命じられた側の悲劇、命じた側の戦後
自爆テロには断じて非ず、あの戦法の真実を描く太平洋戦争末期に散った若者たち。彼らの悲劇はなぜ生まれたのか? 特攻の生みの親・大西瀧治郎海軍中将たちの苦悩と葛藤を描きだす
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エピローグ

 特攻を命じられた側の遺族の戦後については、数多くの挿話が語られているが、命じた側の遺族についてふれた記録は数少ない。

 特攻命令者の責任を糾弾するあまり、家族にも累がおよぶ嫌いがあってのことなのだろうが、大西瀧治郎中将の淑恵未亡人の場合もその例に洩れない。

 昭和五十一年春、世間でロッキード事件が騒がれていた折のことだ。同年二月四日、米国上院の外交委員会でロッキード社の日本への航空機売り込み工作による違法政治献金が表面化。前首相田中角栄、政界の黒幕フイクサーとして児玉誉士夫の名が急浮上した。

 三月二十三日には、東京世田谷の児玉邸に抗議のため軽飛行機が突入。パイロットは死亡し、新聞紙上では「特攻〝体当たり〟…

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