「75パーセントの子が、この再生教育でベターライフを手にしている」
「ぼくは先生を殺そうとした」——公立小学校で手に負えないと判断された問題児童を再生させる特別学級の内実と、アメリカ社会の病理を、同学級の教師を務めた著者がルポ。

問題児のための特別学級──Opportunity School

1)家庭に問題を抱える子供たち

 日本のソメイヨシノほど見事ではないが、ネヴァダ州リノ市でも、3月上旬から桜が咲き始める。街のあちこちに桜が見られるようになった頃、私はある特別学級を訪ねた。

 特別学級の名は「Opportunity School」。Opportunityとは、「機会」や「チャンス」の意で、それらを作り出す学校となれば非常に響きのいい語である。しかし同校は、市内の公立小学校で手に負えないと判断された児童を再生させるプログラムとして運営されている。

 遡ること4年前の2005年秋、私はリノ市で最低と呼ばれる高校で「日本文化」の講師を務めた。モラルの欠片かけらもない1519歳の若者と接しながら、アメリカ社会のひずみを見た。生徒たちが常識を身に付けていないのは、仕付けてくれる大人の存在が周囲に無いからだ。誰もが崩壊家庭に育ち、貧困に喘いでいた。親が不法就労者であったり、刑務所に入っていたり、ドラッグに溺れているケースも存した(詳しくは、『アメリカ下層教育現場』〈光文社新書〉を参照)。

 私なりに全力で生徒たちと向き合ったが、限られた時間では手に負えず、諦めた少年もいる。そして私が教壇を去った後、受け持った学生たちのほとんどは高校を中退した。

 ああいう子供たちを救うには、もっと早い時期からサポートしてやらねばダメだ。高校生になってからでは遅過ぎる──。つくづくそう思った。

 その後私は、問題児と呼ばれる小学生を、親でも教師でもない第三者の大人が支えるというボランティア活動に参加した。行為自体にやり甲斐はあったが、教壇ほどハードな仕事ではなかった。

 2008年の晩夏より、息子がリノ市内の公立小学校に通い始めた。校長も担任も心から信頼できる人だった。彼らは子供たちを惹き付ける楽しい授業の中で、規律を学ばせた。

 移民の国、アメリカ合衆国の公立校らしく、通ってくる児童の国籍は様々だった。スクールバス利用者を眺めるだけで、メキシコ、ボリビア、エルサルバドル、コスタリカ、ニカラグア、カメルーン、ネパール、中国、そして日本が数えられた。英語が話せない親もけっして珍しくない。それでも、カリキュラムが充実し、教師陣に好人物が多いため、息子を含めた児童たちは、それぞれが大きく成長していった。

 父親として子供の学校生活を安心して見守っていた矢先、息子が鼻血を流しながらスクールバスから降りてくることが何回か続いた。理由をただすと、1学年上のAからちょっかいを出されたという。息子のクラスメイトも同じ上級生から嫌がらせを受け、泣いている姿を目にした。考えに考えた結果、私は告げた。

「自分でケリをつけて来い。パパが出て行くわけにはいかないから」

 当時、息子はメキシカンが営むボクシングクラブに所属しており、リングの外で拳を使うことは絶対に禁止されていた。それでも私は言った。

「まず口で『止めろ』と言いなさい。次に大声で叫びなさい。こちらがそこまで我慢しても分からない相手なら、やり返して来い。責任はパパが取る。向こうは年上だから心してかかれ。これからお前が大きくなるうえで、一度や二度は直面する問題だろう。学校に通知するのは最後の手段だ」

 男親なら、時にこんなアドバイスも必要だと私は思う。数週間後、息子は涼しい顔でスクールバスから降りて来て話した。

「あんまりしつこいから、3発殴ってやった。やっと静かになったよ」

 が、ホッとしたのも束の間、ある日スクールバスのドライバーから私は質問される。

「あなたの息子さんとAは、いつもバス内でファイトしていますが、ふざけているのですか? それとも本当に傷付け合っているのかしら」

 経緯を説明すると、その日のうちにドライバーから校長に2人の関係が報告され、翌日、Aの親から謝罪を受けた。以後、彼らはスクールバス内で身体が触れ合わない席に引き離される。息子とAも何かのきっかけで友情が芽生えるかもしれないが、それが学校の解決手段であるのなら、「良し」と割り切ることにした。何より、息子に笑顔が戻ったので休心した。

 数カ月後、学校行事に保護者として参加していた際に校長と会話する機会があった。息子が通う小学校と私がかつて勤務した高校は学区が同じなので、ある程度の予想は付いていたが、生徒の多くは家庭に問題を抱えていると聞かされた。犯罪者の子供も、ドラッグ中毒者の子供も、シングルペアレンツの子供も少なくないという。

「全ての児童に愛情を注いでいる自負が私にはあります」

 穏やかな笑顔で語る校長は、白人ながら菩薩のように見えた。その言葉に偽りが無いことは、彼の仕事ぶりを見ていれば理解できた。彼は〈いじめ防止〉にも真剣に取り組んでいた。

「本当に難しい問題です。とにかく見つけたら即、各々から話を聞き、ベストだと思う改善策を探すのが我々の仕事ですね」

 校長は月に一度の割合で放課後にイベントを催し、崩壊家庭で淋しい思いをしている子供たちを喜ばす試みをしていた。また、全学年全クラスのスケジュールを把握し、ちょくちょく教室を覗いては、子供たちに微笑みかけていた。

 そんな校長に私は訊ねた。

「先生方の努力のお陰で、この学校の虐め発生率はかなり低いと感じます。でも、何を言っても通じない、〝お手上げ〟という子もいるでしょう。僕が高校教師だった頃、残念ながらクラスに1名いました。そういった生徒への対処はどうするのですか?」

 彼は答えた。

「まだ私には経験がありませんが、リノ市にはOpportunity Schoolという特別学級があり、そちらにお願いすることになります。それはもう、大変な生徒ばかりですよ」

 この一言を聞いて、私はOpportunity Schoolを覗いてみたくなった。物書きとして、食指を動かされたといっていい。校長が、Opportunity Schoolの代表者に私を紹介してくれた。

2)テイラー・ハーパー

 数日後、私がOpportunity Schoolを訪ねると、教室では6人の生徒がそれぞれの机で世界地図に色を塗っていた。子供たちは全て男児だった。一般の公立小学校には制服がないが、ここでは白いポロシャツ、またはワイシャツに黒いパンツと身に着ける物の色が定められている。10歳は超えていそうな身体付きだが、6名の年齢はまちまちに見えた。

 教室に足を踏み入れると、小学部の責任者であるテイラー・ハーパーが生徒全員に向かって言った。若い、白人の女性教師だ。

「皆、今日は日本人のジャーナリストがいらしたから、挨拶しなさい」

 教室にいた6名の児童が順々に私の前に立ち、握手の手を差し出しながら「Nice to meet you」と、名前を告げていく。どの子にも特に変わった様子は見られず、問題児とは映らない。

 アシスタント教員にクラスを任せたハーパーは、教室後方部のドアを開け、自分のオフィスに私を招き入れた。生徒たちの教室から彼女の部屋を覗くことはできないが、彼女の部屋からは教室が見える特殊ミラーが窓に嵌められている。

「あなたのことは聞いています。レインシャドウ(著者が働いていた高校の名)の先生だったんですって」

「はい」

「大変だったでしょう」

「最初はそう感じました。でも学期の終わりには、そこそこまとまりのある教室を作り上げられたと感じています。とてもいい経験でした」

「あそこは生徒だけでなく、辞めていく教師も後を絶たないわよね。何か問題があるのかしら?」

「僕が勤めていた頃の校長は、リーダーシップの取れない人でした。正直、人間性に問題がありました。でも、その人も辞めたと教え子から聞いています」

「らしいわね」

「最低レベルの高校さえ卒業できない子は、どうやって生きていくのか……今、僕は教師ではありませんが、非常に気になるところです。教養が無い若者というのは、簡単に犯罪に手を染めてしまう傾向にあるでしょう?」

「そうね。最近も学会で発表されたけれど、アメリカ合衆国内で罪を犯す人の75パーセントが高校中退者という数字が出ています」

 彼女は教室に視線を送りながら言葉を続けた。

「この子たちがそうならないといいのだけれど。Opportunity Schoolに送られてくる生徒の98パーセントは家庭が崩壊しています。それも、かなり深刻な状態で」

 彼女は教室の最後部席に座る少年を凝視した。5年生くらいに見える少年は、身体を左右に揺らし、何かの曲をくちずさんでいる。ほんの数秒の間に動きが激しくなり、机を叩きながらラップを歌い始めた。

「ちょっと失礼」

 ハーパーは私にそう語ると、彼の元へ走った。そして少年に話し掛けた。

「随分、ご機嫌ね。どうしたの?」

「えっ……ああ」

「今、何をする時間か知っているわよね」

「あ、うん」

「じゃあ、決められたことをやりましょうよ」

 少年が戸惑った顔をすると、ハーパーは「ちょっと、校庭を一周しようか?」と彼を促し、教室の外に連れ出した。私も2人に続く。

「今日はいい天気ね。さぁ、大きく深呼吸をして!」

 ハーパーは大きな声で彼に呼びかけ、少年と一緒に小走りで校舎の周りを駆け抜けた。

「見て、チェリー・ブラッサムが綺麗よ!」

 校舎に戻る折、ハーパーは桜を指差した。少年は少し笑った。

「彼がここに来たばかりの頃は、桜が美しいとか、メロディーが綺麗だとか、絵が美しいとか、そんな感情をまったく示さなかった。もちろん挨拶なんてできなかったわ。

 彼が私に対して最初に発した言葉は Hey Bitch, Fuck You!!だった。そんな子が、最近はチェリー・ブラッサムを見て白い歯を見せるようになったことが嬉しいわ」

 テイラー・ハーパーは、自分のオフィスに戻ると語り始めた。

「今、一番後ろの席に座っている子は4年生です。ずっと虐めを受けていたの。我慢の限界を超えたのでしょうね。ある日お祖父じいさんの机の引き出しから拳銃を抜き、銃口を虐めっ子に向けた。それで、Opportunity School 行きとなったのよ」

 ハーパーが説明した少年に目をやると、なるほど気の弱そうなタイプに見える。

「後ろから2番目の席の子は、水道が通っていない家庭で生活しています。だから、服がいつも汚れている。学校どころじゃない生活環境なのよね」

 驚いた私が返事に困っていると、彼女はつなげた。

「典型的な貧困家庭。トレーラーハウスで生きる子なの」

 トレーラーハウスとは、使えなくなったキャンピングカーを住居化した格安アパートと説明するのが適当だろうか。アメリカ合衆国において、最下層の住まいだ。とはいえ、水道さえ引けない家庭というのは、トレーラーハウスの中でもかなり貧しい部類であろう。

「最初の頃、彼は他人の目を見ることが出来なかった。大分、元気になったけれど、ここでの生活を終了させるには早いわ」

 Opportunity Schoolで特別授業を受け、「通常の生活が可能」と判断された生徒は、それぞれ市内の別学校で再スタートを切る。ハーパーは30日~45日ごとにサイクルを決め、段階に応じたしつけを施していた。

「今年の119日から来ている子が一番長いわね。その彼は5年生。カッターでクラスメイトの首に切りつけたの。なかなか普通の生徒と一緒の行動が取れない。まだまだ時間が必要ね」

「どの子も、一見、大人しそうに見えますね」

 私の言葉を受けたハーパーは、少し微笑みながら応じた。

「この状態になるまで、必死だったもの」

 突然、1人が椅子から立ち上がって、机の上のペンと地図を放り投げた。ハーパーが駆け出す前にアシスタント教師が彼の肩を抱き、諭すように言葉を掛ける。

「彼は3年生。同性愛者の高校生に犯されてしまってね。以来、人間不信に陥っている。心に深い傷を負っているの」

 少年たちが置かれた現状を聞かされれば聞かされるほど、絶望という単語が浮かぶのだが、不思議なことに教室からネガティブな空気は感じられない。何故なら、ハーパーがエネルギッシュで、バイタリティーに満ちた人物だからだ。

 この日から私は何度かOpportunity Schoolに通い、取材を重ねるようになった。ハーパーの教室を目にする度に、彼女の生命力に圧倒された。

「生徒を再生させる鍵は、常に彼らをポジティブな気持ちにさせてあげること。私はそう信じています。だから、まずはこちらがはつらつとした姿を見せなくちゃね」

 197586日生まれのテイラー・ハーパーは、生まれも育ちもネヴァダ州リノ市だ。地元の州立大学を卒業し、小学校の教員となった。

 就職活動中、彼女は荒れた地の学校を希望した。弁護士の父と、不動産会社に勤務する母は猛反対したが、ハーパー先生は「タフな場所がいいの。楽な作業は私に向いていないわよ」と、両親を説き伏せる。

 在校生の98パーセントがトレーラーハウスの住民という小学校で、彼女は3年生の担任を1年、ハンディキャップ児や病気で長く休んでいた子供をサポートする特別学級の担任を1年、そして12年生合同クラスの担任を7年間務め、現職に就いた。

「タフな地域で教壇に立ってみて、こんな子供たちを放っておけないと感じたわ。人間は親を選べないでしょう。社会の誰かが、彼らをサポートしてあげなければ。合衆国の抱える大きな問題よね。それで、郷里にOpportunity Schoolの小学部を立ち上げたの」

 9年間勤めた小学校では、多くの父兄がドラッグに溺れていた。人生を捨てた人間たちの刹那的快楽として、アメリカではドラッグに手を出す人間が増え続けている。無論、そんな地域は犯罪率も高くなっていく。

90パーセント以上の保護者がトレーラーハウスでドラッグ中毒になっていたわ。生活保護で支給される僅かなお金をドラッグに使ってしまい、買えなくなったと栽培している人もいた。

 そういう親の子供は、ドラッグの煙が充満する部屋で育つの。当たり前のこととしてね。だから、小学生にしてドラッグを覚えてしまう。彼らに学業の遅れ、常識の欠如が見られても、背景を知らされると止まらない社会的悪循環と思うしかなかった」

 ハーパーは、どんな時も笑顔を忘れずに子供たちと接する。

「私が自分と約束したのは、絶対に預かった子供から逃げないということ。それから、どんな子にも同じように接することを心がけています。

 子供たちは親を選べないように、教師だって選べないでしょう。私たちが何とかするしかない。トラブルを起こした子、心を開かず、FUCKだのBITCHなどと口走る子には、Why did you do this?って、時間を掛けて話し合って来たわ。これからもそうしていく」

 初夏を思わせる20095月末の暑い日、私がOpportunity Schoolに足を運ぶと、児童の数が増えていた。3年生が1人、4年生が2人、5年生が4人、6年生が3人。いつも通り生き生きとしたハーパーではあったが、沈んだ表情も見せた。

「市に言わせると、Opportunity Schoolを維持していくには年間900万ドルかかるそうなの。それを減らすために、このように教室を持って児童を預かるスタイルを止めることにするんですって。どうやら今後は、私が問題児のいる学校に出向いていって、その日その日のケアをすることになりそう」

「残念ですね」

 私が応じると、彼女は一瞬、淋しそうな目をした。

「グループで活動させるからこそ、規律を叩き込めた部分も大きかったのに……。今後、行政がどんな判断をするのか、今の時点では何も分からない」

 6月上旬から、アメリカでは全ての公立校が長い夏休みに入る。Opportunity Schoolに通う生徒たちも、崩壊した家庭で24時間を過ごすようになる。彼女は、その日に備えて子供たちの人間性を高めるように努めてきた。だが、どんなに必死でぶつかっても、短期間で目覚しい結果は出せなかった。

「昨年の10月にOpportunity Schoolをスタートして、三十余人が普通の児童と一緒に学校生活を送れるようになった。でも『大した成功例ではない』としか、受け取ってもらえないようね」

 ハーパーと私が会話をしていると、水道のない暮らしをしている彼がアシスタント教師に連れられて、ハーパーの部屋に入ってきた。何か問題を起こし、それに対する反省文を書き終えたらしい。

 二言三言、陳謝の言葉を口にすると、彼は教室に戻った。アシスタント教師と会うのは初めてではなかったが、ハーパーが私を紹介してくれた。

 アシスタント教師は言った。

「私自身もトレーラーハウスで育ちました。言うまでもないけれど、ドラッグに囲まれて成長しています。だから、ここに送られてくる子供たちの気持ちが痛いほど分かるんです。どこかで、助けを求めている。今と違った環境で生きることを望んでいる。私なりに手助けできないかと考えて、本校のアシスタントになりました」

 こんな教室が間もなく閉じられてしまう現実と、さじを投げられた子供たちの行方を思うと言葉が無い。

「まぁ、どんな形になっても、ポリシーを曲げずに子供たちと付き合っていくわ。私を必要としている子がいるのは確かだから。夏以降、リノの問題児たちがどう扱われるのか、あなたも取材を止めちゃダメよ」

 ハーパーは、そう喋りながら笑顔を見せた。

 帰り際、私が児童たちに別れを告げ教室を出ようとすると、アシスタント教師が教室の後方部で一人の児童の横に座り、頭をぶつけ合うかのようにレポート用紙に向かう様が目に入った。心に残る光景だった。

問題児のための特別学級――Opportunity School(2)

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