文部省は本当に「三流官庁」なのか?
いまどき「天下り」スキャンダルで、事務次官までも辞任した文部科学省。戦前は内務省文部局、戦中は陸軍省文部局、戦後も自民党文教局、日経連教育局などと揶揄され続け、つねに「三流官庁」視されてきた。
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第二章 転落する文部省、動揺する「教育勅語」(一八九二~一九二六年)

「戊申詔書」から「国民精神作興詔書」まで

大国化で「教育勅語」が動揺する

 前章で述べたとおり、一八九〇年十月三十日「教育勅語」は発布された。「下から」の啓蒙主義ではなく「上から」の国体主義によって、近代化を急ぐ国家にふさわしい「理想の日本人像」が示されたのである。これは文部省にとって悲願の実現でもあった。

「教育勅語」を起草した井上毅は、一八九三年三月七日から翌年八月二十九日まで、第二次伊藤博文内閣の文部大臣として教育行政にみずから携わった。当時の日本では産業革命が進み、高等教育を受けた管理職や、熟練労働者、技術者が求められつつあった。そこで井上は、矢継ぎ早に教育制度を整備し、即戦力の人材育成を図った。

 まず井上は、熟練労働者や技術者を養成するため、実業学校の制度を…

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