文部省は本当に「三流官庁」なのか?
いまどき「天下り」スキャンダルで、事務次官までも辞任した文部科学省。戦前は内務省文部局、戦中は陸軍省文部局、戦後も自民党文教局、日経連教育局などと揶揄され続け、つねに「三流官庁」視されてきた。
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第四章 文部省の独立と高すぎた理想(一九四五~一九五六年)

「教育基本法」から「国民実践要領」まで

文部省とGHQの駆け引き

 一九四五年九月二日、東京湾に停泊した米戦艦「ミズーリ」艦上で、日本の降伏文書の調印式が行われた。マッカーサーを頂点とする連合国最高司令官総司令部(GHQSCAP)は、その一ヶ月後に発足し、日本の占領統治を本格的に開始した。

 これに対し文部省では、前田多門大臣が先頭に立って自主改革に乗り出した。占領軍に口出しされる前に、日本人の手でできるだけ体制を立て直したい。そう前田は考えたのである。

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