昭和三〇年代後半(一九六〇年代)以降、ここまで検討した「流し」イメージを前面に出す歌手の登場とも密接に関わりながら、「流し歌」としての「艶歌」が一種の流行となります。夜の巷で歌われていた作者不詳の歌謡が、一種の新曲としてレコード会社の垣根を越えた競作の形でレコード化され、大きなヒットとなってゆくのです。
そのなかで「艶歌」ないし「演歌」の語が、これまでの「演(艶)歌調」や「演(艶)歌師」という用法を超えて、一種のジャンルとして浮上してきたと考えられます。
本章で扱う六〇年代の「演(艶)歌」の特徴として、「作者不詳」と「競作」という二つのファクターを重視しますが、それはこの二つが専属制度からの…
この作品では本文テキストのコピー機能を制限しています