもある。

 4人目の子供を身ごもりながら、孤独の中で死んだ。夫からはいじめに遭っていた。夫の行動に絶望する中で死んだという証言もある。息子の金正日によって、完全無欠の国母に仕立てあげられたが、実像は大きく異なっていた。

 金正日の代になっても、女性をめぐる葛藤は続いた。いやむしろ激しく、複雑になった。

 ソンリムは、北朝鮮映画界で三大女優のひとりに数えられた。それまでの夫と別れ、金正日と秘密裏に同居生活に入った。長男・正男を出産したが、その後、夫の女性関係に精神的に追い詰められ、モスクワでひっそりと死去した。最も悲惨な犠牲者といえる。

 金正恩の生母・ヨンは、北朝鮮では、資本主義に染まった存在として警戒対象とされる「在日コリアン」出身だった。最近、親族の証言から、名前の漢字が英姫ではなく「容姫」であることが分かった。本書ではこの名前を使う。大阪で生まれ親と一緒に北朝鮮に渡った後、芸術分野では最高の地位である万寿台芸術団の舞踊家として活動した。

 1970年代半ばから金正日と同居を始め、乳がんで死去するまで約30年間妻の座にいた。高容姫の存在は、今も半ば秘密となっている。

金王朝は「チャングム」の世界

 女性が脚光を浴びるのは、日本で人気の高い韓流歴史ドラマでも同じだ。古代から朝鮮王朝(13921910年)を舞台としており、女性を主人公にしたものも多い。

 韓国MBCがドラマ化し、40%台の高視聴率を得た「善徳女王」(在位632647年)は、朝鮮初の女王だ。聡明さと予知能力を兼ね備えていたとされる。新羅27代目の王として三国統一の礎を築いた。韓国では、すでに朴槿恵という女性大統領が誕生している。金与正は、北朝鮮で最初の女性指導者となるだろう。

 一方、貧しく、低い身分の女性が、権力を手にするドラマも根強い人気がある。

 朝鮮時代には、どんなに低い身分の女性でも、王に見初められ、世継ぎとなる男の子を産めば、一気に大出世できた。

 MBCが制作し、日本でも人気を博したドラマ「トンイ」は、宮廷のムスリ(水汲み役)という下働きの地位から王の側室となった実在の女性、淑嬪崔(トンイは幼名)がヒロインだ。絶対的な権力を持っている王に見初められ、厳格な身分社会と、女性同士の争いを勝ち抜いて権力を手にする。息子は21代の王「英祖」となった。

 SBSドラマ「妖婦 張禧嬪」は、淑嬪崔と同時代に生きた女性だ。美貌を使って当時の王「粛宗」を虜にした。のちに20代の国王である景宗となる王子を生み、側室として最高位である「嬪」についた。さらに、陰謀をめぐらして正妻の地位も手に入れるが、悲惨な最期を遂げている。

 金正淑、成恵琳、高容姫、李雪主は、この2本のドラマのような「北朝鮮版、のし上がり型」女性たちと言えよう。

 知恵と才覚で王を助ける「参謀型」の女性も題材となる。最も有名なのはMBC制作の「宮廷女官チャングムの誓い」だ。チャングムは王の料理人で医女だった。金敬姫、金雪松が該当しそうだ。

 韓流ドラマには、商売の世界で成功を勝ち取る女性がしばしば描かれる。

 北朝鮮でも、無数の名もない女たちが危機に強さを見せた。1990年代の食糧危機の時、市場でたくましくモノの売買を行い、家庭を守ったのはまさに彼女たちだった。北朝鮮の硬直した政治システムを、事実上の市場経済に変化させていく原動力となっている。女性が主人公として活躍する韓流ドラマの世界は、北朝鮮では現実として展開している。

 金ファミリーに関する情報は限られており、関係者から具体的な証言を得ることは難しい。関連の資料も多くない。私は北朝鮮から逃れてきた脱北者や体制研究者ら約30人から、約1年間かけて聞き取りを行い、手触りのある人物像を描くことに努めた。

 なお、文中の肩書きは報道当時のものであり、敬称は可能な限り省略した。引用した資料は適宜本文中で紹介し、巻末にもまとめている。

20164月 五味 洋治 

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第1章 兄を継ぐ女帝候補 金与正、金雪松(1)

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