「ニュートリノは万馬券である」 宇宙の「お宝」を追い求める旅
日本の物理学分野の最高峰・仁科記念賞を受賞した著者による「超高エネルギー宇宙ニュートリノ」の発見をめぐる物語。

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ニュートリノ40億光年の旅

南極からのメッセージ

 それはいつもの土曜日の朝だった。仕事がたまっているとき、あるいは集中力が要る仕事を抱えているとき、5時過ぎには起き出して朝食までに一仕事終えるのが最近の僕の流儀だ。湯を沸かし、コーヒーをいれながら朝食の時間までに片付けるべき仕事の手順を反芻していた。そのときだった。僕の冴えない古めかしい携帯電話が震え出したのは。

 それは南極に苦労の末に建設した観測装置アイスキューブ(IceCube)がニュートリノを捉えたという知らせだった。40億光年彼方から、40億年の歳月をかけて、南極点の氷河に突き刺さった宇宙からの使者だと判明するのはまだ先の話だ。四半世紀に及ぶ僕の物理学者生活の一つのメルクマールとなる達成であったが、そのときは、そんなことは考えもしていない。だが、携帯電話のメッセージを見た瞬間にそれまでの眠気は吹き飛ぶくらいのインパクトはあった。

 なぜか──。この信号は、僕らが探し求めていたものに近いからだった。少なくとも、南極からの検出情報を衛星回線を通して即時にアラートとして送るシステムの運用を始めて以来、最も良いと思える信号だった。IceCube(アイスキューブ)と呼ばれる巨大国際共同観測装置で、僕ら日本グループがイチ押しして開発してきた宇宙ニュートリノ探索プログラムによって同定された信号でもある。こんな信号が検出されればいいなあと念頭にあったそのものが、今、古びた携帯電話の液晶画面に表示されているのであった。

 しかし、喜ぶのはまだ早い。ニュートリノという不可思議な素粒子を検出するのは恐ろしく困難である。しかも、検出される信号の大半は地球大気で生成されるニュートリノか、あるいはニュートリノ信号に極めて似ている別物であるかのどちらかだ。宇宙からやってきたニュートリノを検出するのは難易度がさらに上がる。量が桁違いに少ないからだ。

 僕ら日本グループは、この中でも飛び抜けてエネルギーの高いニュートリノを捕まえようとしていた。そして、そのようなエネルギーを生み出す宇宙の偉大さを理解したいのだ。土曜日の朝555分に僕の携帯電話に登場した信号は、この目的のために僕らが開発した信号同定アルゴリズムの網にかかっていた。だが、偽物である可能性も十分あった。アルゴリズムが不完全で偽物を誤認定した可能性も捨てきれないし、そうでなくても地球大気で作られたニュートリノである可能性はもっとある。信号をもう少し調べなくてはならない。

 僕はいそいそとパソコンに向かい、信号情報の詳細を調べ始めた。悪くない。すべての数値は、これは偽物なんかではなく、ニュートリノであると考えてよいことを物語っていた。南極氷河に突き刺さったこの信号の形状をビジュアル化してみると、それは見事な、例えて言うなら料理番組の最後を飾る華やかな出来栄えの料理のような、見栄えのよいものだった。ここまで立派なものなら解析された数値の精度も高い。到来方向もよく決まる。宇宙ニュートリノである確率は54パーセントと出ていた。この信号はIceCube-170922A(世界時で2017922日に検出された最初の信号という意味)と名付けられた。

 ここからが勝負である。これだけなら別にどうということはない。僕らはすでに高いエネルギーの宇宙ニュートリノを発見しており、それはこの本の前半の山場になるのだが、ここで終わればこれまでの宇宙ニュートリノコレクションの中にIceCube-170922Aが加わるだけである。

 違いは、この信号は検出ホヤホヤであるという点だ。これまでは何年もかけて観測データをため、そして宇宙ニュートリノを探してきた。観測データの中に潜む宇宙ニュートリノ信号を発見したのは、その信号が南極にやってきた1年半後でした、という状況だった。今さら、そちらに望遠鏡を向けてもすでに手遅れである。

 だが、こいつは違う。たった1時間前だ。推定されたこの信号の方角にありとあらゆる観測装置を向ければ、何か稀な現象が見つかるかもしれない。その稀な現象を起こしている天体が、宇宙ニュートリノを放射した天体であると考えることは自然である。IceCube-170922Aのような高いエネルギーを持つニュートリノを放射するくらいのパワーを持つ天体ならば、ニュートリノの他にも多くの放射、例えば可視光やX線で爆発的に輝く、といった現象を伴うと予想されている。滅多にないようなこうした爆発を起こしている天体がニュートリノの方角にあれば、そこがニュートリノの故郷である可能性は高い。

 そう、まさにニュートリノ天体を発見することになる。そのために検出情報を即時にアラートとして配信するシステムを立ち上げたのだ。ニュートリノ放射に付随しているなにかスペシャルな現象が終わらないうちに、観測を開始すべきだ。早ければ早いほどよい。

ニュートリノをデビューさせるには

 宇宙を研究対象にしている物理学者なのだから、望遠鏡を使った天文観測などお手のものと思われるかもしれない。ところがそうではないのだ。例えば僕は星座のことなど何も知らない。IceCube-170922Aはオリオン座の方向から来たのだが、それを知ったのは、1週間も経ってからだった。

 ニュートリノ観測と可視光観測では、観測手法も、研究対象となるサイエンスも違う。物理学者だから、星がどうやって光っているとか、望遠鏡はどうして「望遠」できるのかという原理は理解できる。しかし、光学観測に立脚した専門的なことは分からない。使う用語ですら異なる。天文学者は「ああ、あれは10等級だから明るいよね」という。でも、僕は10等級というのが、実際にどのくらいの明るさに相当するのか知らない。一等星は肉眼でも見えるよね、くらいのことしか分からないのだ。ましてや、望遠鏡の観測データの解析などお手上げだ。

 そんなとき、人はどうするか。そう、専門家に任せる。餅は餅屋だ。ニュートリノ検出のアラートは天文観測の専門家が常時眺めているネットワークに流れている。情報は公開されているのだ。アラートを見た天文学者が、自分たちの観測所にある望遠鏡なり、あるいは天文衛星なりを、IceCube-170922Aの方角に向けてくれればいい。

 だが、実際にはそれだけでは不十分なのだ。学者世界に限らず、およそあらゆる人間社会に共通するもの、それは仲間内とそれ以外という概念である。普段望遠鏡を使って夜空を眺めている天文研究者は彼ら自身の研究テーマを持って観測を行っている。彼らの大半にとって、ニュートリノなぞ考えたこともなかったはずだ。

 そんなところに自分たちと普段つきあいのない研究グループから、宇宙ニュートリノ信号を検出したというアラートを受け取って、彼らの貴重な観測時間を割いてまで追尾観測をしてくれるはずもない。僕らは「どこの馬の骨とも分からない」外部からの闖入者なのだ。少なくとも「一応、それなりの馬なんだ」くらいは認識してもらえなくては、到底観測など行われないだろう。

 そうした天文研究者の名誉のためにも補足しておくと、普段自分たちが慣れ親しんでいる可視光なり電波なり、すなわち電磁波を手段に行う観測だけなく、ニュートリノという素粒子を使う観測の意義を理解している開明的な研究者はいる。南極にあるIceCube観測装置はそれなりに有名であるし、第5章で述べる、高エネルギー宇宙ニュートリノの発見は大きなニュースでもあった。ニュートリノ天文学の持つ新しい可能性を理解している研究者は一定数存在していた。

 僕らがすべきことは、そうした理解を多くの天文コミュニティーに広げることである。そうすれば、世界中の、より多くの観測施設が、(自分たちの本来予定していた観測時間を削ってでも)ニュートリノ信号の方角を観測してみようとしてくれるはずだ。

 これは重要なことである。例えば、可視光観測は夜間でしかも天気が良くないと観測できない。異なる場所にある望遠鏡が追尾観測に参加してくれれば、この限界を多少なりとも緩和してくれる。また大型の望遠鏡や、X線で宇宙を探査している観測衛星などは、これこれこういうニュートリノ検出アラートが来たら、すぐさま観測します、という観測提案を事前に書き、審査に通す必要があるのだ。競争率は高く、観測提案が承認されるためには多くの関連研究者の支持が要るのだ。

巨大な一歩

 というわけで、僕らは宇宙ニュートリノが発見されて以降、望遠鏡や衛星を使った天文研究者の会合に顔を出し、高エネルギーニュートリノ天文学という新興の研究分野の意義を話し、協力を訴えていった。IceCubeのアメリカのメンバーはアメリカの天文学者に、ヨーロッパのメンバーはヨーロッパの天文学者に、そして日本のメンバーは日本の天文研究者に。

 ときには自分たちでも研究会を主催し、興味を持ってくれた天文学者を招待してお互いの観測について勉強を重ねた。僕にも「まあ、ちゃんとした馬ではあるよね」くらいには思ってくれた天文研究者たちとのネットワークができていた。そうして築いた人脈がものをいうときが、ついに来たのだった。

 IceCube-170922Aが信頼のおける宇宙ニュートリノ信号候補であることを確認した僕は、すぐさま知り合いの天文学者たちに連絡をとった。この信号の「筋の良さ」を説明し、あなたがたの望遠鏡で追観測をする価値はあることを力説した。広島大学が運営する「かなた望遠鏡」と東京大学が持つ木曾観測所の望遠鏡が、夜になるのを待ってその日のうちに観測すると言ってくれた。またすぐにではないが、日本の誇る8メートル級望遠鏡すばるもハワイから観測することになった。IceCube-170922Aの放射源を特定する最初のとっかかりは、実はこれら日本の天文学者たちの観測によるのだ。

 詳細は第7章に譲るとして、これらの追観測から、IceCube-170922Aはブレーザー銀河と呼ばれる特殊な、しかも高いエネルギーのγ線を放射する銀河から飛来したことが突き止められた。ついに、高エネルギーニュートリノを生み出す天体の一つが同定されたのだ。

 宇宙線と呼ばれる宇宙からの最もエネルギーの高い放射の起源天体候補を突き止めた、巨大な一歩である。

 またこの成果は、ニュートリノ観測を発端として、電波、可視光、X線、そして γ線観測といった様々な手段を組み合わせて達成されたものだ。これをマルチメッセンジャー観測(天文学)と呼ぶ。宇宙からの使者(メッセンジャー)として、ニュートリノから光まで(電波、可視光、X線、γ線は、波長の異なる「光」である)複数のものを用いて宇宙を探る天文研究であるからだ。観測手段だけではなく、異なる研究者コミュニティーを横断して実現した成果であるとも言える。

宇宙は巨大でエネルギッシュな存在

 高エネルギーニュートリノを使って僕らは宇宙の何を理解しようとしているのかが次章のテーマである。ここでは、この発見のインパクトを簡単に述べるにとどめたい。

 IceCube-170922Aは、40億光年彼方の宇宙で起きているとんでもなく破壊的な現象を初めて捉えたと言ってよいだろう。これを実感してもらうために、ちょっとした比較をしてみよう。

 これまでニュートリノを放射する天体として観測されたのは、太陽、そして超新星1987A(この業績により小柴昌俊先生はノーベル賞の栄誉に輝いた)2例のみである。ニュートリノは光の速さで飛行する。太陽は地球からニュートリノで約8分かかる距離にあり、超新星1987Aは約17万年かかる距離にあった。一方でIceCube-170922Aの故郷であるブレーザー銀河は、40億年もかかる距離にあった。

 ニュートリノのエネルギーはどうか。太陽で作られているニュートリノのエネルギーは可視光の約100万倍である。超新星からのニュートリノのエネルギーもほぼ同程度だ。それに対しIceCube-170922Aのエネルギーは、可視光の100兆倍にも達する。

 天体自体のパワーはどうだろう。太陽は1平方メートルあたり1000ワットのエネルギーを放出している。パネルヒーター程度だ。超新星1987Aが、もし太陽の距離にあったなら、可視光での放出エネルギー流量は10兆ワットである。巨大なエネルギーだ。しかしIceCube-170922Aを放射したブレーザー銀河は、なんと10京ワット、太陽の100兆倍、超新星と比べても1万倍も多いのだ。想像すら困難なパワーである。

 すなわち、40億年前に太陽の100兆倍のパワーを放出した銀河から生まれた、可視光の100兆倍のエネルギーを持つニュートリノ信号が、40億年の歳月をかけて宇宙を飛行し、日本時間2017923日朝に南極点直下の氷河に突き刺さったわけだ。ニュートリノを生成する機構(第2章で述べる)を理解したうえで、この事実に思いをはせると、宇宙とはなんと巨大でエネルギッシュな存在なのかという感慨に打たれるのである。そして、このとてつもないパワーを生み出した宇宙「エンジン」の現場を見たのかもしれないという興奮が今も余韻として残っている。

第2章 宇宙はとてつもないエンジンを持っている(1)

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