賭博、シャブ、恐喝。自壊する巨人の「失敗学」
野球賭博、清原シャブ逮捕、原監督1億円恐喝事件……週刊文春スクープ記者、執念の一撃!江川事件、KK(桑田清原)ドラフト事件、桑田の登板漏洩事件などの歴史を辿りつつ、最新のスクープも満載。巨人ファンもアンチ巨人も必読の一冊。

1章 野球賭博事件 底知れぬ闇と巨人軍の誤算

「野球賭博常習者A」の正体

「今日、待ち合わせをしているんですけど、事務所はどちらでしょうか?」

 二〇一五年九月三十日午前、読売ジャイアンツ球場(神奈川県川崎市)にグレーのスーツ姿の男が現れ、警備員にこう話しかけた。

 用件を尋ねる警備員に、男は「詳しい内容は言えませんが、福田聡志選手とトラブルになっていて、球団の方と弁護士同席でお会いすることになっているんです」と説明した。

 しばらくすると男の携帯電話に、読売巨人軍法務部の職員と名乗る男性から連絡が入った。警備員には携帯番号を伝えていなかったため、男は突然の電話に驚いた。法務部の職員は恐縮した様子で男にこう告げた。

「今、大手町にいるので、これから三十分くらいでそちらに伺います。ちょっとお待ち頂けませんか」

 時刻は午前十一時半を回っていた。

 男は前日の深夜にレンタカーで名古屋を出発。高速を飛ばし、早朝に川崎に到着した後、近くのホテルで休んでから球場を訪れていた。「練習時間が終わる午前中のうちに来て欲しい」という先方の要望に合わせた形だった。

 球場近くのコンビニで時間を潰していると、法務部の職員から到着を告げる電話が入り、男は車で再び球場へと向かった。車を運転していたのは名古屋から同行してきたジャージ姿の若い男性だったが、彼には車で待機しておくよう言い付けて、男は一人、球場内の事務所へ入って行った──。

 のちに球界を揺るがすことになる野球賭博事件の幕開けは、拍子抜けするほど静かに始まった。

 別室で男に対峙したのは読売巨人軍の法務部長(当時)である森田清司ら二名。男は勤務先の税理士法人の名刺を差し出した。

 男の名前は松永成夫。のちに「野球賭博常習者A」として巨人軍が発表した人物だ。

 松永は愛知県出身の四十代で、国立大学を卒業後、一部上場の大手不動産会社に勤務。約四年前に会社を辞めてからは、税理士を目指し、愛知県内の大学院に通いながら、実務を学ぶために税理士法人で働いていた。

 松永は来訪の目的を切り出した。

「福田君に現金で貸したお金を返してもらいたい」

 巨人軍側はすでに福田から簡単な聴き取りを行なっており、ある程度の事情は把握しているようだった。

「立浪(和義)さんのマネージャーですよね?」

「マネージャーではないけど、知り合いです」

 松永は、福田とは同じ巨人軍の笠原将生投手を介して知り合ったと説明した。巨人軍側は福田から松永の携帯電話の番号なども聞いていたようだ。なぜここで巨人軍側から元中日ドラゴンズの立浪の名前が出たのかについては〝ある事情〟が絡んでいるのだが、それは後述する。

 松永と笠原は約二年前、笠原の中学・高校時代の野球部の一年先輩である大石健太郎の紹介で知り合っている。大石は東京の私大を卒業後、松永と同じ大学院に通っており、松永にとっては年の離れた同級生でもあった。じつは松永に同行して川崎までやってきたジャージ姿の若い男性とは、大石だった。だが、この日の話し合いでは大石についての話は出なかった。

 両者の話し合いは時間にして約二十分。決して険悪なムードではなかった。松永は福田との個人的な金銭の貸借についての説明だけに止め、〝野球賭博〟の話題は一切出さなかった。

 巨人軍側も「こちらの方で確認して、折り返し電話をさせて頂きます。福田は以前も金銭トラブルがありまして。申し訳ないです」と恐縮しつつ答えた。

 金額にして百九十五万円。それが返済されれば、簡単に解決するトラブルのはずだった。

疑惑の二選手

 それから五日後、事態は急展開する。

 巨人軍の久保博球団社長は十月五日に記者会見を開き、福田が野球賭博に関与していたことを発表。福田は二〇一五年シーズンには一軍での登板はなかったものの、賭けの対象には巨人軍戦も含まれていたことから、野球協約一七七条一項六号ないし一八〇条一項二号違反の疑いで日本野球機構(NPB)に告発したのである。さらに福田を野球賭博に誘った税理士法人勤務の男性(注・松永のこと)を紹介したのは笠原であると公表。野球協約に抵触するとして、疑惑の二選手に謹慎処分を命じたのだ。

 一九六九年に球界を揺るがした「黒い霧事件」では、暴力団関係者の依頼を受けて八百長行為を行なったとして六人の選手が永久追放処分を受けた。今回の疑惑発覚で、再び同じ悪夢が繰り返されるのではないかと球界は騒然となった。

 福田は一九八三年、大阪・岸和田市出身。和歌山県立伊都高校時代は、甲子園出場はなし。東北福祉大学に進学後、リリーフとして頭角をあらわし、〇五年のドラフト希望枠で巨人軍に入団した。高校時代の野球部長は、当時の印象をこう振り返った。

「家から学校までの約二十キロを、足腰を鍛えるために自転車で通っていました。首を大きく振ってクイック気味に投げる彼独特の投球フォームは、野球部の監督と試行錯誤しながら投球練習するなかで作って行ったものです。巨人軍入団が決まった時、涙声で電話を掛けて来た時のことを思うと、今回のことは信じられなくて辛いです」

 地元の期待を一身に背負った逸材は、約十年のプロ野球生活でギャンブルの深みに嵌り、ついには野球賭博にまで手を出していた。松永が借金取立てのため球場を訪れた九月には、〇七年に結婚した妻との間に三人目の子供が生まれたばかりだった。

 一方の笠原は一九九一年生まれで、福岡市で育った。福岡工業大学附属城東高校に進み、甲子園出場こそなかったものの、恵まれた体軀を生かした速球が評価され、〇八年のドラフト五位で巨人軍に入団している。父親も元プロ野球選手で、弟もソフトバンクに所属する現役投手という野球一家である。

 高校時代の杉山繁俊元監督によれば、「お父さんはロッテのピッチャーでしたが、プロでは一勝も出来なかったので、『お父さんの後を追ってプロ野球選手になりたい。一勝してお父さんにプレゼントしたい』と話していた。野球一途の非常にいい子だった」という。二〇一二年には父親が成し遂げられなかったプロでの初勝利をあげたが、巨人軍という人気球団での七年間は、彼のバランス感覚を少なからず麻痺させていったようだ。

 巨人軍にとって、疑惑発覚はまさに最悪のタイミングだった。目前には十月十日から始まるクライマックスシリーズを控えていた。このような大事な時期に所属選手の処分を発表した〝勇気ある決断〟は、逆に憶測を呼ぶことになった。今後さらに疑惑が拡大するのではないかと、報道も一気に過熱していった。

 そして松永の素性を巡っても、背後に暴力団が絡む大掛かりな野球賭博組織の存在があるのではないかと、連日報じられることになったのである。

 松永とはいったい何者なのか?

 私は、まず松永の素性を知るとみられる立浪への接触を図った。

 立浪については、一部メディアで匿名ながら、〝黒い噂〟がある〝大物OB〟などと書き立てられていた。直撃取材を試みると、本人はうんざりした様子で次のように語ったのだ。

「松永とは彼が大手不動産会社の名古屋支店長だった時に講演を頼まれたのが出会ったきっかけです。今から十数年前のことで、そこから年に三、四回食事をする関係です。松永の会社を辞めた後輩を紹介してもらい、五年ほど運転手をしてもらいましたが、その後輩も今は大手建築メーカーに勤務しています。

 そもそも松永に野球選手を紹介したこともなければ、福田選手や笠原選手を交えて会ったこともありません。僕は、賭け事は麻雀も公営ギャンブルも一切やらないし、暴力団員との付き合いもありません」

 それではなぜ九月三十日の時点で、巨人軍は松永を立浪のマネージャーだと誤解したのか。

違法カジノ店「D」のサイン事件

 そこには〝伏線〟となる事件があった。

 二〇一四年の四月上旬の名古屋遠征中、笠原は先輩である大石の紹介で、名古屋一の歓楽街、錦三丁目にある違法カジノ店「D」を訪れた。「D」は雑居ビルの五階にあり、入口は三重扉で、厳重な身分確認を経た上でなければ入店できない仕組みになっていたという。

 裏カジノ業界に詳しい関係者が解説する。

「当時、周辺の裏カジノ店が軒並み警察の手入れを受けているなかで、一人勝ちと言われていたのが『D』でした。オーナーは横浜のカジノ業者で、〝ケツモチ〟と呼ばれる用心棒が、山口組の弘道会系高山組の最高幹部とされていました」

 弘道会は現在の山口組六代目の出身母体であり、山口組の中枢組織である。

 その資金源となっている違法カジノ店に笠原は出入りし、バカラ賭博で八十万円の勝ち金を受け取ったうえ、自らサイン色紙を残し、その色紙が店内に飾られていたのである。

 その日の様子を大石は、大学院の同級生である松永に話している。状況を案じた松永が立浪に事情を説明したところ、立浪はすぐに巨人軍にいる知り合いのコーチとベテラン選手の二人に、笠原に対して注意を促すよう連絡を入れたのだ。

 この時点で、巨人軍は球団として笠原の違法カジノへの出入りを把握し、その情報の端緒が立浪ルートであったことを認識していた。

 巨人軍は情報に基づき、調査を行なった。カジノ店に残された肝心の笠原のサインは、大石が店から回収し、笠原は大石を通じて八十万円を返却した。カジノ店側と大石との間に一定の人間関係があったことが推認される。巨人軍は笠原本人などから聞き取りをしたうえで、最終的に笠原に罰金を科して「厳重注意処分」とし、そのことを一切公表しなかった。

 笠原本人は「先輩に騙されて違法カジノ店に連れて行かれた」「二度と賭博はしない」などと言い訳を繰り返したとされるが、この時に徹底して笠原の交遊関係を調査し、甘い認識を正す処分が行なわれていれば、その後の笠原の躓きを防ぐことができたのかもしれない。

 問題の違法カジノ店「D」は二〇一五年二月、愛知県警の強制捜査を受け、従業員ら十人は賭博開帳図利容疑で逮捕。居合わせた客六人も賭博容疑で逮捕されている。

「強制捜査の際、従業員は水溶性の紙に書かれていた顧客リストをバケツの水につけて証拠隠滅を図りました。最悪のパターンを想定し、用意周到に準備がなされていたのです。残念ながらリストが消滅したため、野球選手が出入りしていたかどうかまでは摑めませんでした」(愛知県警関係者)

 現役選手が好奇心から出入りした違法カジノ店が反社会的勢力による犯罪行為の温床になっている実態を、巨人軍はどの程度深刻に受け止めていたのか。二〇一六年四月、バドミントンの日本代表選手、田児賢一選手と桃田賢斗選手は、暴力団幹部が関係する都内の違法カジノ店に通っていたことが発覚し、選手生命に関わるほどの厳しい処分を受けた。一方の笠原は厳重注意処分の後も、横浜でも違法カジノ店に出入りしていたことが判明している。最初の事件の教訓は生かされなかったのだ。

 ともあれ、笠原の違法カジノ出入り事件は、のちに野球賭博事件へと繫がってゆくことになる。

第1章 野球賭博事件 底知れぬ闇と巨人軍の誤算(2)

この作品では本文テキストのコピー機能を制限しています

01