会社におもねらず、上司に売られても諦めずに生きるには
「伝説の調査報道ジャーナリスト」と呼ばれる男がいる。ローウェル・バーグマン(76)。米国のたばこ産業の不正を暴き、所属するテレビ局をも敵に回して真実を市民に伝えた功績は、アル・パチーノ演じる映画『インサイダー』の原作にもなった。ニューヨーク・ブルックリン生まれのユダヤ系移民の子どもは、なぜ、どのようにして米国を代表する調査報道ジャーナリストとなったのか。駆け出しの頃から命を狙われ、巨大組織にも立ち向かいながら、今につながるメディアのコラボレーションまで成し遂げていく。映画には描かれなかった、真実とは。

会社におもねらず、因習に縛られず、上司に売られても諦めずに生きるには ~『バーグマン物語』の舞台裏

 スローニュースの特集『バーグマン物語 伝説の調査報道ジャーナリスト』の舞台裏には、ふたりの日本人ジャーナリストがいる。ひとりは、ジャーナリストの大矢英代さん。フロントラインプレス・メンバーとして米カリフォルニア州を拠点に取材を続け、バーグマンと膝を付き合わせて取材にあたった。もうひとりは、編集デスクとして総括にあたった私(高田昌幸・フロントラインプレス代表)だ。

 「バーグマン物語」は202111月中旬に連載が始まった。幸い、多くの方に読まれたようだ。「熱い内容だった」「心を動かされた」といった声も多かった。

 当の大矢さんは取材を終えた後、日本に一時帰国した。秋の東京・日比谷。2年ぶりにリアルで顔を合わせ、私はあれこれを尋ねた。「バーグマン物語」とそれに続く物語を、である。

撮影:穐吉洋子

 今回は、「バーグマン物語」の舞台裏にいた私が取材者の大矢さんを逆に取材することにした。バーグマンが米マスメディアの「インサイダー(内部者)」として米テレビの自主規制問題を激白したように、私たち2人もまた、日本のマスメディアにいた「インサイダー」として、読者に伝えねばならない真実があったからだ。

(高田昌幸)

 

沖縄から米国へ

 大矢さんは琉球朝日放送で記者として沖縄戦や米軍基地などのテーマを追い、退職後も沖縄をベースにして戦争と平和をテーマに深掘り取材を続けてきた。著書『沖縄「戦争マラリア」–強制疎開死3600人の真相に迫る』(あけび書房)は、戦時中の隠された出来事を掘り起こした調査報道だ。

 2018年に米国に渡り、カリフォルニア大学バークレー校の大学院の客員研究員になった。ジャーナリズム、とくに調査報道に軸足を置いて研究を続けた。同校で師事したのが、まさにバーグマンである。「バーグマンとの偶然の出会いが、渡米のきっかけになった」と大矢さんは言う。

「琉球朝日放送にいた頃、有給休暇でバークレーに行ったことがありました。その時、たまたま大学院で調査報道の授業がやっているというので、興味本位で覗いてみたんです。実践的な調査報道のハウツーはもちろん、裁判の模擬授業までやっていて、その本格さに驚かされて……しかも当時、バーグマンたちのチームは米軍問題を取材していた。私が沖縄で追っていたテーマと偶然にも同じ。日米でタッグを組んで取材したら面白いことができるんじゃないかと思いましたし、何よりもバーグマンからもっと学びたいと思ったんです」

ローウェル・バーグマン(202110月)撮影:大矢英代

「ここで学びたいなら、いつでもおいで」とバーグマンは大矢さんを全面的に受け入れた。

「でも、実は裏話があって……」と大矢さんは明かす。

「そのバーグマンが、まさかあの映画『インサイダー』のバーグマンだとは、当時は全く気がついていなかったんです(笑)」

 気がついたのは、バークレーを離れて日本に戻ってからだ。バーグマンのオフィスの一角にアル・パチーノと並ぶ写真が飾ってあったことを思い出し、大矢さんはとんでもない人物に出会ってしまったことに気がついた。

 映画『インサイダー』で調査報道ジャーナリストのローウェル・バーグマンを演じたのは名優アル・パチーノだ。バーグマンは当時、米3大ネットワーク・CBSテレビのプロデューサー。全米で絶大な人気と信頼を誇った調査報道番組『60ミニッツ』の担当だった。

 舞台は1990年代の米国。アル・パチーノ演じるテレビ局のプロデューサーは、たばこ産業の内幕を追っていた。たばこは健康に害があることを知りながら、たばこ会社はその事実を国民に隠し、「害はない」と偽って商品を売っている。たばこ会社はこぞって、国民を騙していた。その事実を暴露する番組を制作し、あとは放送を待つだけになっていた。そこに上層部から「内部告発者が語るシーンをカットしろ」「このままでは報道できない」といった業務命令が飛んできたのである。

映画『インサイダー』より、アル・パチーノ(右)Photo:Photofest/アフロ

 放送ストップを命ぜられたのは、なぜか。

 それは、CBS上層部がたばこ会社と深い関係にあり、特定の取引にとって巨額の利益を手にすることができる状況にあったためである。放送局の収益だけでなく、経営側の個人としても多額の利潤を得る寸前にあった。外圧ではない。内部の“私益”が公共性のある番組を押し潰そうとしたのである。

 実在のバーグマンは、今年で76歳になった。映画公開後、テレビ界からアカデミズムの世界に入り、数々の後進を育てたバーグマン。現在はカリフォルニア北部の森の中に住み、各地のジャーナリストと情報交換をしながら、悠々自適の生活を送っている。自然に囲まれ、伝記も書いているという。その森の家で、大矢さんは長い時間、バーグマンと向き合った。

 そもそも、恩師であるバーグマンを、なぜあえて取材しようと思ったのだろうか。大矢さんへの取材の冒頭、その理由をストレートに聞いてみた。

撮影:穐吉洋子

「ジャーナリズムはいま、すごく困難な時代にあります。そもそも社会に必要とされているのか? 根本から存在意義が問われていると思うんです。そして私自身、新型コロナ禍はずっと米国で生活していたわけですが、米国社会の激動を目撃する中で、ジャーナリストとしての原点をもう一度見つめ返したいと言う思いがありました」

 大矢さんが最もショックを受けたのは、今年1月、米国の首都ワシントンDCで起きた連邦議会襲撃だった。大統領選で敗北したトランプ氏の支持者たちがワシントンに集結し、その一部が暴徒化して連邦議会になだれ込んだ事件だ。死者を含む膨大なけが人を出し、600人以上が逮捕された。この事件は大矢さんにとってジャーナリストという仕事の社会的役割を根本から考えさせるものだったという。

「あの事件は、そもそもジャーナリズムは本当に市民から必要とされているのか、と問い掛けたのだとも感じました。連邦議会を襲撃した彼らは、ウソをウソだと認識していませんでした。正しいと信じ込んでいた。見たいものだけを見て、信じたいことを信じていた。まるでインターネット検索で、自分が知りたい情報だけを選ぶように、見たくないもの、信じたくないものは、『ウソだ』と切り捨ててきたんです。ネット上では、『見たくないものは見ない』で済まされる。でも、あの事件で、ついに『見たくない現実は見なくて済むように壊せばいい』という方向に動いてしまった」

トランプ米大統領(当時)の支持者が米ワシントンの連邦議会議事堂を襲撃(202116日撮影)Photo:ロイター/アフロ

「『自分たちだけの真実』を掲げて連邦議会になだれ込んだ人たちに向かって、『それでもジャーナリズムは必要だ』と、どうしたら説得的に言えるでしょうか? とても難しいことかもしれません。『ジャーナリズムは本当に社会に必要とされているか』という自らへの問いに、なかなか答えが出せないまま、悶々としていました。バーグマンに会いに行ったのは、ジャーナリストの自分は本当に社会に必要とされる存在かどうかを確かめるためでもありました」

――で、答えは見えた?

「答えは『洞窟の比喩』にあると。バーグマンはそう教えてくれたんです」

――ギリシャ哲学者のプラトンの古典だよね?

「そうです」

 『洞窟の比喩』は連載第1回に登場する。ニューヨーク出身のバーグマンは、西海岸の都市サンディエゴの大学院に進んだ。そこで政治哲学を学びながら、友人らと『サンディエゴ・フリー・プレス』という週刊新聞を創刊する。サンディエゴには海軍の大きな基地があり、人々は保守的だった。新聞も体制批判を一切、報じなかった。

 その街の異様さに疑問を抱きながらも、バーグマンは大学院で研究に励んだ。専門は政治哲学。とくにギリシャの哲学者プラトンに影響を受けたという。プラトンの著書「国家」には「洞窟の比喩」という話が登場する。バーグマンが読んで衝撃を受けたというその物語を連載「バーグマン物語」から引用しよう。

 物語の舞台は、暗い洞窟の中だ。そこには両手両足、首を鎖で縛られた囚人たちが住んでいる。身動きひとつできず、洞窟の壁を見つめているだけだ。壁には、さまざまな動物や人間の影絵が映し出されている。囚人たちは、その影絵がどこからくるのかを知らない。鎖で縛られているため、振り返ることも周囲を見回すこともできない。囚人たちは、その影絵を本物の人や動物だと思い込んでいる。

 実は、囚人たちの背後には塀がある。塀の後ろでは松明が燃えている。松明と塀の間では人々が行き交っている。頭の上に乗せているのは、動物や人間の形をした操り人形だ。囚人たちはその影を見ているのだが、事実を知る術はない。行き交う人たちのおしゃべりを聞いても、その声は影絵の声だと信じ込んでいる。

 やがて、囚人たちの中で、ひとりの男が鎖から解放された。生まれて初めて首を自由に動かせるようになった。右へ、左へ、あたりを見回してみて、男は驚いた。自分と同じく鎖で繋がれた人たちがずらりと一列に並んでいたからだ。みんな、ただ壁を見つめている。

 男が背後をみると、そこには壁があった。壁の後ろで松明が燃え上がっている。炎と壁の間を人々が行き交っていた。その頭で動物や人のかたちの物体を運んでいた。

「もしかして、自分が今まで見ていたのはこれらだったのか…」

 だんだんと男の中で好奇心が湧いてきた。

 洞窟を見回してみると、穴が空いている。その向こうに、わずかな光が見えた。その穴を通り抜けて、男は洞窟の外へと出ていく。しかし生まれてからずっと暗闇で生きていた男には、太陽の光が眩しすぎる。視界がよく見えない。

 そこに何があるのかちゃんと見たい、知りたい。

 男の中で知的欲求が湧いてきた。

 だんだんと光に慣れてくると、動物や人々、木々、太陽、影など、世界の姿がはっきりと見えてきた。男が生まれてからずっと見ていた洞窟の中の「ウソ」に気がついた瞬間だった。

 真実を知った男は興奮し、洞窟の中へと戻って行く。洞窟の中で暮らす囚人たちに、自分が見て、知った「真実」を伝えるためだ。そして男は大声でこう叫んだ。

「今まで僕たちが見ていたのは偽物だったんだ! 洞窟の外には、まだ見たこともない本物の世界があるぞ!」

 そして洞窟の中の囚人たちの鎖は解かれた。

「目の前のものを疑う」というバーグマンの調査報道の原点は、学生時代に読んだこの物語だった。「洞窟の比喩」で描かれた世界は、単なる物語ではないと25歳のバーグマンは気がついた。バーグマンは、物語の世界と現実のサンディエゴという街を重ね合わせて見た。時代はベトナム戦争の最中。巨大な米軍基地を抱え、軍国主義と権威主義にまみれたサンディエゴという街は、「洞窟の中」そのもののように思えた。

 その異様な街で、バーグマンは誰もやったことのない取材を続けた。街の支配者とそれに連なる人脈・金脈の記事を書き、警察の腐敗も記事にした。調査報道人生のスタートである。

 調査報道ジャーナリスト・バーグマンの名は東海岸にも鳴り響き、やがて彼はテレビ局にスカウトされる。映画『インサイダー』につながる物語は、そこから始まる。

 「洞窟の比喩」の話をバーグマンから聞いた時、大矢さんは胸のつかえが取れたような気持ちになったという。連邦議会襲撃事件のあと、1年近く胸中で燻っていた「自問」にようやく答えが出た気がしたからだ。その真意を大矢さんはこう話す。

「『洞窟の比喩』は今から2000年以上前にギリシャで書かれた哲学書です。2000年と聞くと遥か昔のように感じますが、人類や地球の歴史から見ると、瞬きにも満たない短い時間です。つまり『洞窟の中にいることにすら気がつかない』という人間の本質は変わらないということです。洞窟の中の情報は限定的で、嘘かもしれないのに、それすら疑うことができない」

「だからこそ、バーグマンは、『公共の利益のためのジャーナリズム(パブリック・インタレスト・ジャーナリズム)』こそが本物のジャーナリズムだということに、『洞窟の比喩』を読んで気がついたんだと私に話してくれました。ジャーナリズムの使命とは、本当に起こっていることとは何か、それを人々が理解できるよう手助けをすることだ、と。洞窟の中に真実に届けにいく『メッセンジャー』、つまりジャーナリストの役割は不可欠です。それは2000年前から変わらないし、きっとこれからの世の中でも変わらないでしょう。医者や消防士と同じように、人々の命や生活に直接的に関わる重要な仕事なのだと、私自身が気づかされました」

撮影:大矢英代/アフロ

 ところが、胸がすく思いをした大矢さんに「待った」をかけたのもバーグマンだった。「この話には、まだ続きがある」と言うのだ。大矢さんがそれを聞かされたのは、カリフォルニア北部の森の中。一軒家で向き合いながら、バーグマンは彼女にこう語りかけた。恐ろしい、しかし、人間の変わらぬ本質を射抜くような「続き」である。

「バーグマンは私のほうに向き直って、逆に質問してきたんです。『洞窟の比喩』の続きです。『じゃあ、男の報告を聞いた人々はどんな行動をとったと思う?』と。彼はそう言いました。今度は私が宙を睨む番でした。私も黙ってしまって……。考え込んだんですよ、しばらく。男が伝えた『外の世界』の真実を聞いて人々は驚き、疑いを持ったかもしれない。自分も外の世界を見てみようと、洞窟の外に出て行ったかもしれない、とか…」

 考え込んだ大矢さんに向かって、バーグマンは答えた。言葉は短かった。

「人々は…男を殺したんだ」

 真実を伝えに来た男は、囚人たちに殺された。

 真実を知るよりも、ウソでもいいから洞窟の中の間違った世界にいたい。真実など知りたくもない。むしろ、ウソを真実だと信じている方が都合がいい。そんな声は、いま私たちが生きる世の中と同じだとも思える。

 真実を伝える者は、都合が悪い。だから消してしまえ。そんな恐ろしい発想によって、バーグマン自身が米テレビ局内で矢面に立たされ、番組の責任者の役割を外され、社内で追い詰められていった。

 それは、大矢さんにとっても、また私にとっても全く他人事ではない話だった。

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