ナイジェリア貧困地域の子どもたちを世界一のサッカー選手にする――ある日本人の「無謀な挑戦」
故郷の若者に希望とチャンスを与えたい在日ナイジェリア人のエバエロ。カンボジアでプロサッカーチームを運営していた加藤明拓。「資金を出すから一緒にやらないか」。サッカー大国ナイジェリアの子どもたちを育て、世界ナンバーワンのチームを作って、海外のトップリーグで活躍する選手を輩出しよう――。目標が一致した2人は2016年5月、無謀とも思える挑戦に乗りだした。

2019830日、大阪千鳥橋にて

 ママチャリと買い物客がせわしなく行き交う、商店街のど真ん中で、私はナイジェリア人の小学生17人に囲まれ、途方に暮れていた。「ゴートゥー、パブリックバス!」と、彼らは私に向かって、しきりに訴えかけてくる。銭湯に連れて行けというのだ。

 この小学生たちは、大阪で開かれる12歳以下(U-12)の国際サッカー大会に出場するため、はるばるナイジェリアからやって来た「ナイジェリア選抜」面々である。そして、わたしは彼らの奮闘をドキュメンタリーにしようと、動画カメラを構えて起床から就寝時間までぴったりと帯同していた。

 大会初日の試合を終え、宿舎の民泊に戻ってきたところで“事件”は勃発した。

 17人の選手に対し、共用シャワーの水栓が1つしかなかったため、監督とスタッフがシャワーを浴び終わったところで、待ちきれなくなった選手が騒ぎ出したのだ。そんなハプニングの様子を収録しようと、カメラを向けていると、チームを率いるムリタラ監督(通称「コーチムリ」)が私のほうに駆け寄ってきた。

「ミスターキシダ。来日直後に泊まったホテルにあった、大きなお風呂に入る方法はありませんか?」

 千葉県のホテルにあった大浴場のことだな、と理解した。本来であれば、この場に居るはずの在日ナイジェリア人でチーム・オーナーのエバエロさん(40)や加藤明拓さん(39)に一団を引き継げば、臨場感溢れるナイジェリア選手たちの日本滞在記が撮影できたはず……。でも、2人はあいにく、買い出しや大会の手続きのため、宿舎に戻っていなかった。選手や監督にとっては、顔見知りで日本語を話せる私が“銭湯への案内人”として唯一の適任者だったのだろう。

「自分が選手を銭湯に引率するとしたら、その様子は誰が撮ればいいんだっけ?」。そうと考えていると、早くシャワーを浴びたくてたまらない選手たちが「ゴートゥー、パブリックバス!」とさらに声を上げはじめた。

 宿舎のエントランスから押し出されるように、商店街へ出た。銭湯の場所をスマホで検索する。それが冒頭のシーンである。

 ドキュメンタリー取材では、取材者がいかに相手の懐に潜り込むかが重要とされている。取材対象者の信頼を勝ち得て、取材以外の頼みごとをされるのは、ドキュメンタリー監督にとっては光栄なことかもしれない。何だかよくわからない展開だが、とりあえず選手を銭湯に連れて行ってやろう。カメラは回せる範囲で回せばいいや……。そう開き直り、商店街を歩き始めた。

「パブリックバス!」

 銭湯に向かう道中、選手たちは終始上機嫌だった。昼間の試合で対戦した相手チームの選手が、得点後にバイクのエンジンを噴かすようなパフォーマンスをしていたのを真似て、DFのレイモンド選手が両腕を前に突き出し「ヴォン、ヴォン!」と歌いはじめる。みんなもそれにつられて、歌い始めた。

 昭和の面影を残すアーケード商店街を「ヴォン、ヴォン!」という賑やかな一団が闊歩していく。往来する買い物客たちが、突然現れたナイジェリア人小学生の姿に驚きの目を向けてくるが、彼らの陽気な振る舞いを見るうちに、みんな笑顔に変わっていく。

大阪市此花区にある「四貫島商店街」を歩く、U-12ナイジェリア選抜の選手たち

 3分ほど歩くと「梅香温泉」という地元の銭湯の看板が視界に入った。

「ほら、あそこだよ」

 私が銭湯の入り口を指さすと、先頭にいた2人の選手が「オォー!!」と歓声を上げながら勢いよく走り出した。残された10数人の選手たちも、肩に掛けたタオルをなびかせながら、一目散に銭湯の入り口へと向かっていく。

 慌てて、彼らを追いかけて、一足遅れで銭湯ののれんをくぐると、番台の周辺に殺到して歓声を上げる選手たちと、引きつった表情の番台のおっちゃんの姿が同時に見えた。

 番台のおっちゃんは必死に「あかん、あかん。ストップ、ストップ。先にお金払ろてもらわな。マネー、マネー」と声をはり上げている。選手たちは、おっちゃんの慌てぶりなど全く意に介さない。タオルを握りしめた拳をガッツポーズのように高らかに挙げ、「サンキュー!」「パブリックバス!」など、めいめいに声を上げながら、脱衣場へと突き進んでいく。

 困り果てたおっちゃんが、後からやって来た私を見つけた。

「あんた、この子らの引率者か?ちょっと、何とかしてんか」

「あー、僕が引率者です。ごめんなさい。驚かしてしまったみたいで……」と詫びながら、人数分のお金を精算した。おっちゃんがようやくホッとした表情で「急に、びっくりしたがな。ほかのお客さんも来るから、ちゃんと行儀も教えたってや。引率の先生、頼んまっせ」と念押しされた。

ナイジェリアの子どもたちと筆者(右端)

 ナイジェリアの子どもたちの取材を始めて3年半。最初は選手たちとの距離を一歩でも詰めようと、試行錯誤を繰り返していたが、今日に至っては、選手の方から声をかけられ引率の先生に任命されてしまったようだ。

 入浴を終え、脱衣場に戻って帰り支度をはじめると、選手数人が身体を寄せ合って何かの取り合いを始めた。様子を見に行くと、彼らが手にしていたのは10円玉を入れて動かすヘアドライヤー。先客が少ししか使わなかったのか、まだ温風が出るようで、われ先に髪を乾かそうと、キャプテンのエジケとFWジャマルらが奪い合っていたのだ。

 基本的に短髪で髪質が天然パーマのナイジェリア人。選手たちは、ほぼ全員が坊主頭に近い。彼らこそ、ドライヤーなど使わなくて良いはずなのだ。実際、ドライヤーやヘアブラシは、テレビや映画で見たことはあっても普段は決して使わないはず。しかし、現物を目の当たりにして好奇心が爆発したようだ。いかにも、小学生らしい盛り上がり方に、人種の壁を越えた“男子感”を感じた瞬間だった。

ブラシで髪を整える、「リトル・メッシ」ことFWのエニオラ選手

この日の案内ぶりが評価されたのか、翌日から選手たちはコーチムリ監督を通さず、直接私の元にやって来て「そろそろ、銭湯に行こう!」と、せがむようになったのだ。

アフリカ随一のサッカー大国

 2016年の春、アフリカのナイジェリアの貧困地域に、在日ナイジェリア人と日本人がオーナーを務めるサッカークラブが誕生した。新型コロナウイルスによるパンデミックに世界中がさらされる、4年ほど前のことだ。

 人口19千万人を誇るナイジェリアのサッカー熱は高く、推定1500万〜2000万人の競技人口がいるとされる。「スーパーイーグルス」の呼び名で知られるナイジェリア代表チームは1996年のオリンピックや1998年ワールドカップ(W杯)で華々しい成果を上げた。カヌやオコチャら代表選手は欧州のトップリーグで活躍し、日本のサッカーファンにもよく知られている。もともとナイジェリア人の身体能力が高い。各世代の選手層も厚く、当時はアフリカ随一のサッカー大国と目されていた。

 しかし、全てが順調とはいかなかった。ナイジェリアはその後、国内経済の悪化と政治汚職の横行などに伴い、サッカー界も金銭スキャンダルにまみれ、代表チームの活躍も失速した。治安の悪化や外国人には理解しがたい賄賂文化も障壁となり、外国資本のサッカークラブや外国人指導者の参入を遠ざけてしまった。そうした結果、選手にとって必用なインフラや指導者が慢性的に不足し、ナイジェリア人選手らは国際舞台に通じるチャンスを次第に失っていく。

 その状況に目を付けのが、在日ナイジェリア人のエバエロさんとビジネスマン・加藤明拓さんの2人だ。

 東海大学でスポーツマネジメントを学んでいたエバエロさんは、故郷の若者に希望とチャンスを与えたいと考え、生まれ育ったゲットー(貧困地域)にサッカークラブ「イガンムFC」を設立した。このチームから世界のトップリーグで活躍する選手を送り出したいと考えたエバエロさんは、カンボジアでプロサッカーチームを運営していた加藤明拓さんに業務提携を持ちかける。

 加藤さんは千葉県の八千代高校サッカー部の出身。インターハイ優勝を経験し優秀選手にも選出されている。大学卒業後は大手コンサルティング会社に入社し、スポーツコンサルティング事業部の立ち上げに従事した。その後、33歳で独立し、カンボジア1部リーグ「アンコールタイガーFC」のオーナーに就任していた。

 ナイジェリア人のポテンシャルの高さと、外国人の参入が少ない状況を知った加藤さんは「資金を出すから一緒にやらないか」と、イガンムFCの共同経営を逆に提案する。世界ナンバーワンのチームを作って、海外のトップリーグで活躍する選手を輩出しよう――。目標が一致した2人は20165月、無謀とも思える挑戦に乗りだした。

 この連載はそんな挑戦者たちとナイジェリアの子どもたちが織りなす物語である。

写真=岸田浩和

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