死はもう目前だけれど、一秒でも二秒でも死を早められるなら、それが安楽死になり得るという思いです
170万部突破『孤高のメス』の伝説の外科医が 出会ってきた多くの患者さんたちの症例を交えて、全方位で考察する安楽死と尊厳死、その現実と希望。 人間らしく死ぬとはどういうことか? 自分で自分の最期を決められるとしたら? そのとき、家族は?

第一章 限りある生

人間は、無期執行猶予の死刑囚!?

十九世紀初頭から中葉にかけて活躍したドイツの哲学者ショーペンハウエルはこんな言葉を残しています。

「人間はすべからく生まれながらに無期執行猶予付きの死刑囚である」

言われてみればその通りでぐうの音も出ませんが、幸か不幸か、物心つくまで人間は、死が行く手に待っているなどとは考えないようにできています。中学生や、稀に小学生がいじめを苦にして飛び降り自殺を遂げるという痛ましい事件が世間を騒がせ、そんな幼い子どもでも大人並みに人生に絶望して自ら生を断ち切るものかと驚かされますが、(そうした特殊なケースは例外として)一般的には、多感な思春期までは、悩めるハムレットさながら、「生きるか死ぬか、それが問題である」などと、思い詰めることはないでしょう。

明治時代の文豪夏目漱石は、イギリスに留学後帰国して旧制一高(現東京大学)の英語教師を務めましたが、その生徒の一人に藤村操という少年がいました。指名してテキストの一部を邦訳するように言うと、予習してきていないから訳せないと答えました。次の授業でもう一度指名したところ、また同じふてくされた返答。怒り心頭に発した漱石は、「勉強する気がないならもう授業に出なくてよい!」と一喝したそうです。

その数日後、藤村操は世間をあっと驚かせます。栃木県日光にある華厳の滝に飛び込んで自殺してしまったからです。現場には「巌頭の感」と題する遺書が残されてあったということです。短く次のように記されてありました。

「人生不可解なり。世界に益なき身の生きて甲斐なきを悟り、華厳の滝に投じて身を果たす」

漱石はさぞや驚いたでしょうが、もとより、彼が叱ったことが藤村操の自殺の原因ではありません。

多感で早熟な少年は、余人の思い及ばない、混沌とした思索の迷路に入り込んでいたのでしょう。ゴーギャンの絵のタイトルではないが、「我々はどこから来たのか? 自分は何者か? どこへ行くのか?」等々、永遠に答えの見出せない疑問に煩悶し、結局、人生も己の存在も空しい、生きている甲斐がないと、早まった結論を下してしまったのでしょう。

確かに、我々人類はどこから来たのか、いくら頭を振り絞っても答えは見出せません。藤村操ならずとも、不肖私もこの疑問に何とか答えを見出そうと、多感な思春期の頃から頭を悩ませてきました。

幸か不幸か、母の感化で幼き日よりキリスト教会に通い始めましたから、部厚い聖書の巻頭に書かれた「神、初めに天地を創り給えり」を何の疑いもなく信じ込んでいました。

同志社大学を創設した新島譲は、聖書を開いて冒頭のこの一節を目にした瞬間、雷に打たれたような衝撃を覚え、即キリスト教に帰依したと言われています。

医師で作家の加賀乙彦は、宇宙の神秘に思いを巡らした時、宇宙は自然発生したものではなく、目には捉えられないが万能の神によって創られたに相違ない、との結論に達してキリスト教に入信したそうです。

一方で、いや、人間は神の創造物にあらず、古えを辿れば海に派生した三葉虫に起源が求められ、やがて海から地上に出て猿から類人猿へと進化し、さらに言語を持つ人間へと進化したのだと説くダーウィンの進化論を信奉している人々もいます。

私とともに日曜学校に通っていた友人の多くが、高校の生物の教科書に出てくるこの「進化論」によって信仰につまずき、教会を去って行きました。教科書を書いた人間は無神論者だったからでしょうが、こんなふうに断定的な書き方をしていました。

「ダーウィンの進化論の登場によって、それまで信じられていた天地創造説は荒唐無稽な神話として斥けられた」

当時、なお聖書を文字通り信じていた私は、この件を目にした瞬間、カーッと頭に血が昇ったものでした。

それに先立つこと数ヵ月、心ない国語の教師の放言に傷ついていましたから、ダブルパンチを受けたようなものでした。

この教師は古文を担当し、吉田兼好の『徒然草』が教材だったのですが、教科書をひもとくより先に、まず自分が東大出であることを吹聴し、今上天皇は大学の成績も中くらいで極並の人でたてまつるに値しない、などとくさし、さては、神など存在するはずもないのに世のキリスト教徒たちは馬鹿げた天地創造説を信じている云々とやり出したのです。私がクリスチャンであることを知っている隣席の級友がいわくあり気な目で私を流し見ました。私はよほど席を立って教師に尻を向け、教室を飛び出そうかといきり立ったことを覚えています。

いざ講義の段に及ぶと、この教師はまた作者の吉田兼好を、生臭坊主のくせにいっぱし偉そうな口を利いているいやな男だよね云々と、我々生徒に先入観を吹き込むような、教師にあるまじき暴論に及んだのです。

造物主による天地創造説が愚にもつかぬお伽話だと決めつけることはできません。キリスト教徒のみならず、イスラム教徒も〝神〟を信じており、口を開けば「神は偉大なり」と唱えています。と、なれば、欧米とイスラム圏の国民の多くは神を信じているわけですから、現在七十億を数える世界の人間のうちの、少なくとも数十億の人々がダーウィンの進化論より天地創造説に傾いているわけです。

現に、アメリカでは、進化論を教科書に載せるべきか否かが論議されていると聞きます。キリスト教の中でも特に熱心な伝道活動で定評のあるモルモン教の聖地ユタ州では、ことのほか問題とされているようです。

ダーウィンの進化論では神に背を向けなかった私も、勧善懲悪の神が存在するにしてはあまりにも理不尽な出来事が私自身のみか周囲にも度重なるにつれ、次第にキリスト教から離れて行きました。

かといって進化論に傾いたわけではありません。人類の祖先が海に派生した三葉虫だと言われても、ではその原始生物はどこからどのようにして派生したかという疑問が残ります。

「無から有は生じない」のが生物学の根本原理であり、田舎のぽっちゃん便所にいつの間にか湧くうじ虫も、甘い汁をこぼせば密閉してあるはずの家にどこからか入り込んでたかる蟻も、無から突然生じたものではないはずです。マリアを聖母と崇めるカソリック教徒たちは本気でイエス・キリストの「処女降誕」を信じているようですが、キリスト教の別の一派は否定しています。神は科学的真理に反するようなことはしないと。

不老長寿は人類永遠の見果てぬ夢

国語教師が糞坊主呼ばわりした吉田兼好は、その『徒然草』の中でこう語っています。

「長くとも四十足らぬほどにて死なんこそめやすなるべし」

四十歳そこそで人生を終えるのがよいのではないか、というわけです。三十代で出家遁世した彼は本気でそう思っていたのかもしれませんが、一二八三年に生を享けた彼は、一三五二年に没しています。享年六十九歳、目した「目やす」のほぼ倍を生きた感想を知りたいものです。

「この世をば私が世とぞ思ふ望月の欠けたることも無きを思へば」

これは平安時代中期、公卿く げ藤原家の五男として生まれ、兄たちの不幸により僥倖ぎょう こうを得て左大臣に昇りつめた道長が、権勢を振るうに至った境涯を自画自讃した歌です。しかし、その道長も六十二歳でこの世を去っています。

これより少し前、平安初期に生きた貴族に『伊勢物語』のモデルと言われる在原業平なる人物がいます。彼は当時のモテ男の二大要素、〝イケメン〟〝歌人〟を兼ね備えて人々の羨望の的とされた男でしたが、わずか五十五年の生涯でした。死が近づいたと悟った時、こんな歌を詠んでいます。

「ついにゆく道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは思はざりしを」

無念さが伝わってきます。

一方、迫り来る死を笑い飛ばして、その深刻さから逃れようとした人物も見かけます。

江戸時代天明期に生きた狂歌師大田蜀山人です。狂歌とは、滑稽や風刺を折り込んだ短歌で、俳句に対峙する川柳のようなものです。川柳が俳句と同じ五七五の三句から成るのと同様、狂歌は短歌と同じく五七五七七の五句三十一み そ ひと文字で作られます。

蜀山人はこんな狂歌を詠んでいます。

「いままでは 人のことかと思ったに おれが死ぬとはこいつぁたまらん」

また、こんな歌もあります。

「冥土より今にも迎へ来りなれば 九十九まで留守と断れ」

しかし蜀山人は七十四歳で没しました。当時としては長生きしたほうで、こんなふうに、深刻な問題もあまり深く思い詰めず皮肉と風刺を利かせて笑いに紛らせていたからかもしれません。

一方、目を西洋に転ずれば、八十歳を過ぎた晩年に至っても死を恐れ、何とか生き延びたいと、世界中から〝不老長寿〟の妙薬と称される薬をかき集めた人物がいます。英国の作家で医師でもあったサマセット・モームです。十歳で孤児となった境涯からか、彼はこの世に神はないと断じる無神論者で、牧師の偽善、不倫をテーマにした『雨』などの作品でキリスト教界からは白眼視された人物です。

『雨』は私も読みましたが、何とも後味の悪い不気味な小説で、同じく牧師の不倫を扱ったナサニエル・ホーソンの『緋文字』が凄烈でいて清々しい余韻を残してくれるのと対称的です。

無神論者ですからモームは当然来世の存在も信じない、この世がすべてと考える人ですから、長く生きることだけが望みだったと思われます。そして必死に探し求めたその〝妙薬〟のお陰かどうか、モームは九十一歳まで生きました。しかし、もとより、彼が求めた〝不老長寿〟とはほど遠かったでしょう。

フィクションの世界で不老長寿を乞い求めた人がいます。婦女子の紅涙を誘って当時のベストセラーとなった徳富蘆花の『不如帰ほととぎす』のヒロイン川島なみ子です。相思相愛の男性と結ばれ幸せの絶頂期にあった矢先、彼女は胸の病に冒されます。〝亡国病〟と恐れられ、今時の癌に比せられる多くの死者を生んだ結核です。

癌はまだしも高齢者に発症する病気ですが、結核は前途ある有為ゆう いの青年子女を襲う宿痾しゅく あで、現存した人物でこれによって夭逝した人は数知れずあります。樋口一葉、石川啄木、滝廉太郎、高山樗牛ちょぎゅう、正岡子規等々、おおかたは二十代で、有り余る才能を花と散らしました。

結核に冒された浪子は同居する姑に疎んじられ、姑は息子に浪子と離縁するよう迫ります。しかし、彼はあくまで新妻をかばいます。夫の深い愛を知った浪子は、こう悲痛な言葉を夫の胸にすがりながら漏らします。

嗚呼あ あ、人間はどうして死ぬのでしょう? 千年も万年も生きたいわ!」

これこそ人類永遠の見果てぬ夢に相違ありません。

第二章 死に至る病

この作品では本文テキストのコピー機能を制限しています

01