1万対4万2千、「玉砕の島」の守備隊長
戦死者10222名。最後に残ったのは34名。玉砕から75年、いま明かされるペリリュー戦の全貌。
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第三章  満洲から南洋へ

親族との別れ

 アメリカとの開戦後、当初は快進撃を続けた日本軍であったが、昭和十七年(一九四二年)六月のミッドウェー海戦における敗北から、徐々に劣勢へと転じていく。

 そんな中、中川州男は昭和十八年(一九四三年)三月に、陸軍大佐を拝命した。

 そして、彼は自身の生涯において、最大の軍務に就くことになる。すなわち、中川に対して第十四師団歩兵第二連隊の連隊長を任命する旨が、ついに伝えられたのである。

 第十四師団は明治三十八年(一九〇五年)四月の創設以来、日露戦争やシベリア出兵、日中戦争などに参加してきた歴戦の師団である。師団の兵士たちは城県や群馬県、栃木県といった北関東の出身者が大半で、えいじゆ地は宇都宮に置かれた。…

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