羽生善治論のページ一覧

かつて私は、「神武以来の天才」と呼ばれた。一八歳でA級八段になったころのことである。将棋にかぎらず、スポーツでも学問でも、常人には成し遂げられないような業績をあげた人間を、人は「天才」と呼ぶらしい。私は七三歳にして現役棋士である。その〝ライバ…
まずは、羽生善治という棋士は果たして「天才」と呼ぶことができるのか、ということについて考えていきたいと思う。通算勝利数歴代一位を誇る大山康晴一五世名人は、将棋棋士を「天才業」と呼んだ。つまり、将棋界は天才集団だといっているのである。ご承知のこ…
一九九四年一月、第四三回NHK杯の準々決勝で私は、羽生さんと対戦した。先手の羽生さんに対して私が棒銀で出たところ、羽生さんは、われわれのあいだでは左四間飛車と呼ばれている振り飛車で迎え撃ち、激戦となった。羽生さんは居玉で戦った。居玉というのは…
羽生さんの師匠である二上達也さんと対戦した一九七四年のA級順位戦で、一手を指すのに四時間一〇分長考したことがある。その局面がまだ序盤だったこともあり、二上さんはずいぶんと当惑したらしい。結局この順位戦は私が勝ったのだが、二上さんはこの後調子を…
一九七〇年生まれの羽生さんと将棋との出会いは、小学一年生のときに近所の友だちから駒の動かし方を教わったことだったという。すぐに熱中し、二年生になると八王子の道場に通うようになったそうだ。棋力はあっという間に向上し、五年生にしてアマ五段に昇段。…
将棋界が「最高権威」と位置づける名人位は、将棋棋士になった者すべてがあこがれるタイトルである。一六一二(慶長一七)年、大御所として実権を振るっていた徳川家康が、京都の富裕な商人にして漢方医であった実力第一人者の大橋宗桂に俸禄を与え、召し抱えた…
第二局。先手の米長さんは、今度は角換わり腰掛け銀を目指した。米長さんがずいぶんと研究し、自信を持っていた作戦である。ところが、羽生さんはこれを受けずに棒銀で対抗してきた。腰掛け銀を受けなかった理由は、羽生さんによればふたつあったようだ。ひとつ…
第一章と第二章で見てきたように、羽生さんは異次元といっても過言ではない、圧倒的な強さを誇っている。それは記録面から見ても明らかだ。二〇一三年二月現在、通算タイトル獲得数八三期は歴代一位。通算勝利数一二二六は大山、私、中原に次いで歴代四位である…
たしかに、羽生さんは戦いを好む。過去に何度も対戦した経験からいっても、それは間違いない。羽生さんの将棋の特徴のひとつに、駒のやりとりが非常に多いことがあげられる。棒銀であれば銀と飛車を交換したりという駒の交換は、誰と指しても行われることだけれ…
羽生さんの強さの秘密としてもうひとつ指摘しておきたいのは、「厚みのある戦い方をする」ということである。そのことは、米長さんに挑戦した、羽生さんにとってははじめての名人戦に端的に表れていた。どういうことかというと、米長さんの将棋の原則は二枚換え…
どんな棋士にも、なんらかの弱点はあるものだ。大山さんのライバルだった升田幸三さんは、いわゆる「完勝型」で、序盤からリードし、完膚なきまでに相手を抑えつけて勝つのが特徴だった。しかし、升田さん自身、「うまい話があるとすぐ飛びつく傾向がある」と語…
じつは当時から私は、そのことを指摘していた。というのも、こういう経験があったからである。私が中原誠さんを破って、念願の名人位を獲得したのは一九八二年のことだった。その第四〇期名人戦がスタートしたのは四月一三日だったのだが、そのとき、中原さんは…
もっといえば、羽生さんにはふと、こんな思いがよぎったのではないか。「この将棋は、もしかしたら勝たないほうがいいんじゃないか……」要するに、勝つ気がなくなってしまった──あの指し方を見ると、私にはそうとしか思えないのだ。そのように考えなければ、…
この章では、ちょっと羽生さんからはずれて、私と数々の激戦を繰り広げた天才たちの、意外ともいえる人柄を表すエピソードを紹介しようと思う。まずは大先輩に敬意を表し、大山康晴さんからはじめることにしたい。盤を前にしているときは、優勢でも劣勢でも変わ…
一九九八年の第五六期順位戦を最後に米長さんは、二六年在籍したA級から降格し、フリークラスで戦うことを宣言した。その最終局の相手が何を隠そう私だったのだが、その際、こんなことがあった。私が対局場に入ると、すでに和服姿の米長さんがいて、下座に座っ…
二〇一二年、森内さんと羽生さんの名人戦の立会いをした。第一日目の戦いが終わり夕食となったとき、隣の席にいた森内さんに「私は入玉模様の将棋が下手なんですよ」と話しかけると、すぐに森内さんは「そんなことはありませんよ。私は以前入玉形の戦いで先生に…
これまで羽生さんと私は、公式戦で二〇回対戦している(二〇一三年三月現在)。それぞれ思い出深い対局であるが、最後にそのなかからとりわけ印象に残っている勝負を三番ご紹介したいと思う。一九八九年一月九日 NHK杯まずは一九八九年一月九日、第三八回N…
一九八九年一一月二日 第三一期王位戦次に紹介するのは、NHK杯と同年、一九八九年一一月二日の第三一期王位戦予選二回戦である。このとき、羽生さんは六段になっていた(参考までに述べておけば、NHK杯での初手合いで負けたあと私は、三月三〇日にオール…
一九九一年三月二日 第二四回早指し将棋選手権決勝戦血涙三番勝負、その掉尾を飾るのは一九九一年三月二日、第二四回早指し将棋選手権決勝戦である。これはテレビ東京の主催で放映もされたから、ご記憶にあるファンも少なくないと思う。先手は羽生さんだった。…
羽生善治『決断力』角川書店羽生善治『大局観』角川書店羽生善治『直感力』PHP研究所加藤一二三『将棋名人血風録』角川書店『将棋世界』臨時増刊号『名人、羽生善治。』日本将棋連盟『将棋手帳2013』日本将棋連盟日本将棋連盟ホームページ羽生善治(棋士…
加藤一二三(かとう・ひふみ)1940年、福岡県生まれ。将棋棋士。九段。早稲田大学中退。「神武以来の天才」と呼ばれ、54年、史上最年少棋士、史上初の中学生棋士となる。名人、十段、王将、王位、棋王など数々のタイトルを獲得。1950年代から2000…
羽生善治論──「天才」とは何か加藤一二三平成25年7月10日 発行発行者 宍戸健司発行所 株式会社角川書店〒102-8078 東京都千代田区富士見2-13-3http://www.kadokawa.co.jp/(C) Hifumi Kato …

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