まずは、羽生善治という棋士は果たして「天才」と呼ぶことができるのか、ということについて考えていきたいと思う。
通算勝利数歴代一位を誇る大山康晴一五世名人は、将棋棋士を「天才業」と呼んだ。つまり、将棋界は天才集団だといっているのである。
ご承知のこととは思うが、何を隠そう、私もかつて「天才」と呼ばれたことがある。一八歳で八段になったときだったか、「神武以来の天才」といわれた。
とはいえ、「神武以来」といわれても根拠があるわけではないし、はっきりいって、私は気にもとめなかった。自分のことを「天才」といったこともない。もしかしたら家のなかではいっているかもしれないが、外で「私は天才である」と口外したことは一度もない。
ただ、正直にいえば、思ったことはある。
「もしかしたら、自分は天才じゃないか……?」
タイトル戦に、しかも名局で勝ったとき、具体的にいえば、難しい局面で好手、妙手を発見して勝ったときなどに、そう思ったことがあるのは事実だ。
別に驕ったわけではない。掛け値なしに、虚心坦懐に、謙虚に自分の将棋をみつめた結果、
「『天才』と呼んでもいいんじゃないか」
そう思ったのである。
自分のことを天才と思った経験があるのは、果たして私だけなのかはわからない。が、将棋四〇〇年の歴史に残る大名人である大山さんが棋士は「天才業」と呼んでいたのだから、少なくともタイトル戦を戦っているようなトップ棋士は、自分が意識しているかどうかはともかくとして、「天才」と呼んでもさしつかえないだろう。したがって、羽生さんも──自分でそう思っているかは別にして──天才であることは間違いない。
じつは大山さんは、「棋士は天才業」としたうえで、私を評していったことがある。
「加藤一二三は大天才である」
感謝すべきことに、名局集のなかでそう書いてくださっているのだ。
なにか照れてしまうではないか。
私は大山さんと一二五局戦った。とくに最盛期、三〇歳くらいからの一五年ほどは、タイトル戦をはじめとして、すばらしい内容の将棋を大山さんと何局も指した。そうした戦いを重ねるなかで大山さんは、
「あっ、やはり加藤は〝大天才〟であるな」
と確信したということなのだ、と思った。
二〇歳のとき、はじめての大舞台である名人戦で私は、当時三七歳だった大山さんに挑戦した。このときは一勝四敗で負けたのだが、この名人戦を振り返って、最近、こう考えるようになった。
「もしかしたらあのとき大山さんは、私のことを『天才かもしれない』と思われたのではないか」
というのは、防衛に成功した直後、大山さんが殺到した記者団に向かってこういったのである。
「加藤さんにはいずれ負ける日が来ると思います」
当時の私はその意味がわからなかった。
「いわなくてもいいことを、どうしておっしゃるのだろうか」
そんなふうに思ったのを憶えている。
だが、あらためてこの七番勝負の棋譜を調べてみたら、なるほど「ここでこう指していたら勝てたな」と思える将棋が二局あることに気がついた。その意味でこの名人戦は、一勝四敗のワンサイド負けではあったけれど、内容的には大接戦だったといえないことはないし、実際私は、名人戦の前に行われた早指し王位戦では大山さんを負かしていた。
だから──私は「大差で負かされた」と思い込んでいたのだけれども──大山さんは、大山さんにしかわからない私の特質というのか、いうなれば将来性を感じ取ってくださったのではないか。それが「加藤さんにはいずれ負ける日が来る」との発言になったのではないか、と思うようになった。
ただし、そのときの大山さんは、私のことを「天才かもしれない」と思ったとしても、「大天才である」とは絶対に思わなかったはずだ。
大山さんが「大天才である」と書いてくださったのは、私が三〇代なかばに差し掛かろうとしていた時期だった。つまり、名人戦以降も私が精進を重ね、成長し、成熟していったことを対局から感じ取り、評価してくれた結果が、「大天才」という表現になった──私はそう信じているのである。
そこで問題は、羽生さんを「大天才」と呼べるかどうか、ということである。
あらかじめ断っておくが、私が自分のことを大天才だと思っているかどうかはさておき、もちろん、口にしたことはない。しかし、大名人であり、大巨匠である大山さんが「加藤は大天才である」といってくれていたのだから、ほんとうにそうであるかはひとまず措くとして、「加藤一二三は大天才である」という前提のもとに、以下、論を進めていくことにする。
さて、それでは「大天才」とは具体的にどのような棋士を指すのだろうか。何をもって「大天才」というのか──。
その定義は難しい。人によっても異なるだろうが、私は次のように定義したいと思う。
無から有を生み出すことのできる人
そのひとつの証左として、「若いころの着手や立てた作戦が、即公式になり、定跡化する」ことがあげられる。つまり、その着手なり、作戦なりをほかの誰もが「すばらしい」と認め、借用するようになることである。まったく何もないところから、前例のない、すばらしい着手や作戦を思いつく──天才とは、そういうことができる人である。
公式戦で三〇歳くらいのトップ棋士が指した新手がすばらしく、それ以来、その手は「○○流の作戦」とか「○○八段の新手」といわれるようになることがある。最近でいえば藤井猛九段の「藤井システム」、中座真七段の「中座飛車」などがあげられる。
しかし、その手はじつはある棋士が奨励会時代、すなわち初段あるいは二段のころにすでに指していた、というケースは少なくない。つまり、新手は公式戦で指されてはじめて「新手」となるわけだが、その新手をトップ棋士が公式戦で指すよりも前に、若い奨励会会員が思いついている場合がある。
まさしく、栴檀は双葉より芳し。
天才というものは、そうした経験を持っているに違いないと私は思っている。
実際、私にはそういう覚えがあるし、おそらく羽生さんにもそういう経験がたくさんあるに違いない。
にもかかわらず、どうして知られていないのか。奨励会の対局にはほとんど記録係がつかないので、棋譜が残っていない。当然、公表もされない。だから話題にもならず、その若手棋士が編み出したとは誰も気がつかないだけだ。
それに、奨励会時代から目を見張るようなすごい将棋を指していて、将来トップに上り詰めるような若手は、子ども心にこう思っているはずだ。
「自分はいずれ、もっとすごい将棋を指すことができる」
だから、奨励会時代の棋譜などに頓着しないのである。
天才のふたつ目の条件として、「早指し」に強いことをあげたい。
いまでこそ私は長考型の代表のように見られていて、実際にそうなのだが、ある時期までは早指しだった。私の時代の奨励会の対局では、持ち時間はなかったと思う。が、かりにあったとしても、関係なかった。考えなくても私は指すことができた。しかも、正確に──。
ある時期まで私が早指しだったことは、大山さんが私についてこう書いているのがなによりの証拠である。
「加藤一二三は早指しの大家である」
羽生さんもそうだったに決まっている。奨励会時代はほとんど考えることなく、早指しで勝ち進んでいるに違いない。私や羽生さんと同じく、中学生でプロになった谷川浩司さんと渡辺明さんにしても、同様だと思う。
勉強をしている、していないにかかわらず、早く指すことができて、しかも着手が正確で、なおかつ勝つこと──これは、間違いなく天才の共通点である。絶対だ。天才は、盤を見た瞬間に、パッと手がひらめくのである。もっとも強力な一手、最強の一手が、局面を見た瞬間に浮かんでくるものなのだ。こうした能力は努力したからといって身につくものではない。もって生まれた、並外れた素質としかいいようがない。
若くして長考型に天才はいない。断言してもいい。子どものころから、一手、一手、考え込んでいたような棋士はかなり将来が危うい。はっきりいって、早いうちに棋士をやめたほうがいいとさえ思う。
羽生さんにしても私にしても、持ち時間が与えられているから考える、というだけの話であって、最善と思われる指し手は瞬時に浮かぶ。時間を使うのは、念のために考え直し、読み直し、再検討するためなのである。
羽生さんが早指し将棋に強いことは、記録にも明快に表れている。代表的な早指しの棋戦には、NHK杯、JT将棋日本シリーズ、テレビ東京早指し将棋選手権(二〇〇二年まで)の三つがあるのだが、羽生さんはNHK杯で最多の一〇回、JTは五回、早指し将棋選手権で三回、計一八回の優勝を誇っており、二〇〇〇年から公式戦となった銀河戦でも五回の優勝を飾っているのだ。大山さんはNHK杯の八回を含む一三回優勝しており、これに続くのは、何を隠そう、NHK杯七回、JT二回、早指し将棋選手権三回の計一二回優勝の私である。ちなみにそのあとに名を連ねるのは中原誠さんが一〇回、米長邦雄さんが計八回の優勝。谷川さんは計七回である。
早指し将棋というのは、いってみれば、ひらめきの勝負である。そこで多々勝っているという事実は、最善手もしくはそれに近い手を、短い時間のなかで、しかも連続して指していったということを示しているのであり、それだけ天分が豊かであることの証しであるといえるのだ。逆にいえば、早指しで結果を残していない人は、天才とはいえないのではないかと私は思っている。
むろん、局面によっては、パッとひらめいた手、すなわち直感で浮かんだ手と、あとから考えた手の、どちらも有望であるというケースがある。
「当然、じっくり読んで考えた手のほうが、直感で浮かんだ手よりすぐれているのではないか」
もしかしたら、読者の多くは、そのようにお考えになるかもしれない。
しかし、私は直感の手を選ぶようにしている。
正直にいえば私も、あとから考えた手のほうがはるかに大きな戦果が得られるのではないかと感じることがしばしばある。けれども、それは「罠」なのである。
あとから考えた手というのは、冷静かつ慎重に、確認しながら読んでいった末の選択であるのだから、その思考回路に欠陥はないはずである。理屈でいえば、ひらめいた手よりすぐれているはずだ。
しかし、現実はそうではない。というのは、読むときは往々にして自分の都合のいいように読んでしまうからだ。そのため、どこかに判断のおかしいところが生じてしまう。つまり、どこか抜けている。
これに対して直感の手、ひらめいた手というのは、無心で捉えている。そして──これは私にかぎらないと思うが──将棋の世界で生きている人間は、無心の手がいちばんいいと考えているものなのだ。
なぜか──。
そこが天才の天才たる所以ともいえるわけであるが、ひらめいた手というのは、じつはそれから起きるであろうすべての変化をほとんど読み取ったうえで浮かんだ手にほかならない。
「直感の七割は正しい」
羽生さんがそう語っているというのも、そういうことなのだと想像する。つまり、天才は手がひらめくと同時に、瞬時にその一〇手先、二〇手先を読んでしまうのだ。そして、そうした作業を三〇秒、長くても一分のなかで、きわめて的確にやってのける人が、早指し将棋に強さを発揮する人なのであり、天才なのである。その意味では、将棋の本質というものは、早指しにあるといっても過言ではないと私は思っている。
羽生さんにしても、大山さんにしても、私にしても、早指し将棋での勝利はおそらく、ほとんどが名局と呼んでもさしつかえないはずだ。つまり、順当勝ちであり、逆転勝ちや相手のミスによって勝つような拾った勝利というのは、めったにないのではないか。いずれも完勝といっていい。
いいかえれば、状況とか条件が厳しくなればなるほど、指す手は正確さを増してくる。これも、天才に共通する大きな要素といっていいと思う。
この作品では本文テキストのコピー機能を制限しています