二〇〇七年の阿久悠の死は、様々なメディアで「昭和の歌謡曲の死」として語られました。「昭和の歌謡曲、逝く」(中洲通信二〇〇七年一〇月号)や、「阿久悠死去で『昭和』が終わる 歌謡曲があった時代」(AERA二〇〇七年八月二〇日号)、渚ようこによる「弔詞」の見出し「誰もが愛した昭和歌謡の生みの親」(『dankaiパンチ』二〇〇七年一〇月号)など、「昭和」と「歌謡曲」と「阿久悠」を特権的に結びつける語法が頻出しています。まるで阿久悠こそが「昭和の歌謡曲」を代表し、その死をもって「昭和の歌謡曲」も死に絶えたかのような書きぶりです。
一九七〇年代のレコード歌謡における阿久悠の圧倒的な存在感は否定すべくもあ…
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