国際情勢が生活に直結する、そんなことを私は感じたことがなかった。しかし太地はそういう場所だ。しかも、この200年近くを通じて。
始まりは、1819年のジャパングラウンドの発見報告だ。日本の沿岸にはマッコウクジラがゴロゴロいるぞ、と商船経由で捕鯨船に伝わった。これはアメリカ人どうしのやり取りで、日本人にはまったくあずかり知らぬところだった。その後1940~50年代を中心に多くの捕鯨船が日本近海で操業していった。
1853年のペリー来航は、一般には通商要求とされているが、何のことはない、アメリカの捕鯨船への食糧、水、薪の供給(もちろん売るのだが)が主な目的だったのだ。この事実は捕鯨関係者では、周…
この作品では本文テキストのコピー機能を制限しています