年金、医療、介護、少子高齢化の未来はどうなるのか
コロナ禍で日本の医療・社会保障はどうなるか。根拠なき悲観論を排し、民主主義のため社会保障とは何かを考える。

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社会保障の基礎

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社会保障に何ができるのか

1社会保障の基本的機能

社会保障は「弱者救済の制度」だけではない

 社会保障を「弱者救済の制度」と理解している人がことのほか多いようです。

 縁あって、今年(2020年)4月から上智大学で教鞭をとっているのですが、学部学生向けの「社会保障論」の講義の冒頭で、「社会保障の機能・役割は何だと思うか」と学生に聞いてみました。すると大半の学生は「社会的弱者を助けること」とか「憲法25条に規定されている国民の最低生活を保障すること」と答えてきました。

 もちろんこれはこれで間違ってはいませんが、弱者救済=救貧は社会保障の機能・役割の一部に過ぎません。救貧は飢饉や大災害の際のまつりごと=施しとして、世界中どの時代のどの統治者も行ってきたことです。

 誤解を恐れずにあえて言いますが、社会保障は社会的弱者や低所得者など「特定の人たち」のための制度、いわゆる「福祉」ではありません。社会保障は「すべての人」のための制度です。

 社会保障制度は、産業資本主義の誕生後、近現代社会で形作られた制度です。近現代社会の特徴は、個人の自由と自立を基本とする市民社会、市民一人一人の自由な活動・自己実現が社会の発展を支える社会ということです。

 前著(『教養としての社会保障』東洋経済新報社、2017年)でも申し上げましたが、社会保障の最も大事な機能は、市民が直面する様々な生活上のリスクを社会連帯の仕組みを通じて軽減することで市民が貧困や生活困窮に陥ることを防ぎ(=防貧)、社会の安定を図る(=民生の安定)とともに、市民一人一人が思い切って自分の可能性に挑戦できるようにすること、すなわち「市民の自己実現への営為」を支えることにあります。

 このことは、社会保障のもう一つの重要な機能である「社会の持続的な発展に寄与する」ことに繫がります。

 社会経済の発展の源泉は構成員一人ひとりの「活力」です。その総和(Σ)が社会の活力であり、社会が発展していく原動力になります。社会が生み出す富=付加価値の分配が歪めば、富は一部の人に集中していき、社会はより豊かになっていくひと握りの人たちといつまでも貧困に喘ぐ人たちに二極化し、社会を支える真ん中の層がいなくなります。所詮、この世の中は不公平だ、不公正だ、フェアじゃない、と多くの人が感じている社会、一人ひとりの努力が正当に報われると思えない社会、貧富の差が固定し拡大していく社会に人々は正当性を感じることができなくなり、社会への信任は失われます。誰も真面目に働かない、バカバカしい、何をやっても報われない、となったら誰も努力しなくなって社会は停滞し、法律やルールも守られなくなって治安も悪化します。

 「支える人のいない社会」は停滞し、不安定化していきます。

 社会保障は、「防貧」の機能によって社会の中核を担う中間層の崩壊を防ぎ、所得再分配を通じて経済成長の果実を広く国民に分配することで国民の生活の安心を支え、彼らの安定的な消費によってさらなる経済成長を実現します。実際、第二次大戦後の欧州諸国の経済発展は社会保障の充実と軌を一にしていましたし、日本の高度成長もまた同じような形で実現されました。

 近現代国家の社会保障の理念は、社会保障は市民社会の構成員である個人の自由と自立、自己実現を支援するという哲学に支えられています。その根底には、社会の活力は構成員の活力の総和であり、社会経済発展の源泉は構成員の活力なのだという考えがあります。

 ミクロでは構成員(個人)の自助の共同化によって自己実現を支援し、マクロでは社会全体のリスク回避費用を最適化して民生を安定化させることにより、経済社会の持続的な発展を支える。それこそが社会保障なのです。

社会保障の機能不全は何をもたらすか

 社会保障は近現代国家にとって必要不可欠な機能の一つです。社会保障制度を持たない先進国は一つもありません。

 社会保障が機能不全を起こし保障のネットワークが破綻してしまうとどうなるでしょうか。個人は裸で生活上のリスクに晒されることになります。防貧が機能しなければ、人々の生活は簡単に破壊されます。再分配が適切に機能しなければ格差は拡大し、貧困が再生産されます。市民社会の中心的担い手である中間層は崩壊し、社会が二極に分裂・分断され、求心力を失って不安定化します。中間層の崩壊・貧困化は自立する市民の減少を意味しますから、社会保障の負荷が大きくなって機能不全がさらに進み、そのことがさらなる社会の不安と混乱をもたらすという悪循環に陥ります。社会不安の増大と中間層の崩壊は人々の消費を減少させ、市場を縮小させ、企業の投資の過小を招き、経済成長を阻害します。

 今の日本社会が直面している現実は、このことと無関係ではありません。

 前著で詳しくお話ししたように、日本の社会保障制度の基本骨格は1960年代に形作られました。1961年に施行された国民皆保険・皆年金制度は世界に誇ることのできる制度です。日本の社会保障制度は戦後の高度成長を支え、高度成長は社会保障の発展を支えてきました。

 当時の日本は、毎年100万人以上人口が増加する人口ボーナス期にありました。「全部雇用」と言われるほど失業率も低く、しかも終身雇用で安定していました。都市部では核家族化も進んでいましたが、なお地域社会では三世代同居が一般的で、家族や地域の相互扶助の仕組みも機能していました。

 しかし、1970年代後半以降、日本社会は大きく変容していくことになります。まず、2度のオイルショックを経て高度成長が終焉します。都市圏を中心に核家族化が進み、さらには非婚化・晩婚化や離婚の増大などで家族形態が多様化し、かつ規模が小さくなっていきます。1980年代に入ると出生率の低下が顕著となり、日本は少子高齢化への道を進み始めます。さらに1990年代には日本独特の雇用習慣である終身雇用にも綻びが見え始め、リストラ・非正規労働者の増大、そして「派遣」というこれまでになかった雇用形態で働く人も登場しました。

 他方で平均寿命は伸び続け、人口構成も大きく変化しました。1970年に7%に過ぎなかった65歳以上の高齢者が総人口に占める割合は1994年に14を超え、2020年には約287%にまで膨らみました。

 21世紀に入り、世界経済はグローバル化し、日本経済を取り巻く環境も大きく変化していきます。規制改革──新自由主義は世界の潮流となり、日本でも様々な改革が行われました。

 大きな改革には必ず副作用があります。現代の日本社会が抱える最も深刻な問題は、格差の拡大です。

 2以降で詳しくお話ししますが、格差の拡大は日本だけではなく世界全体の問題です。しかしながら、皆保険・皆年金が広く国民に支持されることからも分かるように、日本人は「平等」「公平」ということに大きな価値観を置いてきました。長らく日本は「格差の少ない社会」だと信じられてきましたし、実際にそうでした。高度経済成長の時代でも、歴代政権は豊かさの分配に意を払い、都会でも地方でも、サラリーマンでも自営業者でも、皆がそれなりに豊かさを実感できる社会をつくってきました。

 しかし、それも今は昔です。

 今の日本のジニ係数(所得分配の公平性を示す指標。数値が小さいほど所得分配が公平であることを意味します)はOECD加盟国平均を上回り、かつてG7(主要先進7カ国)中最低だった相対的貧困率(所得分布の分散の大きさを表す指標。数値が大きいほど分散が大きい、つまり格差が大きいことを意味します)は、所得再分配前で上から4番目、所得再分配後ではアメリカに次いで2番目に大きい国になってしまいました(図表11、図表12)。

 このことは、日本社会が全体として格差拡大の方向に動いている、ということと同時に、日本の社会保障制度や税制がその拡大を十分是正できていない、ということを示しています。

 少子高齢化、経済の停滞、財政の悪化、格差の拡大、生活不安の増大……社会保障が直面する課題は、日本の社会経済が直面する課題と表裏一体の関係にあります。したがって、社会保障の課題だけではなく、社会システム・経済システム・社会保障システムを一体的に考える視点、すなわち、「日本の経済社会全体の課題を解決する」という視点なくしては、社会保障の課題を解決する道筋は見えてきません。

 つまり、社会保障改革とは、経済改革であり社会改革でもあります。つまりは政治そのもの、ということなのです。

次世代の若者に期待すること

 前著でもお話ししましたが、社会保障の世界はマクロとミクロの風景の差が非常に大きい世界です。社会保障の全体像とか、社会保障とマクロ経済、社会保障と国家財政、といった話は直接自分の生活に関わってきませんし、病気になって医者にかかったり自分が実際に年金をもらう場面でその知識が役立つ、というものでもありません。役に立つのは「名医のいる病院100」とか「年金の上手なもらい方」とかいったハウツー本の方だったりするのが現実です。

 人は結局、自分に直接関わりのあるミクロの場面からしか物事を考えない。

 「合理的無知」の話を思い出してください。人は自分に直接関わらないと思ったことには、脳のリソースを使わない。周りの人の言っていること、みんながそう言っていることをそのまま無批判に受け入れ、自分で考えることを放棄してしまいます。

 例えば公的年金制度。少子高齢化が進んで高齢者が増えるから年金財政は大変になる、年金は潰れる、将来もらえなくなる、年金制度は根本的に作り直さなければダメ……。少し前までそういうことを喧伝する経済学者はたくさんいました。政治家にもいっぱいいて、国民の不安を煽り、年金を政争の具にして政権を倒そうとしました──そして実際政権交代が起きました。

 しかし政権をとった当時の野党(民主党)は、3年間の与党の間に、公約に掲げた「新しい年金制度」を設計することも提案することもできませんでした。それどころか、「現行年金制度は破綻しない。破綻すると言ったのは言い過ぎだった」と総理大臣や副総理が国会で答弁する羽目になりました。

 でも、散々マスコミや政治家が「年金は潰れる」と言い続けましたから、今でもそう思っている人は少なくありません。皆さんの中にもきっとおられるかもしれません。

 でもちょっと考えてください。今までに一度でも、年金の支払いが遅延したことがあったでしょうか。日本年金機構は、2カ月に一度、4000万人以上の年金受給者の口座に確実に年金を支払い続けています。COVID-19で日本中が大騒ぎになっている中でも、年金は淡々と、間違いなく支払われ続けています。

 年金は潰れませんし、日本が破綻しない限り破綻することもありません、このお話は2で詳しくいたします。

 もちろん、日本の社会保障制度は色々な課題を抱えています。改革しないといけないこと、国民にとって厳しい選択を求めることもたくさんあります。しかし、物事を表面的な事象や個別の出来事から判断したり、結論先にありきのような主観的な議論、観念的な主義主張を声高に展開しても、問題の解決にはつながりません。

 大事なことは、やはり社会経済全体の大きな枠組みと相互連関の中で考えるということ、先ほどの話で言えば、マクロの風景に思いを致す、ということではないでしょうか。

 ネット社会は人々のつながりを大きく広げました。今や誰でもが世界に向かって自分の考えを発信し、世界とつながることができます。他方でネット空間は一種の無法地帯、匿名性に隠れて、フェイクニュースやヘイトスピーチ、誹謗中傷が氾濫している世界でもあります。

 若い世代の方々は、生まれたときからインターネットがあり、スマホが標準装備でSNSの世界でコミュニケートするのが当たり前の世代です。議論の場──フォーラム・アゴラ──はどこにでも、いくらでも作ることができるはずです。

 現代社会は、残念ながら不寛容と反知性的風潮に溢れています。こういう時こそ、ミクロの世界に閉じこもるのではなく、社会経済全体の大きな構造変化を理知的・合理的・客観的に理解すること、異なった意見をぶつけ合い、真摯に議論して、様々なつながり──相互連関の中にある「共通の議論の枠組み」を見つけ出し、議論を活性化させることが大事です。

 社会保障は、今の世代の問題であると同時に、未来の世代の問題でもあります。子どもたちへの支援は未来への投資であり、高齢者は未来の自分たちの姿です。

 若い世代の方々こそ、皆さん自身の問題として社会保障や経済や政治の問題を考えてほしいと願います。

第1章 社会保障に何ができるのか(2)

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